HODGE'S PARROT

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『オールモスト・ブルー』 Almost Blue /2000/イタリア 監督アレックス・インファッセリ

イタリア、ボローニャが舞台のシリアル・キラーもの。特異な家庭環境に育った若い男が、自分と同じくらいの大学生を殺害し、全裸にし、被害者のアイデンティティを盗む──つまり被害者そっくりになる。
一方、その犯人を追うのが女性というハンディ(同僚の男性捜査官にナメられ、高卒なので昇進にも限度がある)を持った捜査官。そこにやはり盲目というハンディを背負ったパソコンマニアの青年が捜査に協力し、二人の間にロマンティックな交流が芽生える、というまるで一頃流行ったサイコ・スリラーの見本のような作品。題名はエルヴィス・コステロの曲からきており、その音楽が何度も流される。

女性捜査官が活躍するサイコ・スリラーというとパトリシア・コーンウェルの『検死官』、デイヴィッド・リンジー『悪魔が目をとじるまで』、フィリップ・カー『殺人探求』等の小説が思い浮かぶが、それらと比べてこの映画にはどうしてもストーリーに「甘さ」を感じてしまう。犯人もやたらとテンションが高いわりには、「なぜ?」という「理屈」が弱い。少なくとも中高生向き書籍(マンガとか)の解説にもデリダがどうのラカンがどうのと言うのが流行ってる日本では、この程度の俗流精神分析は「マジメなものとして」通用しないだろう。
ましてや、交通渋滞により犯人の魔の手が被害者に迫るのをヒロインが阻止できなかったり、そのヒロインが一人で犯人が潜んでいる家に向かうところなんか、あざとさを通し越して失笑してしまう。

しかし見逃せないことが一点ある。それは監督もインタビューで触れているように、この映画はフランシス・ベイコンの絵画に触発されたということだ。犯人が狙っているのは全て男性で、その死に様は顔や身体が捻じ切られたように「肉」が露出している。もちろん辺りは血の海だ。そしてアイデンティティをコピー=盗むということは、どこかで被害者と犯人が「融合」しているわけで、例えばベイコンの『レスリングをする二人の男』に見られるように、殺す者と殺される者の間には濃密な交合の「瞬間」があるはずだ。
また、いちおう公式には自殺となっている犯人の兄は、多分最初の被害者であり、注射針が無数に刺された死体は、聖セバスチャンの映像と「あざとく」重なる──つまり同性愛的パッション(受苦/情熱)を匂わせている。
ストーリー展開には多少不満があるものの、映像的には印象的なところがある映画だ。