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虫太郎は「オーストリー」と表記

オーストリア共和国」が「オーストリー共和国」に変更されていた、という産経新聞社のスクープ!

「オーストリア」紛らわしい?大使館が正式に国名変更 [産経新聞]

発表文はペーター・モーザー駐日オーストリー大使とエルンスト・ラーシャン同大使館商務参事官名で10月に出された。文面はまず「日本ではオーストリアはオーストラリアと常に混同されており、違いを明確にするため」と今回の変更の目的を明記。続いて19世紀から1945(昭和20)年までは「オウストリ」と表記されていた史実が列挙され、「(日本国内で今後)『オーストリー』の名が広く速やかに浸透していくことと存じます」と結ばれている。


 あまりに突然な変更だが、この「オーストリー」の表記、実は日本人には馴染み深い。国内初の本格的な国際地理誌「萬國地名往来」=1873(明治6)年発行=には同国は「ヲウストリ」とされ、翌年開催されたウィーン万国博覧会も開催国「オウストリ」と宣伝された。第一次大戦までは英独仏露とならぶ欧州五大国(列強)の一角だったこともあり、文明開化後、富国強兵の憧れが強かった日本にとって「オーストリー」の表記は憧れの存在でもあった。


たしかにオーストリー大使館商務部のサイトを訪れてみると

とあり、変更の趣旨が丁寧に述べられている。
ただ、Austrian Embassy は「オーストリア大使館」のままのようだ。

ところで産経新聞の記事にある、「オーストリー」表記は「実は日本人には馴染み深い」、というところ。そういえば……と思って小栗虫太郎ペダンティックでハイカラな推理小説の傑作『黒死館殺人事件』(1935年、昭和10年刊行)を紐解いてみたら、墺太利に「オーストリー」とルビが振られていた。

──所もあろうに日本に於いて、純中世風の神秘楽人が現存しつつあると云う事は、恐らく稀中の奇とも云うべきであろう。音楽史を辿ってさえも、その昔シュツウツィンゲンの城苑に於て、マンハイム選帝侯カアル・テオドルが、仮面をつけた六人の楽師を養成したと云う一事に尽きている。此処に於いて予は、その興味ある風説に心惹かれ、種々策を廻らして調査を試みた結果、漸く四人の身分を知る事が出来た。


即ち、第一提琴ヴァイオリン奏者のグレーテ・ダンネベルクは、墺太利オーストリーチロル県マリエンベルク村狩猟区監長ウルリッヒの三女。第二提琴奏者ガリバルダ・セレナは伊太利イタリーブリンデッシ市鋳金ガリカリニの六女。ヴィオラ奏者オリガ・クリヴォフは露西亜ロシアコーカサス州タダンツシークス村地主ムルゴチの四女。チェロ奏者オットカール・レヴェルズは洪牙利ハンガリーコンタルツァ町医者ハドナックの二男。何れも各地名門の出である。
然し、その楽団の所有者降矢木算哲博士が、果たしてカアル・テオドルの、豪奢なロココ趣味を学んだものであるかどうか、その点は全然不明であると云わねばならない。




小栗虫太郎黒死館殺人事件』(創元推理文庫、日本探偵小説全集〈6〉)より p.207

さすが虫太郎だ。そしてその華麗なる文章に目が眩んだ。


それにしてもだ。かつての「ハプスブルク帝国」と南半球の「オーストラリア」を混同する日本人が増えている、というのは、ここにも「世界史の未履修問題」が影を落としていないだろうか。神聖ローマ帝国からオーストリアハンガリー二重帝国を経て第一次大戦へ、そしてナチス・ドイツによる併合から永世中立国としてオーストリア共和国の誕生へと向う流れは、世界史の重要な出来事であるはずだ。

ハプスブルク家は、そのそれぞれの時代に多くの使命を果たした。16世紀には、ヨーロッパをトルコから守った。17世紀には、反宗教改革の勝利を押し進めた。18世紀には、啓蒙思想を広めた。19世紀には、大ドイツ民族国家に対して防壁の役目を演じた。これらは皆、偶然の繋りであった。
同家の永続的な目的は、偉大であり続けるということであった。彼らの家の偉大さのために、諸民族と同様に思想が利用された。それゆえ、例えばフランツ・ヨーゼフ皇帝は、彼の治世の終わりに普通選挙を行ったのだが、実験をしてみようというのが、普通選挙の理由なのである。


ハプスブルク家は、王朝の利益に合う時はいつでも、思想、領土、方法、同盟相手の国、政治家を取り換えた。「皇帝の家」だけが永久であった。ハプスブルクの諸国は限定相続領地の集合体であって、一つの国家ではなかった。ハプスブルク家は地主であって支配者ではなかった。情深い人も、不適任な人も、貪欲で欲深い地主もいた。
だがその意図はすべて、ヨーロッパで頭角を現そうとして、借地人から最大の利益を引き出すことにあった。彼らは、地主からの解放という要求以外は何とでも和解できた。この要求は国家の破滅となるものであった。




A.J.P. テイラー『ハプスブルク帝国 1809-1918』(倉田稔 訳、筑摩書房) p.4-5


それなのにオーストラリアと混同する日本人が数多くいて、日本語の表音表記を変えざるを得ない状況というのは……オーストリー側は、その理由をきちんと把握しての決定=和解なのだろう。


日本探偵小説全集〈6〉小栗虫太郎集 (創元推理文庫)

日本探偵小説全集〈6〉小栗虫太郎集 (創元推理文庫)

ハプスブルク帝国1809~1918―オーストリア帝国とオーストリア=ハンガリーの歴史

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