HODGE'S PARROT

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『イグジステンズ』 eXistenZ /1999/イギリス・カナダ 監督デイビッド・クローネンバーグ

滝本誠氏によるポピー・Z・ブライト『絢爛たる屍』(文春文庫)の解説を読んで奮い立った、ブライトに負けてらんないなと。

というわけで、デイヴィッド・クローネンバーグ監督『イグジステンズ』のレビュー。
ゲイ・ポルノでは、アヌスを舐めること──つまり"Lick"することを、"Ass Eating"もしくは"Rimming"と言う。"eat""rim"という単語からその生々しさと濃厚さ、意味合いが伝わるだろう。さらに「ポート」と「ロッド」の二つの「器官」を持ち合わせた男性ならば、理論的に、何人とでも同時に「性的なネットワーク」を「構築」できる。

映画『イグジステンズ』を観ながら考えていたのはそんなことばかりだった。だってバイオ・ポートって、まともに肛門でしょう。そこに臍の緒みたいなロッドを挿入して「プレイ」するのだが、そのとき「ポート」に唾をつけて舐め、指でほぐし、さらにKYゼリーのようなジェルも塗っている。アナル・セックス経験者なら誰だってその「プロトコル」に笑い出すんじゃないかと思う。しかもジュード・ロウが最初にバイオ・ポートを貫通させたときの痛がりようといい、腰砕けの状態といい他にどう解釈したらよいのだろう。

つまり「eXistenZ」というゲームは、近未来のゲームでもなんでもなく、「すでに存在(実存)」している快楽の「ポート」気付いた人間たちのプレイ、そして『イグジステンズ』という映画は彼らの「法悦の詩」をいつもの悪趣味な小道具で幻想的に描いた、と言えるだろう。
ただ、『ビデオドローム』ほどの衝撃が走らないのは、実際僕が似たような「ゲーム」を散々「プレイ」してしまったからかもしれない。