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性見つめ、生の可能性問う  ジュディス・バトラー インタビュー




TransNews の alfayoko さんが教えてくれた、朝日新聞夕刊(2006年1月25日)のジュディス・バトラーのインタビュー記事を、図書館からコピーしてきた。

記事は短いながらも、バトラーの著書『ジェンダー・トラブル』の意義や最近の論考を要領良く押さえたもの。いろいろと考えさせてくれる。
とくにタイトルにもある「生の可能性」について。バトラーは問う。誰が生きるに値し、誰が値しないと思われるのか。境界はどのように引かれ、それを決定している考え方はどのようなものか。境界を維持するため、どんな社会的装置が使われているか。

「それらを考え、生の可能性を広げる必要がある。これまで推しつけられてきた規範的な人間の生ではなく、もっと広い生の可能性です。それはアフガニスタンイラクでの戦争で誰が生きるに値すると思われ、誰が思われないかという問題にも波及し、1945年の広島にも通じます。戦争反対の根拠は、生の序列化という意味においても考えなければならない」

また、バトラーは、同性のパートナーと生活をしているが、同性婚/法制化を支持しつつも、自身は「結婚」という形はとりたくないと言う。「国家の規制に反対し、権利を拡大するとともに、国家からの自由もまた追求すべきだ」という考えだ。

そして同性愛/同性の関係性について、重要な指摘。

エイズ危機の時には多くの人が亡くなったが、ゲイには恋人の死を公的に悼むことが許されなかった。
「同性の関係性も愛も追悼の気持ちも、社会的に『承認』されてはいなかったのです」

これらバトラーの見解について、川原泉のような人間や「その取り巻きども」は、いったいどのような「応答」ができるのか。

「真面目な人には裏がある」(メロディ2月号)


たっくんの同性愛傾向を知るために二人がとった行動とは、
小動物、マッチョ、文学青年、天才、というタイプの違う男たちをそばに呼んで、
たっくんの反応を観察することだった!


「最近の川原」より

これはどういうことなんだ? 同性愛(者)を「実験」の材料にして「観察」するマンガを川原は連載しているということなのか? ふざけるな。