HODGE'S PARROT

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『サロン・キティ』 Salon Kitty/1976/伊、西独、仏 監督ティント・ブラス

貞操帯をしろと? 赤十字に参加しろと?
ローマ帝国は笑いと歌で世界を征服したのよ。


ヒモと娼婦のカップルが帝国を支配する、ハイル・ヒトラー


久しぶりに観たのだが、やはりティント・ブラスはすごい。豊饒で放恣で過剰な映像によってナチスのポルノ性を暴き、その俗悪さに裁定を下す。氾濫する裸体は、ナチス好みの「卑猥さ」を遺憾なく発揮している。それはヒトラーが好んだ「恥毛の巨匠」アドルフ・ツィーグラーや赤抜けない田舎娘を多く描いたゼップ・ヒルツらの絵画の「卑猥さ」に通じるものだ。

ストーリーはヘルムート・バーガー演じるナチ将校が、ワイマール時代の名残を残す自由で放埓な楽園カバレット(キティーのサロン)を、ナチ要人のための「娼館」として接収する。もちろんただの娼館ではない。そこはヘルムートが他のナチ幹部の弱みを握るためのスパイ施設であり、「特別な訓練」を受けたナチ党員女性が送りこまれていた。

……という内容なので、『ナチ女秘密警察SEX親衛隊』という邦題もストーリーと甚だしく乖離しているわけではない。実にセックスをすることが祖国に貢献することだと教えこまれ、女たちは反ナチ思想分子をスパイするための道具となる。彼女たちはプロの売春婦ではなく、素人の公務員なのだ。

もちろん、その素人っぽさ、祖国愛に燃えた女性たちの素人っぽさが、いっそう「卑猥さ」(あるいはバカバカしさ)を引き出すのは計算済みであろう。もともとサロン・キティはスラヴ系の女性など、自由意志を持った享楽的なプロのホステスが職業的なエレガンスを放っていた(女主人キティが、ナチスの人種差別によってサロン・キティを離れざるを得なくなったホステスらと一緒に記念写真を撮るところは非常に感動的だ)。
そこにアーリア系の素人女性で構成されたまさに「SEX親衛隊」によって、女性は絶対的な劣者に転落してしまう。制服を着た男性ナチ幹部──例えばヘルムート──と裸体の女性。これほど見事な支配ー被支配の関係はないだろう。人種的、性的、思想的……様々に優劣の差をつけるヒエラルキーこそがナチスの核心なのだから。

だからこそ、ティント・ブラスの素晴らしさは、それを転倒するところにある。完全な支配者、完璧な──ナチス的──美を体現していたヘルムート・バーガーが最後、裏切られ処刑されるとき、彼は全裸なのだ。ヘルムートはサウナで制服を着たSSに「犬のように」殺される。「審判」は下された。