HODGE'S PARROT

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『ゴスフォード・パーク』 Gosford Park/2001/英、米、独、伊 監督ロバート・アルトマン

うゎー、アガサ・クリスティが読みたくなった。あの「感じ」「様式」がたまらない。登場人物のほとんどに動機があるように「見せる」ところなんてまるで『ナイルに死す』みたいだし、懐古趣味は『バートラム・ホテルにて』、悲劇的な因縁は『鏡は横にひび割れて』。他にも『ねずみとり』や『パディントン発4時50分』、『ホロー荘の殺人』あたりのクリスティ作品を思い浮べながらこのアルトマンの映画を観た。

そういえば一時期、クリスティ原作映画がよく作られていたな。『オリエント急行殺人事件』を皮切りに、『ナイル殺人事件』、『地中海殺人事件』、『クリスタル殺人事件』なんか。オールキャストでそれら俳優たちの競演が見事だった。

ゴスフォード・パーク』でも俳優たちの競演は見物だ。『モーリス』のジェイムズ・ウィルビー(まだまだ若い)、『ベント』のクライヴ・オーウェン(ランニング姿でセクシーな胸毛を見せつける)、『キャリントン』『理想の結婚』のジェレミー・ノーザム(甘い歌声を聴かせてくれる)、それに何と言ってもゲイに人気のライアン・フィリップ股間にコーヒーを零され取り乱すところなんてとてもキュートだ。さらに暖かい──白い──ミルクを持ってシルヴィア夫人の寝室に入ったり、細長い酒瓶を持ちながら女中部屋の前で待っていたり)。

そう、もし、こういった俳優が出ていなかったら、途中で観るのをやめていたかもしれない。悠長に構えるのは良いが、どうしても殺人事件が起こるまで長く感じるし、あれだけの登場人物を整理し相関図を描いていくのは楽なことじゃない。同時進行で計画されていくチャーリー・チャンの映画内物語は、どれほど映画と共犯関係を結ぶことができたのだろう。

しかしやはり「巨匠」アルトマンは見せる。もちろんライアン・フィリップを「魅せる」のだ。貴族側と使用人側という二つの立場をライアンが演じることにより、まるで彼は他の役者の二倍は画面に映っているように見える(僕もライアンに注目していたので、貴族/使用人両方の「ドラマ」に自然と惹き込まれた)。しかもファッションも二通りの様相で(ライアンのわざとらしい立居振舞いで、二つの階級の差が戯画される)、「英語」もスコットランド訛りとアメリカンで。
もっとも「アメリカ人」のライアンは、最初からイギリスの階級社会からは自由であるので、二つの階級を行き来することぐらいお手のものだ──というか見事に相対化している。
さすが美男子の使いかたがうまいな、アルトマンは。