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郷間、内間、交間、生間、死間 『スパイの世界史』



スパイの世界史 (文春文庫)

スパイの世界史 (文春文庫)


プロローグでジル・ドゥルーズの『襞──ライプニッツバロック』に言及する。外交官の文書を「二つ」(ディ)に「折ること」(プリ/襞)によって文書が読めなくなり秘密/密書が生まれる、だからこそ同時に、それを解読する/のぞく人が登場する。スパイの登場である。
複雑な襞の奥にかくされた秘密──流動的で、過剰な装飾を湛えた光と影──をめぐるゲームは、16世紀、17世紀のバロック時代のイタリアの<外交>(ディプロマシー)と結びつく……。

二つに折ることは、空間を二重化し、外側と内側に分けることだ。<外交>は、外側と内側との交渉なのである。見えない内側がつくられるから、穴をあけてのぞこうとするスパイが登場するのである。




海野弘『スパイの世界史』(文春文庫) p.15


さすが博覧強記。海野弘の『スパイの世界史』における情報量は圧倒的だ。
まだ第一章「スパイ前史」と第二章「第一次世界大戦」の途中までしか読んでいないのだが、ここで触れられている、人物や出来事、資料に当たりたくて、うずうずしている。巻末の詳細な文献リストがあるので、国会図書館にでも行きたくなった。ダニエル・デフォー、メアリー・ステュアート、フーシェ、「ドレフュス事件」も、情報戦/諜報戦といった側面から見ると、思いがけない「リンク」が浮かび上がってくる。面白すぎる。
何より面白いのが、スパイとカウンタースパイとのせめぎ合いである。

パリで<トラスト>と呼ばれる反ボリシェヴィキの組織が活動しているという情報をライリーは得た。<トラスト>はソ連国内にも多くのメンバーを持っていて、ボリシェヴィキ政府を倒す計画を立てているという。サーヴィンコフとライリーは<トラスト>と組んで、その計画を進めることにした。1924年、まずサーヴィンコフが<トラスト>の助けでソ連に潜入した。しかし彼は捕らえられ、もどってこなかった。


これは罠であった。ロシア皇帝政府が得意とした手で、ボリシェヴィキに受け継がれていた。カウンタースパイの仕掛けで、反政府活動をしていると見せかけた組織をつくり、反体制派を引き寄せて捕らえてしまうのである。




『スパイの世界史』 p.77-78

「秘密協定や隠された制約についての憶測は、新聞によって助長された」



この指摘はきわめて重要である。スパイの時代はマスコミの時代でもある。大衆紙は一つの権力と見なされるようになり、政府もそれを利用し、政府高官とジャーナリストが親しくなり、新聞は巧妙な漏洩ルートとして使われた。(中略)
イギリス首相ソールズベリは、国家の外交は、外務省の公文書と同じくらい、外国特派記者の通信文によっても行われている、ともいったそうだ。




『スパイの世界史』 p.109

すでにのべたように、1914年8月、英国はドイツのスパイを一斉に逮捕した。それは同時に、海底電線の切断と情報の検閲の開始を伴っていた。近代のスパイ戦は、通信の検閲をぬきにしては語ることはできない。


「米独間の海底電線の切断は、検閲に於ける最初の行為であり、宣伝に於ける最初の行動であった。これら輿論シャム双生児は、その時以来アメリカ民衆は何を考ふべきかを命令することになつたのである。」(ピーターソン『戦時謀略宣伝』)


スパイとカウンタースパイが表裏一体であるように、検閲と宣伝も双生児なのだ。宣伝はその背後に、情報の抑圧、検閲を持っている。ある情報を宣伝することは、それ以外の情報を隠すことなのだ。私たちはこれまで、ドイツの検閲と宣伝のすごさをさんざん聞かされてきたのだが、それもまた、英国による宣伝であるかもしれない。少なくとも、第一次世界大戦においては、英国こそプロパガンダの本家であることを、アメリカ人とドイツ人の著者が、ともに示しているのだ。




『スパイの世界史』 p.126-127

ちなみに『孫子』では、スパイは五種に分類される。

  1. 「郷間」は相手国の一般人からスカウトしたスパイ。
  2. 「内間」は相手国の政府の委員や議員など重要人物をスパイにする。
  3. 「交間」はカウンタースパイで、相手側のスパイを取り込んで逆利用する。
  4. 「生間」は生きて帰って、情報を報告させるために潜入させるスパイ。
  5. 「死間」は潜入させ、わざと捕らえられて、ニセの情報を自白し、相手を攪乱させるスパイ。このスパイは捕らえられ、処刑されることが前提である。

古代中国で、スパイを<間>といったのはさすがである。間諜、間者などというように、間をのぞくのがスパイなのだ。外と内とに二つに分かれているから、間がある。
スパイは間に生きる。間とは、いくつかに分かれた世界のすき間にあらわれる。分断し分裂し、その境界に壁があるからこそ、その壁に穴をあけてのぞく企てがなされる。つまり、世界が分裂し、対立しているほどスパイが繁昌するのだ。




『スパイの世界史』 p.15


Wikisource には『兵法』の英語テクストがあった。
→ ”The Art of War” by Sun Tzu
で、「用間篇」(The Use of Spies)を見てみると、上記の五種のスパイ(five classes)は英語では以下のように訳されている。なるほど。

  1. Local spies
  2. inward spies
  3. converted spies
  4. surviving spies
  5. doomed spies

When these five kinds of spy are all at work, none can discover the secret system. This is called "divine manipulation of the threads." It is the sovereign's most precious faculty.




The Art of War (Sun)/Section XIII [Wikisource]



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