HODGE'S PARROT

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パルメ首相暗殺から20年

HODGE2006-03-03

1986年2月28日、スウェーデン首相オロフ・パルメ氏(Olof Palme)が暗殺された。59歳であった。

未解決のまま20年=パルメ首相暗殺事件−スウェーデン [Yahoo! News]

パルメ氏は86年2月28日夜、帰宅途中に何者かに射殺された。ベトナム戦争反対や貧困追放を熱心に唱えたカリスマ的指導者の暗殺事件は、国全体に大きな衝撃を与えた。実行犯として89年に起訴された唯一の人物は証拠不十分で釈放され、一昨年死亡。捜査は現在も続けられているが、全容解明は不可能との見方が大勢だ。 

Swedish PM's Murder Unsolved in 20 Years [ABC NEWS]


パルメ首相は、28日夜、リスベット夫人(Lisbet)とともにストックホルムの映画館から帰宅の途についた。映画鑑賞というプライベートだったため、いつものように、護衛なしでの外出だった。雪に覆われたストックホルム中心街で突然、357口径マグナム銃が火を噴いた。「暗殺者」はパルメ首相を至近距離から狙撃し、リスベット夫人にも銃弾を撃ちこんだ。

実行犯として起訴された男 Christer Pettersson は、アルコールおよび麻薬中毒患者だった。パルメ夫人の証言にもかかわらず、 Pettersson は、釈放された。彼は、2004年、脳内出血による臓器不全で死亡した。


熱心な平和運動家としてのパルメ首相には、スウェーデン国内外に、敵が多かった。

Sweden Marks 20 Years Since Palme Slain [WashingtonPost]

The outspoken Palme had enemies both at home and abroad. In 1972, he led an anti-war parade in Stockholm arm-in-arm with communist North Vietnam's ambassador to Sweden, leading the U.S. to briefly recall its ambassador. He railed against apartheid and against the Soviet invasion of what was then Czechoslovakia.


In the early 1980s, he angered Kurdish militants when his government branded their independence group, the PKK, a terrorist organization.


He tried to mediate in the Iran-Iraq war, but angered Tehran by threatening to block any secret Swedish arms sales to Iran.


1972年、オロフ・パルメ氏はストックホルムでの反戦パレードを先導した──共産主義を樹立した北ベトナムの大使と腕を組み、アメリカを扇動した。南アフリカアパルトヘイト(人種隔離政策)、ソ連チェコスロヴァキアへの侵攻を激しく非難した。クルド人武装勢力をテロリスト組織であると批判した。そしてパルメ氏は、イラン・イラク戦争に仲介し、スウェーデンの武器商人がイランに武器を提供するのを阻止、テヘラン当局の反感を買った。


素人探偵やジャーナリストは、パルメ首相暗殺犯を今でも推理し続けている。クルド人武装勢力アパルトヘイト時代の南アフリカ、CIA、武器商人、はてはスウェーデン警察の仕業ではないかと。

最近、公共放送局SVTが放映したドキュメンタリーには、実行犯として唯一起訴された Christer Pettersson の友人 Roger Ostlund 氏が登場し、 Pettersson がパルメ氏を撃つのを目撃したと証言した。
ストックホルム警察には、50万件以上の捜査資料の山があり、20万件以上の機密情報(垂れ込み)が保存されている。そして現在でも、40人の捜査員が──フルタイムではないにせよ──パルメ事件を追っている。「昨日も情報提供があった」と、ある捜査官は述べる。


パルメ首相暗殺は、平和で穏健な社会を自負していたスウェーデン──護衛なしで、国家首相が街へ繰り出す──に衝撃を与えた。また2003年には、アンナ・リンド外相が25歳の男に刺殺される事件があり、再び、パルメ暗殺の記憶がスウェーデンに甦った。

Sweden honours slain Anna Lindh [BBC NEWS]


パルメ首相の葬儀には、日本からは、福田元総理大臣が出席した。


オロフ・パルメ氏は、労働者と第三世界のために行動を起こした人物として、今後も記憶されるだろう。

ストックホルム大学卒業。スウェーデン全学連委員長時代には、ヴェトナム平和回復運動の先頭に立つ。1952年スウェーデン社会民主労働党に入党。1957年上院議員に初当選。1963年エルランデル首相のもとで無任所相に就任。1965年運輸通信相、1967年教育相を歴任。1969年ターゲ・エルランデルが高齢を理由に引退し、その後を受けて、42歳で社会民主労働党党首及び首相に就任。1976年の総選挙では、ブルジョワ・ブロック(中央党、穏健統一党、国民党)に大敗し、44年ぶりに社会民主労働党が下野。続く1979年の総選挙では善戦したものの政権奪還に失敗。1982年の総選挙では、ブルジョワ・ブロックの失政をついて快勝し、首相に再就任。




ウィキペディア日本語版

He was the leader of the Social Democratic Party from 1969 to 1986 and was Prime Minister of Sweden with a Privy Council Government from 1969 to 1976 and a cabinet government from 1982 until his death by assassination. The murder was the first of its kind in modern Swedish history and was a severe national and political trauma.




Wikipedia en

"Olof Palme was basically a reformer, but he was also one of our country's great speakers and agitators. His passionate commitment and challenging terminology aroused strong feelings," wrote Gunilla Banks for the Palme center.


"Some individuals disliked him to the point of hatred and pursued a virtual persecution of his person. But the majority of Swedes sensed his strong solidarity with the social and economic aspirations of the Swedish people."




Olof Palme: the controversy lives on [The Local Sweden's News]


1986: Swedish prime minister assassinated

He once said: "I know that the Thatchers and the Reagans will be out in a few years. We have to survive till then."

「我々は、サッチャーレーガンに(サッチャリズムレーガノミックス、彼らの政治のやり方に)打ち勝たなければならない」



[関連情報]

私はこれから、いまは亡きパルメ首相の考え方の中のいちばん中心的な部分を皆さんにご紹介したいと思いますので、元首相の文章を少しここで引用させていただきたいと思います。

 「我々人間はすべて異なっています。我々人間のニーズはすべて違っていますし、また素質も違っています。私たちは長所も短所も違っています。したがって私たち全員が一緒に暮らしている社会というのは、少数の人々の要求によってのみ、作られるべきでは決してありません。したがって、社会は我々全員にふさわしいように作られなければなりません。このことこそが、まさに万人のための社会の中心概念となります。その社会の中では、私たちはともに生きます。そういった社会の中では、人々を大きな施設にとじこめてしまって、一生隔離してしまうということはしません。私たちは、すべての人々、子供たちも、大人も、高齢の方々も、違うニーズを持ったすべての人々に会うように社会を設計して作っていかなければなりません。皆さんご存じの「ソサエティ・フォー・オール」というのは、ノーマライゼーションのことを指していると思うのですが、これは国連の世界行動計画の中で非常に強い支持を得ました。」

私が好きな言葉なんですけど、85年にスウェーデンの故パルメ首相が「強い者が得をしないシステムに強い者は金を出さない」と言っています。これ全くその通りだと思います。弱い者だけでなく全ての人が利益を受けられるシステムができて、初めて全ての人がお金を出す気になるのです。その時こそ弱い人を本当に守ることができるのです。強い人が弱い人に恵むという形で助けるというのでは絶対うまく行きません。強い人たちが自分たちのためでもあるんだと思ったとき成功するというんですね。


[オロフ・パルメ賞にアウン・サウン・スー・チー氏]

スウェーデンの「The Olof Palme Memorial Fund」は、ミャンマービルマ)の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー氏に2005年度の「パルメ賞」を授与した。

Aung San Suu Kyi awarded Olof Palme Prize [Yahoo! News]
Olof Palme Memorial Fund to Award Democracy Prize to Aung San Suu Kyi [VOA NEWS]

In announcing its award earlier this year, the Olof Palme Memorial Fund hailed Aung San Suu Kyi's unyielding fight for democracy in her homeland. "To peoples around the world fighting repression," the group said, she "is an important symbol of peaceful opposition to repressive power.


Aung San Suu Kyi was awarded the Nobel Peace Prize 15 years ago, at another ceremony she was unable to attend.