HODGE'S PARROT

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『クリミナル・ラヴァーズ』 Les Amants Criminels /1999/フランス 監督フランソワ・オゾン

「もうひとつ言ってやろう」おれは言った。「今までに読んだ糞みたいな聖書の文句より、ずっとためになることだぞ。目なんか見えない方がましなんだ、アンクル・ジョン。便所だと言って窓のところに連れてこられて、目が見えないからそれを信じて、そこからションベンしてしまうやつの方が、そういう悪ふざけする側のやつでいるより、ましなんだよ。そういう悪ふざけをするやつって、誰だか知ってるか、アンクル・ジョン? 誰もかれもそうなんだよ。

ジム・トンプスン『ポップ1280』(三上基好訳、扶桑社)

トンプスンを引いたのは、単なる気まぐれではない。フランソワ・オゾンの映画には、キャンプなゲイ感覚だけに遊んでいられない凄味がある。この『クリミナル・ラヴァーズ』は『俺たちに明日はない』や『ゲッタウェイ』(原作はトンプスンだ)のパスティーシュとも言える、犯罪者カップルの逃避行を描いているが、そのノワールな後味は、トンプスン作品に通じる残酷で捻くれた反世界を映し出す。

SMに興じる高校生の男女カップル。この「最初の世界」では、主従関係は主が女、従が男。すなわちアリスは、恋人リュックを使って、真に愛しているアラブ人の同級生サイードを殺させる。

イード:俺ってハンサムだろう? いつかお前を犯してやるからな。
アリス :犯すのはわたしよ、バカ。

その殺意のトリガーとなるのが、アルチュール・ランボーのテクスト。彼女は普段からサイードについて妄想的なテクストをしたためていた(この美少年を称えるテクストは、後で男たちの愛の場面で朗読される。サイードフィルム・ノワールに登場する「運命の女」のパロディなのかもしれない)。サイード殺害も妄想が生み出したフィクションのはずであった、無邪気な刺激を求めて……。
二人は、この世界を脱出し、「次の世界」へと逃避する──そこは『ヘンデルとグレーテル』を思わす森の中だった(ちなみにここまでで二人の両親は一切登場しない。もうすでに現実の世界とは一線を引いている。すでに「童話」の世界が始まっている)

森の中では、主従関係は逆転する。というより、アリスの「女としての魅力」は「現実の世界」と違って最早、何の効力ももたない──トンプスンの世界で良識や常識が通用しないように。森に君臨している男は同性愛者で、アリスを監禁する一方、リュックに対しては、体を洗い、食事を与え、首輪をつけ、連れまわす。しかし重要なのは、ここでリュックがはっきりと自分の同性愛に目覚めることだ(これまでアリスとはイクことが出来なかったし、何よりサイードの殺害シーンは、まるで美しいサイードを犯しているようなエロティックさを感じさせた)。
だから、森の男とリュックのセックスをいやらしく惨めに窃覗するのは、女であるアリスの役割だ。

幻想性は一層高まり(グロテスクなカニバリズムは、まあオゾンだな)、フラッシュバック/回想シーンがこれまで隠されていた事実を明るみにし、まさしく童話的な映像シーンの後、ラストの破局へと突入する。