HODGE'S PARROT

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『ホーム・ドラマ』 Sitcom /1998/フランス 監督フランソワ・オゾン

最後の葬式の場面で、マーラー交響曲第一番の3楽章が流れる。この暗鬱さを装ったキッチュな音楽は、マーラーがジャック・カロ風の諷刺画からインスピレーションを得たもので、その絵は森の動物たちが死んだ狩人の柩をかついでいるという皮肉な葬送の場面を描いたものだ。しかも<フレール・ジャック>というヨーロッパ人なら誰でも知っている旋律が「短調に変換されて」──すなわちパロディ化されている。そんな諧謔的な音楽が、さらにこの映画では、チープな携帯電話の音に中断される。

とことん手の込んだ──あるいは屈折した──悪戯をしているってもんだな、フランソワ・オゾンは。

フランソワ・オゾンの長編第一作がこれ。家族みんなで楽しむはずのシチュエーション・コメディ(Sitcom)を、悪意に満ちたユーモアとエロティックさで18禁スラップスティック・コメディに引きづり降ろしている。
ストーリーは、あるブルジョワのお上品な家族が、ちょっとした切っ掛けによって、猥雑の限りを尽くすというもの。同性愛、近親相姦、身障者のSM、インターレイシャル──どれもコンサバ家庭にあるまじきガジェットだ。

あれ、そういえば、そんな話あったな、ってご存じパゾリーニの『テオレマ』。共産主義者パゾリーニが、ブルジョワ憎しで上品ぶった家庭をぶっつぶしたのなら、オゾンはメロドラマにうってつけのアメリカ的コンサバ家庭のプロトタイプ(ガジェット)を、哄笑を響かせながら粉砕する。そして『テオレマ』では、家庭崩壊の原因を作ったのが一人の美青年だったが、『ホーム・ドラマ』の方では、一匹のネズミ。フランス的?カフカ的?不条理の最たるものだ。

そしてオゾンと言えば、お約束のゲイ・テイスト。息子のニコラがゲイに目覚め、お食事会の場でいきなりカミングアウト。それまでビル・ゲイツみたいな根暗でナードなやつだったのが、外交的でスポーツに熱中し、バーゲンでゴルチエの服を購入、挙句の果てに家で乱交パーティを主催。

もちろん裸体を惜しげもなく晒すのは、男ばかり。とくに娘のボーイフレンドのダヴィッドが最高にいい。画面に登場したときから、ウホォ!いい男(C 山川純一、と思っていたが、さすがオゾン、やってくれた。彼に縞のブリーフ一枚&ボディーハーネスを着せ、車椅子の女王サマに奉仕するM役に仕立ててくれた(この身障者のSMシーンは絵的にとてもシュールで名場面と言ってもよいだろう。印象的なのはダヴィッドのブリーフと同様、背景の壁紙も縞模様になっているところだ)。さらにスペイン人の女中に誘惑されて、画面にはボカシが入る(なんだよー)。