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Deutsch Amerikanische Freundschaft について知らなかったこと


Twitter の流れるタイムラインの中から偶然目にした D.A.F.(Deutsch Amerikanische Freundschaft)という音楽ユニット(デュオ)。そのどこか懐かしげな電子音楽(エレクトロ)の響きと、そのどこか訳知りなイメージを喚起するミュージックビデオに刺激を受け、ちょっと調べてみた。結論から言うと、もっと早くに知っておくべき存在だった。
DAF - Der Räuber und der Prinz 1981

DAF は1978年にデュッセルドルフで活動を開始。ウィキペディアによると、名前の「Deutsch Amerikanische Freundschaft(独米友好協会)」(英語だと「German-American Friendship」)は、旧東ドイツの独ソ友好協会(Deutsch-Sowjetische Freundschaft)と西ドイツの過激派ドイツ赤軍(RAF)のパロディだということだ。

冷戦期のヨーロッパ、とくに東西に分割されたドイツで「独米友好協会」と自らを名付ける音楽ユニットの活動が政治的でないわけがない。どのように政治的だったのだろか?
『The Guardian』に Cult heroes: DAF ? electro brutalists using hedonism as heroism
と題された記事が載っていた。この記事から知っておくべきことを以下にまとめてみた。

記事では、80年代に活躍した英米の音楽デュオと DAF がいかに異なっているか、その典型的なデュオ(同性二人組)の形態──フロントマン(リードボーカル)と、その「相棒」──といかに異なっているか、そもそも DAF はもともと5人のメンバーで始動した、などといった基本情報に意味が添えられていく。英米のバンドの典型的な流儀(rulebook)に従っていないこと──それが DAF なのである、と。
その態度は、ポップミュージックにおける英米帝国主義に抵抗する、という DAF のインタビューでの発言に集約される。それは「独米友好協会」というユニット名と相まってパラドシカルな/アンビバレントな意味を帯びる。
音楽的には、同時期のドイツで活躍したクラフトワーク電子音楽とは目指すところが異なる。 DAFクラフトワーク的な洗練さとは違った、どこか粗くキツい音響を轟かせるのだ。
クラフトワークとの違いから、『The Guardian』の記事では、さらに、 DAF が当時の音楽シーンを知る者にとって忘れがたい印象を植え付けたもの、「それが DAFである」 というものが挙げられていく。
DAF - El Que

それは、ガビ・デルガド=ロペス(Gabi Delgado-Lopez)とロベルト・ゲアル(Robert Gorl)の二人が醸し出す同性愛的な雰囲気。後の Frankie Goes to Hollywood を彷彿とさせる、と『The Guardian』は書いている──これ見よがしの同性愛者の二人、あのホリー・ジョンソンとポール・ラザフォードのような。それは、ドイツで最高にハードコアなナイトクラブ──そこにいるのがゲイであっても、そうでなくても──ための音楽。
『Alles Ist Gut』のカヴァーでは、ガビ・デルガド=ロペスがポストパンク風に短く髪を刈り上げ、濡れて輝く裸体をこれ見よがしに披露している。ロベルト・ゲアルも心を一にする同士のように官能的で逞しい肉体を誇らしく露出する。アルバム『Gold und Liebe』では、そんな二人がクルーカットに黒のレザージャケットに身をまとったカヴァーがこれ見よがしに採用されている。

Alles ist Gut

Alles ist Gut

Gold Und Liebe

Gold Und Liebe

ヴァージン・レコードからリリースされたこれら『Alles Ist Gut』『Gold und Liebe』と『Für Immer』は、「これが DAFである」と言うに相応しく、ドイツ国内以外でも彼らを有名にした一方、毀誉褒貶が激しい問題作である。
それは、 DAF が、いまだ第三帝国の記憶が生々しく残っているドイツにおいて、ナチズムを禁じられた快楽のように扱って見せたことにある。機械による正確なパルス状の音にあわせて、人間の手による生ドラムの音がそれに倣い、それと連動し、それに正確に一致させて響き鳴らされる。それは全体主義のイメージを喚起させるものであるが(こういうのがファシズムなんですよ、と言いつつ、では実践してみましょうと誘惑し)、それを見、それを聴いている者に陶酔感を与えるものでもある。
戦後のドイツの規範では、ファシズムを連想させること、ファシズムと親和性があると見なされること、すなわちそれと近似した行為はすべて非規範的なものであり、ましてやそこに享楽を見い出すこと、すなわち魅力的にファシズムを語り魅力的なファシストを演じることが何か、とりわけ身体的な快楽に結びつくようなことなど……。だからこそ、禁じられた行為にどこまで近似することが我々には可能かというゲーム──それをプレイすること、それを快楽にすること──それが政治性を帯びてくる。 DAF は言葉でも挑発する。『Der Mussolini』というトラックでは、次のようなセンテンスがリフレインされる──”tanz der Mussolini” “tanz der Adolf Hitler”。


なお、 DAF のことは最初に書いたように、つい先日まで知らなかった。楽曲も YouTubeSpotify で数曲聴いただけ。なので以上のことを書くにあたっては『The Guardian』の記事とウィキペディアなどを参照し、知らないことについてだけれども、ずっと以前から知っているかのように「作って」書いているところがある──だから、もしかすると見当違いなところもあるだろう。
DAF - Der Raeuber und der Prinz



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