HODGE'S PARROT

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パトリック


何の予備知識もなく、アマゾンプライムでの視聴がもうすぐ終了する映画リストに入っていた、というそれだけの理由で何気なく──手の筋肉が反射的に動いたかのように──クリックして観た映画、それがこの『パトリック 戦慄病棟』だ。いわゆるB級ホラーなのだが、ときおり映し出されるショットがやけに美しく凝っており、ストーリーの展開も無駄なく、無理なく、スマートに運び、一気に観てしまった。面白かった、だけではなく、「そのイメージ」がどこか後を引くような、「そのイメージ」に何か思い出させるような、いわく言い難い後味の残る映画でもあった。
見終えた後、調べたところ、この『パトリック 戦慄病棟』(2013年)は、『サイコ2』で有名なリチャード・フランクリン監督の『パトリック』(1978年)のリメイクだという。それを知って、このような『パトリック2』とも言える映画を撮った監督のマーク・ハートリーは、元映画のどの部分に惹かれ、それを自分でどのように再演してみたいと思ったのか、それは僕がそれとなく感じたものと同じなのか、違うのか、というのを頭の片隅に置きながら以下にこの映画を見て、そこから受け取った個人的な印象をメモしておきたい。

映画『パトリック 戦慄病棟』予告編

【概要】
恋人と別れた看護師のキャシーは、すべてをやり直すために人里離れた精神科病院へ求職する、という、どこかで見たような定番中の定番のプロローグで始まる。だが、その病院は、かつて天才と呼ばれたロジェ医師が脳死や昏睡で植物状態の患者を収容するために修道院跡に建てたいわくつきのものだった、という、これもまた既視感のある、やはり定番の道具立てになっている──それは、マッド・サイエンティストが人体実験を行っていることを、ある程度ホラー系の映画や小説を嗜んでいる視聴者に向けて「わかるよね」と言葉で説明するのではなく映像の雰囲気で語りかけているかのような気にさせられる。
そんな中で、この映画のオリジナルな部分と言えるのは(といってもリメイクであるが)、看護師のキャシーが脳死状態の患者の一人であるパトリックという青年に魅入られることだ。キャシーはピクリとも動かないパトリックを美しいと思う。瞬き一つしないパトリックに親愛の情を抱く。
それは、電子機材に繋がれ植物状態で意思の疎通ができない(そもそも彼に意思があるのか?)人形のような若い男性と中年女性の特殊な交感という逆ピグマリオンの状況を予想させる。そして予想通り、彼女の願いが神に叶えられたかのように、キャシーが親愛の情をこめて話しかけると……パトリックは唾を吐いて応えてくれる。
キャシーはパトリックが「生きている」ことを確信する。彼は唾を吐いて自分にだけ「生きている」証拠を示してくれる。しかしロジェ医師はそんなパトリックに対して治療という名の電気ショックを与え虐待している──昏睡状態にある人間には「人格」はないのだというばかりに。キャシーは思う。彼を救わなければならない。彼は私に助けを求めているはずだ。私にしか彼を救うことができない、なぜなら彼が「生きている」のを理解しているのは私だけなのだから。彼を見捨てることはできない──「善きサマリア人」のようにならなければならない。
「生きている」パトリックを救おうとしたキャシーは、しかしそれが大誤算だったことを知る。身動きできないパトリックは、実はテレキネシスを獲得した超能力者で、キャシーを「自分のもの」にするために、あらゆる手段を講じて「彼の意思」を彼女のもとへ伝達させ「彼女の意思」をコントロールしようとする。


【B級度とB級的整合性】
何より、植物状態でベッドに仰向けに寝ているブリーフ一枚の青年が脊髄反射的に唾を吐く、というイメージが超絶忘れがたい。パトリック役の俳優の名前がわからなくても(もうすでに忘れている)、タイトルの『パトリック』さえ忘れても、「あれ、あの唾を吐く(B級)映画」として、僕の記憶に末永く残るだろう。
この「唾を吐くこと」はロジェ医師がカエルを殺し、それに電流を流して、カエルが動く(反応する)ことをキャシーの目の前で実験することで、ごく当たり前の自然現象として説明される。同時に、この電流が流れている状態は、パトリックが途方もない能力をどうやって獲得しているのかという超自然現象の一応の説明にもなってくる。パトリック(や他の患者たち)がかろうじて生命を維持しているのは電子機材に「接続している」からである。
そこから……その一応の説明=仮説を独自に拡張し飛躍させることによって、パトリックはPCやスマートフォンに「彼の」メッセージを流してキャシーとコミュニケーションを取ることができる。電流を電波に拡張して、彼の意思をそれによって伝達させ、キャシーにちょっかいを出し彼女の意思決定に影響を与えると思われる男たちのスマートフォンにメッセージ(パッケージ化された念力?)を送り、遠隔操作で彼らを操る。そこから導かれる結論は、電波の届かない場所ではパトリックのパワーは無力であり、電流がパトリックに流れていない状態は、彼にとっての「死」を意味することである。もちろんテレキネシスについての講釈も少しだけ挿入される。テレキネシス(のようなもの)が確認できるということから、昏睡し植物状態にあるパトリックにも意思があることが証明される。
こういう超自然現象に対し、いちいち説明があるということは、パトリックは全能ではない、ということを表現したいのだろうか? ある条件の下では、彼は万能である。しかしその条件を満たさなければ、彼は無力である。実際、パトリックをはじめとする患者たちは、いつだって「無力」なのである。


【伏線と伏線の回収】
脳死や昏睡状態の人間を「生かしている」のが電子機材であり、パトリックの超能力も電流とそれを拡張したものに帰着させている以上、悪魔化した彼を「本当に殺す」ためには装置の電源を切ればよいことになる、というのは視聴者だけでなく映画の登場人物も共有している知識である。実際、ストーリーは予想通り、それを目指して展開する。もちろん、登場人物たちが電子装置の電源を切断しようとすると、パトリックはそれに対して抵抗手段を取る。
ここでは(この限りにおいては)「殺す者」と「殺される者」との戦い、であるのだが「殺される者」であるはずのパトリックはピクリとも動かず、瞬き一つしない。彼は静かに無言でベッドに横たわっているだけである。病室では安っぽい電光板が鈍い光を放ち、機材の振動音が響いているだけである。一見、ごくありふれた病院内の描写ではあるが、それを見る人に、それを見ようとする人に、それを「そのように」見ようとする人に「そのイメージ」を喚起させるに充分だろう。
そう考えると、その限りにおいては、その描写がどれほど重要な意味を持つのか、単なる監督のB級映画的趣味なんだかわからないカエルのピクピクした動きも、妙な具合に繰り返し画面に登場することが個人的に気になってくる──この部分、高度な文脈で「わかるよね」と言われているような気がしてならない。なぜなら、この映画で特徴的なのは、しっかりと伏線を張り、それをしっかりと回収することにあると思うからだ。内容的には、たしかにB級で微妙な部分があっても、伏線の回収という操作それ自体には個人的に感心した。それが無駄なく、無理なく、スマートな映画だと思わせるところである。
例えば病院の患者の中に一人だけ動くことのできる人物がいる。彼は元電気技師で電気系統の事故で片目を失い焼け爛れた顔になっている。その彼の日課になっている条件反射的行動が伏線になっていて、クライマックスで彼は無意識のうちに大活躍し、キャシーを救うことになる。その伏線と伏線の回収は見事だと思った。感動したと言ってもよい。
しかもそれだけに終わらない。この伏線の回収にはもう一つの分岐があった。レイチェル・グリフィス演じる看護師長が、美しい悪魔パトリックを「本当に殺す」ために機械室に入り病院の電源を落とそうとするのだが、しかし、パトリックの反撃にあい、身体に電流を流され、元電気技師の患者そっくりに目を潰され、顔を焼かれ、殺される。B級ホラーの面目躍如とも言える身体破損の場面であるが(しかも著名女優を使って)、それは、無駄なく、無理なく、スマートな伏線のもう一つの回収でもあった。見事だった。感激したと言ってもよい。


【パトリック】
パトリックとは何者なのだろうか?
パトリックは mother's boy だった(と説明される)。しかし母は息子パトリックの思いを裏切る(と彼は思うと説明される)。それどころかパトリックの目の前で再婚した夫/パトリックの義父との情愛を見せつける(視聴者に殺してもよい人間だとそれとなく説明する)。それを見て苦悩し思い余った──と言いたいところだが、そのような人間的な描写はあまりなく、唐突に配管工のような出で立ちで入浴中の二人の前に現れたパトリックは、無表情でまるで配管工がいつもの作業をしているかのように、義父を殺し、母親も殺す。殺害方法は、予想通り、電熱線ストーブ?による感電死である。バスタブに漏電させ、短時間で義父を殺し、時間をかけて母親を死に追いやる。
その後、パトリックは自殺を図る。母親の死体が浮かび、電流がバシバシ流れているかのように見える水を張ったバスタブの中に、パトリックは素裸になって飛び込む──そのクライマックスの場面の映像は、それが何をイメージしているのか「わかるよね」、と見るものに語りかけている、はずだ。このとき死にきれなかったパトリックは脳を損傷し、昏睡状態になり、ロジェ医師の病院に収容されたのだった。


【映画で語られなかったこと】
カエルのイメージから京極夏彦の『姑獲鳥の夏』を思い出した。そこでは産院での密室殺人と想像妊娠が描かれていた。