HODGE'S PARROT

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オペレーション・オペラ




英紙『サンデー・タイムズ*1は、イスラエルがイランの核関連施設を地中貫通爆弾、通称「バンカーバスター」弾(bunker-buster)で爆撃する計画を作成していると報道した。
当然のことながら、イスラエルの安全保障当局者はこの報道内容を全面的に否定した。


イラン空爆を計画? イスラエル、核開発に反発 英紙報道 [Yahoo!ニュース/産経新聞]

同紙によると、イスラエル空爆対象は、ウラン濃縮を進めているイラン中部ナタンツの核関連施設と、ウラン転換作業を行っている同イスファハンの核技術センター、プルトニウムの製造につながる西部アラクの重水炉施設−の計3カ所。これらを破壊すれば、イランの核開発は不可能になるとみられている。


 地下施設の場合、通常のレーザー誘導弾で地表から穴を掘るようにして徐々に施設に迫り、それで破壊できないときは小型の核爆弾を使用する計画という。地下での爆発になるため、放射能の拡散は抑えられるとして空軍の兵士らが小型の核爆弾の投下に備えた訓練をイスラエル国内の砂漠地帯で行っている。


 戦闘機の操縦士らはこの数週間、英領ジブラルタルまで飛行してイラン国内の標的を想定した飛行訓練を行い、すでにトルコ上空を通過する場合などの3つの飛行ルートを確定したとされる。


 イスラエルは1981年にイラクの核施設を空爆したことがある。


Israel Rejects Report It May Attack Iran [Guardian]

Citing unidentified Israeli military sources, The Sunday Times said the proposals drawn up in Israel involved using so-called ``bunker-buster'' nuclear weapons to attack nuclear facilities at three sites south of the Iranian capital.


Israel has never confirmed it has nuclear weapons, although the Jewish state is widely believed to possess a significant stockpile.


Iran says its nuclear program is solely for peaceful purposes like generating electricity.


産経新聞の記事の最後に記されている、1981年にイスラエルイラクの核施設を空爆した事件というのは、「オペラ作戦」(Operation Opera)または「バビロン作戦」(Operation Babylon)と呼ばれるものだ。


[オペレーション・オペラ]

ウィキペディアの参考資料としても挙がっている「フィクション」、A・J・クィネル の『スナップ・ショット』(『Snap Shot』by A.J.Quinnell)を参照しよう。

スナップ・ショット (集英社文庫)

スナップ・ショット (集英社文庫)

Snap Shot

Snap Shot



解説で伴野朗氏が書いているように、『スナップ・ショット』の主役は、イスラエルの情報機関「モサド」である。第二部に、モサドのネットワーク、暗号名「オレンジ」による、イラクの核施設に対する報告書が載っている。その一部を引用する。

1.イスラエルの敵国(ないしは潜在的敵国)と分類されうるさまざまな国が最近核兵器の製造準備に余念がない。最も重大な脅威となりつつある国々は以下のとおり──エジプト、リビアパキスタン、およびイラク


2.明らかに最も危険な国はイラクである。リビアやエジプトはそれぞれのパトロンであるソ連アメリカの厳しい管理下にあるのにたいし、イラクは独立した(それゆえ野放しの)行動へと走るのに十分な距離をソ連とのあいだに置いているからである。パキスタンは財源と科学的手段の双方を欠くがゆえに後れを取っている。いずれにせよパキスタン原子力計画はインドに対抗するというのが主要な目的である。イルラエルへの脅威はイスラム諸国関係の副産物である。


3.イラクのスポンサーは、おそらくすべての先進国のなかで最も欲得ずくのフランスである。
付記

  • A フランスの石油輸入の五〇パーセントはイラクによって供給されている。
  • B 工業用原子力《ユニット完成品》の一部として、イラクはじつに六兆ドルにのぼる予算で武器を含むフランス製品を購入することに合意した。われわれの予測では1977年から1981年までの期間にこの《ユニット完成品》は百万人以上のフランス人労働者の雇用を保証するはずである。
  • C 最近フランス政府内部に顕著な反イスラエル的(あるいは反ユダヤ的)傾向が見られる。

これらの要因に加え、イラクの石油資源やアラブ世界をリードしようというサダム・フセインの野心などが相俟って、本官の見るところ、イスラエルがかつて直面した最も深刻な脅威が生み出されている。


4. 最近の情勢は以下のとおり──
三ヶ月前、フランスがイラクのために研究訓練用七十メガワット原子炉を建造するという合意が成立した。この原子炉は八百キロワットのミニ原子炉の支援を受けることになる。
契約内容には数項の秘密条項が含まれていることが(主としてオレンジ4の努力で)発見された。そのうちの二項はとりわけ当面の問題に関係がある──
鄯)ユニットの規模に関しては二十五年間にわたり双方ともいかなる情報も公表しない。
鄱)フランスはこの契約に基づく労働者としてユダヤ系のものはいっさい雇わない。


計画されている原子炉が研究目的で産業国に通常使われているものの最低二倍の規模であるというのは重要である。




A.J. クィネル『スナップ・ショット』(大熊栄 訳、集英社文庫)p.97-99


上記は、繰り返すが、『スナップ・ショット』というフィクションに登場する報告書である。

ウィキペディアによるとイスラエルは当初、外交手段によって事態を収拾しようとした。フランス政府に技術供与を取りやめるように要請するが、ジスカールデスタン大統領(所属政党はフランス民主連合、のちのシラク大統領の与党、保守・中道右派国民運動連合)は平和利用のためだとして、断った。

フランスの核兵器技術が欲しかったフセインは、それを得るため、石油収入を使って長期にわたるフランス製兵器の購入契約を結んだ。
1975年11月、サダム・フセインは核施設の買いつけ旅行のためパリに出かけ、ジスカールデスタン政府のジャック・シラク首相と交渉を行った。
フランス人のだれもがこの取引に百%承知したわけではない。フランス原子力委員会アンドレ・ジロー委員長は、イラクへの核設備売却はイラクの核クラブ加入を許すことになると抵抗を示した。
他の政府関係者も異議を唱えた。
しかし、シラクは石油を直接入手することはフランスにとって死活問題だと考えており、もし口を閉じなければ馘首にするとジローに通告した。フランスはイラクの要求に膝を屈した。


(中略)


また、計百機八億ドルの高性能ミラージュF-1超音速戦闘機もフランスからイラクに売却されることになった。




ダン・マッキノン『あの原子炉を叩け!』(平賀秀明 訳、新潮文庫) p.94-95


イスラエル情報部「モサド」及び軍情報部「アマン」は、フランスがイラクに建設している核設備を監視し、情報を収集する特別チームを編成した。脅威は重大であった。フセインはイタリアにも圧力をかけ、核技術の提供を求めていた。

フランス、イタリア、ポルトガルのような金もうけ第一主義の政府の商業活動によって原爆ノウハウ拡散の危険が高まっていることに、世界は憂慮すべきではないのか?


(中略)


イスラエルは、イラク国際法をもちだすのは全くのナンセンスだと考えていた。
なにしろ、イラク自身がイスラエルとは交戦状態にあると見なしているのだから。イラクは休戦交渉にも停戦交渉にも決して応じようとはせず、軍隊や軍用機をくりかえし送ってイスラエルと戦ってきた。戦争それ自体が違法なら、その戦争の中の特定の行為が戦争そのものよりも特に重大であることがありえるだろうか?




ダン・マッキノン『あの原子炉を叩け!』 p.134-135


イスラエル情報部は、フランスでの破壊活動、イタリアでの脅迫戦術を目論む。

1979年4月、フランスのラ・セーヌ・シュルメール港の倉庫に格納されていたイラク向け原子炉格納容器が爆破された(犯行声明はフランスの過激派名義だった)。つぎに1980年6月には、イラクの核開発の責任者がフランスのホテルで撲殺され、8月には原子炉開発の契約企業のローマ事務所と重役の私邸が爆破され(イスラム革命保障委員会から犯行声明があった)、イラクの核開発に関係するフランスとイタリアの科学者宛にイラク差出の脅迫状が送付された。しかし、それらの妨害活動にくじけることなく原子力発電所の完成が近づいたため、イスラエルはあえて国際法に抵触する危険性がある武力攻撃を決意した。



「イラク原子炉爆撃事件」(ウィキペディア)

空襲によるイスラエル側の利点は何か。
イラクの核計画を少なくとも三年後退させ、時間をかせげる、②敵国に対し、イスラエルの軍事能力はいささかも衰えていないという明確なメッセージを送れる。③フランスやイタリアのような核技術保有国に対し、アラブへの供給を停止するよう間接的な警告を送れる──の三点がその利点とされた。


議論の場ではおなじみの題目も唱えられ、それは多分にその場の雰囲気を反映していた。
「好かれて死ぬのと、嫌われて生きるのと、どちらか一方を選ぶなら、私は生きる方を選ぶ」




ダン・マッキノン『あの原子炉を叩け!』 p.144


そして、オペラ作戦が実行に移される。F-16戦闘機8機とF-15戦闘機6機の編隊による「Surgical strike」と呼ばれる超精巧局部攻撃である。

「われわれは訓練のときと同様、スプレッド・フォーメーションで飛行する。これにはいくつかの利点がある。疲労のために誰かが地上に激突しても、全員が巻きこまれることはないので、誰かが目標に到達できる。騒音が比較的小さく、地上から目撃されても、多くの飛行機が飛んでいるようには見えない。わが隊(F-16)は『ブルー中隊』とする」
ドヴは言った。「サミュエル、君はブルー2だ。ヨゼフ、ブルー3。アモス、ブルー4。ダン、ブルー5。イサク、ブルー6。ガブリエル、ブルー7。、そしてウディ、ブルー8。
「F-15は『レッド中隊』とする。アブラハム、レッド1。イツハク、レッド2。、ダヴィド、レッド3。ヤコブ、レッド4。そしてモシェとレヴィがレッド5と6だ。
「四機編隊で飛ぶ。第一グループではアモス、君が右翼を固め、つぎがヨゼフ、次いで私、そしてサミュエル、君が左翼だ。




ダン・マッキノン『あの原子炉を叩け!』 p.205

1981年6月7日午後4時、シナイ半島東部にあるエツィオン空軍基地から飛び立ったイスラエル空軍のF-16戦闘機8機とF-15戦闘機6機がヨルダン及びサウジアラビアを領空侵犯したうえでイラク領内に侵入した。この飛行ルートは事前に対空砲とレーダーの位置をモサドの諜報員によって調べられたイラク防空網の死角であった。




「イラク原子炉爆撃事件」(ウィキペディア)

随行したのはエア・リンガス社の旅客機に似ていたが(アイルランドはその機種をアラブ諸国にリースしていたので、目を惹くことはなかった)、実は、イスラエル所有のボーイング707燃料補給機だった。
戦闘機は密集編隊を保ち、ボーイングはそのすぐ下を飛んでいるので、まるで民間の航空機が民間のルートをただ一機、飛んでいるような感じを与えた。戦闘機たちは”サイレント”で飛んでいた。要するにメッセージは一言も発信しないが、電子戦および通信支援機からの伝言を受け取っていた。その飛行機は敵対国のレーダーをふくむ信号を妨害する役も果たしていた。


半分ほど飛んだイラク領の上空で、ボーイング機は戦闘機に空中給油をした(イスラエルへの帰還飛行は距離が長すぎて、補給なしには不可能だった。それに襲撃後の補給は、追跡される恐れがあるので危険だった。そこで厚かましくも、イラクの真上で補給がおこなわれた)。


補給が完了すると、ボーイングは編隊から離脱し、二機の戦闘機に護られながら北西に向いシリアを抜けて、最終的には正規の民間ルートを飛んででもいるようにキプロス上空に入った。二機の戦闘機はボーイングが敵対国の領空を離れると、ベールシュバの基地へもどっていった。




ビクター・オストロフスキー&クレア・ホイ『モサド情報員の告白』(中山善之 訳、TBSブリタニカ) p.41-42

The attack squadron decended to 30m (100 ft) over the Iraqi desert, attempting to fly under the radar of the Iraqi defenses.



Operation Opera [Wikipedia en]

周囲を見渡し、編隊のラインアップをチェックした。誰もがいるべき位置にいた。きれいな編隊だった。




ダン・マッキノン『あの原子炉を叩け! (新潮文庫)』 p.247

そして午後5時30分前に原子炉付近に到達し、イスラエル空軍機は原子炉を完全に破壊した。この攻撃により原子炉を警備していたイラク軍兵士10名とフランス人技術者1名が犠牲になった。
イラクは当初どこから攻撃を受けたかわからなかったが、翌日イスラエル政府が空爆を認めたうえで、イスラエルの国民の安全確保のためにイラク核武装する以前に先制攻撃したものであり、また原子炉稼動後に攻撃したのでは「死の灰」を広い範囲に降らせる危険があったため実行したと自己の行動を正当化した。




「イラク原子炉爆撃事件」(ウィキペディア)

以下は『スナップ・ショット』の訳者が解説で『オペレーション・オペラ』という「実際の出来事」を紹介するために新聞報道から引用したイスラエル政府声明に関するものである。

  • われわれは長期間にわたって、オシラック原子炉の建設を、深く憂慮しながら注視してきた。われわれは、同原子炉がカムフラージュされてはいるが、原爆製造を目的としていることを知った。信頼すべき筋もこれを確信している。
  • 原爆の目標はイスラエルである。これはイラクフセイン大統領自らが明確にしている。イラン・イラク戦争開戦当初に、イラン軍が同原子炉を爆撃した際、フセイン大統領は、イスラエル攻撃がねらいのこの同原子炉建設を(イランが)ぶち壊そうとして、と述べている。
  • 同原子炉は濃縮ウランかプルトニウムを使って、広島型原爆と同規模の原爆を製造する能力を持っている。これはイスラエルの国家そのものの存在に対する脅威である。極めて信頼すべき筋は、イスラエル政府に対し、同原子炉の完成、始動の時期をことし七月初めか、九月初めと通報してきた。
  • イラク原子炉が稼動するのを認めるなら、イラク原子炉製造を受け身で座視するしかない。イラクの独裁者はイスラエルの諸都市と人口集中地帯に原爆投下することを、ちゅうちょしないだろう。従ってイスラエル政府は国民の福祉を確保するため、もはや二の足を踏むことなく、作戦行動に移ることを決定した。


『スナップ・ショット』訳者のあとがきより p.461-462

次にイブリ・イスラエル空軍司令官のテレビ会見内容から。

  • イスラエル軍はこの作戦のために何ヶ月もの演習とシミュレーション(模擬訓練)を続けてきた。爆撃は万事、当初の計画通りスムーズに実施され、完了したため、作戦後のディブリーフィング(事後評価作業)はきわめて退屈なものだった。
  • 爆撃のための飛行ルート、爆撃方法、作戦実施のための秘密情報収集の詳細な内容については(今後のこともあるので)明らかにできない。



『スナップ・ショット』訳者のあとがきより p.462-463


アメリカ政府をはじめ国際社会は当初、イスラエル非難を声高に行った。が、後に、アメリカが態度を急変させる。国連でのイスラエル制裁決議に、アメリカは拒否権を発動する。

The operation was a success. The reactor complex was put out of commission, and the Iraqi nuclear program set back considerably. Iraq said it would rebuild the facility, and France agreed, in principle, to aid in the reconstruction. However, in 1984, France withdrew from the project.



Operation Opera Wikipedia en)