HODGE'S PARROT

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ディスクールとイデオロギー

もし労働者階級が、みずからの社会的・経済的条件から利害を引きださないのならば、労働者階級は、みずからが政治的あるいはイデオロギー的にさまざまに「構築され」ても、それに抵抗できないことになる。わたしが労働者階級とはこうであると、政治的な構築をおこなっても、労働者階級はそれに抵抗できない。わたしの構築に抵抗できるのは、労働者階級をわたしとは異なるかたちで構築する誰かほかの人間でしかない。

労働者階級──あるいはこの問題に関してはいかなる従属階級でもいいのだが──は、かくして、労働者階級を、なんらかの政治戦略に回収せんとする者たちの手で、いかようにもこねくりまわされる粘土のごとき存在となり、社会主義者ファシストとの綱引きによって、あっちにふらふら、こっちにふらふらと揺れ動くしかない。



テリー・イーグルトン『イデオロギーとは何か』(大橋洋一 訳、平凡社ライブラリー)p.444-445

ある人たちを「セクシュアルマイノリティ」という「それだけの理由で」、「クィア」という「侮蔑語」を冠して「構築」すること。どうしてそのことが問題にならないのだろうか。なぜ、「侮蔑語」でなければならないんだ?

偉そうに振舞う研究者という「業者」は、どうして、セクシュアルマイノリティに対しては、平然と「侮蔑語」「差別語」「蔑称」で名指しできるんだ? これが他のマイノリティ──例えば在日外国人や同和地区出身者、障害者に対しては、そのようなアプローチはとらないのではないか。

あるコミュニティの「代表」(リプリゼント)が容認すれば、「それは良し」というのだろうか。しかし、「その」コミュニティというのは、それ自体、誰かにとって都合のよい「表象=代表」(リプリゼント)なのではないか。

差別に非常にセンシティヴであること──マイノリティの中のマイノリティにも目を向け、さらにアイデンティティ・ポリティックスにおいて生じる抑圧性を意識することは、とても大切であると思う。

だからこそ、「様々な差別形態」にセンシティブであり、そして個々人によっても異なる「差別形態」にセンシティヴであることも大切だと思う。

僕は、「差別語」は人を抑圧し、「侮蔑語」は人を傷つけ、「蔑称」の使用は人を従属化させると思っている。ヘイトスピーチは、当然、人を苦しめる。

愛ゆえのレイプ、愛国心ゆえのレイプ』でも書いたように、侮蔑語や蔑称の容認は、

「構造的な従属化」の追認と拡張になる

と思っている。「やおい」のような「同性愛のカリカチュア」も問題だと思っている。しかも「やおい」関係者は、いまだに、「ホモ」という「蔑称」を平然と使っている。
「ホモ」という蔑称の使用は、日本人を「ジャップ」と呼び、朝鮮人を「チョン」と呼ぶことと同じだ。なぜそれがわからないんだ?

対等な人間関係を築くときに、「侮蔑語」や「差別語」や「蔑称」は、不必要である。「侮蔑語」や「差別語」や「蔑称」は、対等な人間関係を阻むものである。そう僕は考えている。

では、いったい労働者は、なぜわざわざ社会主義者になるのかということになる。社会主義者になることは、いまや労働者階級の利害とは関係がない。
(中略)
いずれにせよ、もし政治的利害が、いかなる意味においても、社会のありように対する反応でないなら(そういえば、ヒンデスとハーストの観点では、社会は、それがなんらかの方法で政治的に構築されるようになるまで、いかなるかたちでも存在しえなかったのだが)、もしそうなら、なぜ人は社会主義者フェミニストや人種差別撤廃者になるのだろうか。もちろんヒンデスとハーストにしても、なぜ彼ら自身が社会主義者であるのか、その理由をつまびらかにすれば、どうしても「社会のありよう」に似た何かに触れないではいられないだろう。

けれども厳密にいうと、社会云々という考え方は、彼らの考えかたとは相いれない。したがってラディカルな政治は、いかなる現状にも根拠をもたない道徳的選択のようなものになる。そしてそれに呼応して、この厳格なポスト・アルチュセール派は、マルクス主義では「道徳主義」という名で知られる人間主義的な異端思想にはまりこむことになる。
ひとは、UFOオタクになるのと同じように、ただ、フェミニスト社会主義者になるように思われる。そしてフェミニスト社会主義者のねらいは、彼らの利益を政治的にさらに促進するようなかたちで、他の集団や階級を「構築する」こととなる。しかも「構築される」他の集団や階級が、なぜ、そのような計画に、まがりなりにも関心=利益(インタレスト)をもつかについては、なんら「所与」の理由は存在しないのである。



テリー・イーグルトン『イデオロギーとは何か』p.445-446

クィア理論は、いったい誰を利するのか。何のために「ある集団・階級」を「侮蔑語の容認を強制する形」で、「構築」するのか。そこに潜んでいる欲望は、何か。

イデオロギーとは何か (平凡社ライブラリー)

イデオロギーとは何か (平凡社ライブラリー)