HODGE'S PARROT

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バウハウス・デッサウ展



東京藝術大学美術館で開催されているバウハウス・デッサウ展へ行ってきた。
http://www.bauhaus-dessau.jp/




すごく面白かった! 様々な図版や絵画、写真はもちろん、椅子や照明器具などの実用的な「製品」も鑑賞の対象であった。のみならずバウハウス・デッサウ校の学生証やカリキュラム表、授業の演習・課題、卒業証書までもガラスケースの中で丁重に展示されていた。さらにはグロピウスが設計した校舎の校長室の再現までされていた。それらがことごとく小粋な楽しいデザインで目を楽しませてくれたのだ。バウハウスダンスなる映像も笑わせてくれた。

バウハウス(Bauhaus)は、1919年、ドイツ・ヴァイマル(ワイマール)に設立された美術(工芸・写真・デザイン等を含む)と建築に関する総合的な教育を行った学校。また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。学校として存在し得たのは、ナチスにより1933年に閉校されるまでのわずか14年間であるが、表現傾向はモダニズム建築に大きな影響を与えた。

バウハウス」はドイツ語で「建築の家」を意味する。中世の建築職人組合である「バウヒュッテBauhütte」という語(「建築の小屋」の意)をグロピウスが現代的にしたものである。




バウハウス [ウィキペディア]

The Bauhaus and America: First Contacts, 1919-1936 (The MIT Press) Bauhaus: 1919-1933 The Bauhaus Ideal: Then and Now: An Illustrated Guide to Modernist Design and Its Legacy Dessau Aid Bauhaus (Architecture in Detail) Design and Form: The Basic Course at the Bauhaus and Later Bauhaus: 1919 - 1933 (Taschen 25) The Bauhaus: 1919 - 1933 : Reform and Avant-garde (Basic Art Series)










http://www.bauhaus.de/


Bauhaus Dessau

bauhaus documentario p.03

Bauhaus (Memoire) Herbert Bayer: The Bauhaus Legacy Bauhaus (Temporis) Bauhaus Tel Aviv: An Architectural Guide Bauhaus Bauhuas Lighting? Kandemlight Albers and Moholy-Nagy: From the Bauhaus to the New World









http://www.bauhaus-dessau.de/




それでこの展覧会で印象に残ったものをアトランダムに挙げると……エル・リシツキー《赤き楔で白を撃て》(タイトルがカッコイイ)、ペーター・ベーレンスドイツ工作連盟》(男性の逞しい裸体だ)*1ヨハネス・ベルトホルト《頭部》(ギョッとするデザイン)、ヨースト・シュミット《7つのチャクラ、自然物と人造物より 人間の機能を制御する装置としての感覚:「人間と空間」を主題とする研究、造形論の原理、授業用のスケッチ》(難しそうなタイトルと裏腹にキュートな絵なんだこれが)、フランツ・エーリヒ《青・黄と白の頂点》(シンプルな色の組み合わせが絶妙)、ロッテ・ゲルソン=コライン《ウニとカニのはさみの影》(モノクロ写真が憂いを帯びていて素敵だ)、そしてラスロ・モホイ=ナジ《私は何もしらない》……
そう。僕はバウハウスについてほどんど何も知らなかったので(椅子やポットなどの「日用品」の前に立つと、なんだかまるで無印良品の店に入ったような感じがした)、そのデザインポリシーを整理しようとカタログを買ってきた。レンガのような分厚さで、何かのマニュアルのようだ(だから別の実用的な「マニュアル本」と一緒に並べてみた)。読み応えがあるな。デザインもシンプルで粋だ。センスがいい──持っているだけでセンスがある感じ。


で、この「センスのいいマニュアル」を読むと、なるほどな、と思うようなこと書いてあった。

西洋近代のバウハウスは、不安的で危機的な時代状況の中で、建築(バウ)を観念的な中心としながらも、技術・芸術から生産までを統合して、近代社会そして来るべき社会における理想的な生活環境の総合デザインを追及した近代(当時は現代)のバウヒュッテであった。
この両者の相違は、バウヒュッテが理想世界を天上の神の国に求めたのに対して(それ故にゴシック聖堂は天上を指向した)、バウハウスは地上の人間社会の中に理想的な生活環境を築こうとしたことにあり、この点こそが今日でいうところのバウハウスの近代性であった。しかしそれらはどちらも永遠に実現しない理想であって、そのためにバウハウスは実験と対立をくりかえし、その最後は外圧によるとはいえ事実上の自己崩壊であった。





薩摩雅登  序論:「バウハウス・デッサウ」展 p.49



追記。
そういえば、スティーヴン・トゥールミン&アラン・ジャニクの『ウィトゲンシュタインのウィーン』ではアドルフ・ロースの建築について(シェーンベルクの「機能的な」十二音技法の音楽と対比させながら)書かれていたので、もしかしたら……と、見たら、バウハウスについての指摘があった。彼らによれば、バウハウスとは、アドルフ・ロースの建築のように「固有の用途へ適合させる」ために<機能的>であるのではなく、「いかなる機能にも役立つように一般化した」ために、それは<構造的>である、ということだ。

建築における現代スタイルそのものを創造したのは、ロースの後を継ぎ、彼の作品を基礎にした世代であった。すなわち、この世代は、ロースの技術的単純化の最初の産物を取り上げてそれらを分析し、かくして、よく知られているコンクリートとガラスの厚板や靴箱のような建物を作ったのであるが、これらに対して1920年末以来「現代建築」という名称がはりつけられるようになった。ここではグロピウスとバウハウス派の影響が顕著であった。


バウハウスの若い世代は、自分達自身のスローガンをロースの原理に置き、また自分達自身の建築様式は高度に機能的であるとして示しながら、実際はロースの建築をまったく別なものへ変えてしまった。あらゆる設計をそれに固有の用途へ適合させるロースのような高度の感覚を欠いていたので、彼らはいかなる機能にも役立ちうるような一般化された多目的な構造建築を自分達の建築に課したのである。


全く皮肉なことであるが、このような発展の結果は設計様式の画一化であり、その作用原理は機能的ではなく、ほとんど余すところなく構造的であった。典型的なバウハウスの建築は、その形式を細部まで最初の設計で機能によって決定するのではなく、一般化された「論理空間」を提供するにすぎなかったので、特定の様式で実現される建築的可能性の集合は、わずかに後にその建物に人が住んだ後で確定されるのであった。(よく引用された「生活空間を区分する」という概念を思い起こせ)。


その結果として生まれた構造は、機能的であるどころか、幾何学座標の純粋なデカルト的体系を物理的に実現した、これまでの最近似にすぎなかったといってよい。建築家は単に構造上の参照軸を明らかにするだけであり、それらの範囲内で居住者が自由に実際上無制限な生活区域もしくは居住区域を追求するのである。実際、機能からいえば、これらの建築はいかなる時期の建築とも同じく設計者不明のものであった。これらの建築のデカルト的スタイルは、それらが用いられる用途を示すどころか、それを完全に隠していた。





ウィトゲンシュタインのウィーン』(藤村竜雄 訳、TBSブリタニカ) p.305-306

*1:ドイツ工作連盟(DWB、Deutscher Werkbund)の中心人物であった建築家ヘルマン・ムテジウス/Hermann Muthesius は次のように語った。「機械が産み出すことのできるものの形を、人の心に考えさせてみよう。これらの形は、それらが機械のなしうることと調和しながら論理的に展開してゆくなら、十分芸術的と呼ぶに値しよう。それらはもはや模倣による工芸品ではなく、機械が産み出した典型的な形であるがゆえに、人を満足させるであろう」(『アール・ヌーヴォーの世界(3) 色彩のエロティシズム クリムトとウィーン』より p.109、学習研究社