HODGE'S PARROT

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『出発』 Le Départ/1967/ベルギー 監督イエジー・スコリモフスキ

まさしく詩。その語調は繊細、動的、抒情的、そしてときに冗談めいたアイロニーが飛び交う。「語調」とは映像のニュアンスであり、音楽の語り。ポーランド出身のイェジー・スコリモフスキ監督は、この映画で、青春という儚くも輝かしい「イルミネーション」の瞬間を特異なタッチで捉える。素晴らしい。傑作だ!

ストーリーはあってないようなもの。とにかく映像と音楽だけで参ってしまう。 街をクルマが疾走し、その映像にジャズが被さるだけで、どうしてこれほど胸を熱くさせるのだろう。どうしてジャン=ピエール・レオーがバイクに乗りながら後ろを振りかえるだけで──風の揺れる髪、つつましく顔を覆うジャンパーのフード!──、感動してしまうのだろう。あの陽気に鏡を運ぶシーン、あの道路のど真中で体を横たえるショット、そしてクリスチアーヌ・ルグランの歌声が流れるシークエンス……。

この映画を観て、そして「出発(Le Départ)」という題名から思い浮べたのはアルチュール・ランボーの詩集『イリュミナシオン』だ。なによりレオーの繊細でありながらどこか倣岸、どこかコミカルな役柄/演技は、見習美容師というよりもアビシニアへ旅立ったフランスの詩人に結びついてしまう。

もう充分に、知ったとも。生きることの数ある故障。──おお、喧騒と幻よ!
出発だ、新しい情感と、新しい雑音のなかへ!

アルチュール・ランボー「出発」(清岡卓行訳、河出書房新社


映画は「新しい情感」と「新しい雑音」の中へと観者を導く。独特のアゴーギクで、フモールを持って、テンポ・ルバートで。これこそ感性に訴える「詩」そして「音楽」に他ならない。イエジー・スコリモフスキの作品をすべて観たくなった。

それとどうでもよいことだが、この映画を観ながら「僕のセンサー」がそこかしこで反応した。 イエジー・スコリモフスキってナボコフ原作の『キング、クイーン、そしてジャック』を映画化していたり『夜になるまえに』に出演したりしているんだよね。