HODGE'S PARROT

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『ドラッグストア・カウボーイ』 Drugstore Cowboy/1989/アメリカ 監督ガス・ヴァン・サント

クールな映像にクールな音楽、そこにクールな男=マット・ディロンがいれば傑作の条件を楽々とクリアーできる。このトライアングルが崩れると、ガス・ヴァン・サントの映画はどうも面白くない。

『ドラッグストア・カウボーイ』は、そのトライアングルが見事にキマった作品で、シンプルな展開ながら、ガス・ヴァン・サントの最良の部分が出ていると思う。
最良の部分。それは「優しさ」あるいは「慈愛」と言っても良いかもしれない。『マイ・プライベート・アイダホ』でもそうであるが、登場人物たちの「視線」には、「過ち」を犯したことのある人間だけが本当に知る憂いと哀しみ、そしてそれゆえ、他人が「間違い」を犯すことへの「寛容さ」が滲み出ている。その「視線」の絡み合いの中から本当の人間関係の意味が理解される。

靴紐を結び続ける毎日から逃れるために、ヤク中は何かにすがる

既存の「道徳」に忠実なだけの人間は痛みを知らない。よって「他者」への配慮も知らない。せいぜい押し付けがましい同情──それは「優しさ」や「慈愛」とは違う──を表明するだけだ(だから舞城王太郎の差別小説を「面白がって」「偉そうに」宣伝できるのだ)。

ジャンキーを扱ったこの映画でも、不思議と重くならず、どこかメルヘンチック、どこかメランコリック。マット・ディロンがドラッグをキメたときの映像も、動物や飛行機のシルエットが愛らしく飛び交う独特のもの。何よりマットの眼が美しく、優しく、そして哀しげだ。ウィリアム・バロウズの「視線」も同様だ。
『ドラッグストア・カウボーイ』は僕の好きな映画の一つだ。