HODGE'S PARROT

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『渦』 Maelstrom/2000/カナダ 監督デニ・ビルヌーブ

同性愛結婚OKのカナダならばこそ、「異性愛/同性愛」をテキトーに「対象化」「分析化」しても、PC(ポリティカル・コレクト)的にOKだろう。で、これは「異常な」「異性愛映画」だ。

大女優の娘ビビアンは、25歳の企業家。しかし、ブティックの経営は思わしくなく、彼女自身、妊娠中絶をしたばかり。精神は不安定で刹那的な快楽(ドラッグ&セックス)に溺れている。
そんな中、彼女は、轢き逃げ事件を起す。轢き殺した相手は、魚の卸売り業者の男。しかし幸運(?)なことに、彼女の「犯罪」は誰も知らない──警察もやってこない。自殺(?)を図るが死にきれず、ふいにビビアンは、轢き殺した男の死体安置場へと趣く。そこで出会うのが──死んだ(殺した)男の息子、エヴィアンだ。彼女は、ノルウェーからやってきたハンサムな青年に惹かれ、やがて二人は恋に落ちる……。

こういう──まるでルース・レンデル的な──ストーリーなのだが、意外なことにハッピー・エンドで終わる。寓話的というか、すべての行動がなんだか「因果」めいている感じ(例えば、轢き殺した男の死体が発見されるのは、ビビアンが友人と食べに行ったレストランのタコが「原因」だった)。

何より、ビビアンとエヴィアンの出会いは、「死」であるし、ビビアンが殺人を「告白」するまで、エヴィアンは「父親を殺した奴を殺してやる」と息巻いていた──だからこそ、ビビアンは「自分を殺して/裁いて欲しい」とエヴィアンに近づいた、とも解釈できる。

そしてまた、エヴィアンの視点に立てば、「父親の死」によって、ビビアンという女性とセックスができた──贈与された。このことを「深読み」すればだ、もしかしてエヴィアンは、無意識のうちに「父親殺し」を「依頼」していたのではないか……なんていうトンデモな「解釈」もできる。そうすれば──今ちょっと「度忘れ」してしまったが──あるギリシア悲劇を「矮小化」して「擬える」ことも可能だからだ。

さらに手法として、クリストファー・ノーランがやるような「巻き戻し」と「視点変え」が、『メメント』ほどではないものの時々現われ、また、デイヴィッド・クローネンバーグを思わす魚の「クリチャー」(そう、魚=「クリチャー」=?だ)が執拗に登場し、喋る。そしてその「クリチャー」の頭(?)が何度も斬られる──男根(気取って「ファロス」と呼ぼう)、つまり去勢の象徴? じゃあ「渦」は何の象徴? 他にも「(火葬の)灰」や「残酷なノルウェーの歌」が意味ありげな「サイン」を放っている。

なんだか、この映画自体が、「解釈して」と観者に訴えているよう……。
さあ、「精神分析屋」の出番だ!