HODGE'S PARROT

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ネオコンの論理 ポストモダンの楽園<外>から一言



昨日の続き

ヨーロッパのアメリカに対する非難は、事実認識の欠如に他ならない。それは「ポストモダンの天国」に安住するヨーロッパ人の「独りよがり」でしかない。ヨーロッパ人は、自分たちが住む「その天国」が、いったい誰によって「保障」されているのかを認めたがらない。
ロバート・ケーガンは、しかし、遠慮なくヨーロッパの「ただ乗り」を指摘する。国際法の遵守や多国間主義といった「美しい主張」は、強大なアメリカの存在に依存したものだ、と。

ヨーロッパが権力政治を拒否し、国際紛争を解決する手段としての軍事力の役割を軽視しているのは、ヨーロッパにアメリカ軍が駐留を続けている事実があるからなのだ。ヨーロッパがカント流の永遠平和を実現できるのは、アメリカが万人に対する万人の戦いというホッブズ流の世界の掟に従って軍事力を行使し、安全を保障しているときだけである。アメリカの軍事力があるから、ヨーロッパは軍事力はもはや重要でないと信じることができる。

ケーガンは、トニー・ブレア首相の顧問であるロバート・クーパーの意見を引く。クーパーは、

ポストモダンの世界にとっての課題は、二重基準ダブル・スタンダード)に慣れることである

と主張する。自分たちのポストモダンな天国=現在のヨーロッパの域内では、「法律に基づき、開かれた協力関係に基づき」行動できるが、ヨーロッパ域外(近代以前=プレモダン)との関係では、

昔の荒っぽい方法に戻る必要があり、軍事力、先制攻撃、策略など、必要な手段を使わなければならない。

カントの難問を解決しているのはアメリカである。「ポストモダンな天国」が形成/維持されるのは、アメリカの圧倒的な軍事力があってこそだ、ヨーロッパはそのことを理解/認識すべきである──たとえ体裁上はそれを認めたくなくてもだ。
ネオコン/ケーガンのクレイムは、「パラダイス」に出資している「スポンサーから一言」といったところだろうか。