HODGE'S PARROT

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『コクソン基金』(The Coxon Fund, 1894)


タイトルの「コクソン基金」とは、ラルフ・ワルド・エマーソン(Ralph Waldo Emerson, 1803-1882)らの 超絶主義哲学に影響を受けたボストンの女性がイギリスに渡り、英国人コクソン卿と結婚(コクソン夫人になり)、その夫の遺産を「真面目で誠実な探究者」に与えることを目的とし創設された基金=研究資金のことである。内に秘めた光が全人類の上に輝くことを助成するための、しかし金銭的独立が欠如しているために研究を阻まれている個人への寄付金である。何か理想と繋がっていたい──それは、ほとんど英国人になった(と感じている)元米国人コクソン夫人自身の「生成発展」の遺産でもある。イノセントで金持ちのアメリカ人と狡猾で貧しいヨーロッパ人というヘンリー・ジェイムズ特有の国際状況の物語は、ここでは、高邁な理想・思想から生まれたアメリカの富=研究のための資金と、それを狙うイギリス人たちの策略に変奏させられている。まさしくジェイムズならではのストーリーが展開される。

そして、米国の富を象徴する人物が女性であるならば、それを待ち構えているヨーロッパ人は──表面的には──男性であり、その男性と共犯、もしくはその男性を利用しようとする人物が背後に控えているだろう(『ある婦人の肖像』や『鳩の翼』など)。一方、米国の富の象徴が「基金」という研究資金であるならば……まずは「学者」に登場してもらわなければならない。

フランク・サルトラム。新進の新興の思想を人々に伝授するという人物。といっても彼の「独自の」思想はその「取り巻き」の中で実際の理解と無関係に(都合よく歪曲され、都合よく曲解され、しかし「新興の」学問なので他と比較しようがなく、検証もされることなく全てが何もかも「真」となる)熱狂的に受け入れられている一方、世間的にはどうやらそれは「無価値」のようで、本人もとうに中年を過ぎていたがこれといった実績もないようである。語り手である「私」は、冒頭、次のような斜めから見たフランク・サルトラムという学者の「肖像画」を読者に提供する。

彼(フランク・サルトラム)はやってくるものは辞さなかったが、それを企んで求めるところはなかった。そんなにも吸収欲が盛んであってそれほど寄生的要素の見れらない人物はいないだろう。彼は宇宙的組織体であって、そこには人にたかるような細胞は見られなかった──それはまったく手から口へと直結した即物的行為にすぎなかった。繊細であって無頓着な感覚の持ち主であったが、混乱を引き起こすのは決して彼の人のいい貪欲さではなかった。彼が我々の提供する晩餐ゆえに我々を愛したとすれば、我々は我々の晩餐で報いることができたからであって、それは繊細さを要することがいとも簡単に処理されただけのことだっただろう。



『コクソン基金』(多田敏男 訳、英潮社ヘンリー・ジェイムズ短編傑作選』所収) p.196

このように含みのある報告をする語り手=「私」を、どのように信頼するのか──「学者の胡散臭さ」を否定しながら、それを否定することによって「それ」をよりいっそう強調しているようでもある。ジェイムズ作品において「幽霊」の存在が、それを「見る人(見える人)」によって、それがどのような存在であるのか/ないのかが意味づけられるのと同様、この作品ではフランク・サルトラムという学者が「どのような存在であるのか」が意味づけられる。ここでは「見る人(見える人)」というのは、端的に、利害関係者である。利害関係者の動向・言動によって学者の地位そのものが位置づけられる──利害がなければ「それ」は世間的に「無価値」なのである(「それ」は見えないのである)。「幽霊」は利害関係者──「取り巻き」であれ、「敵対者」であれ──にしか見えないのである(だからもし、自分を「それなりの存在」に見せようとするのならば、「取り巻き」と同時に「敵対者」をも自身にとって都合のよい位置に配置しようと画策する者もいるだろう)。
フランク・サルトラムにも「取り巻き」と「敵対者」がいる。「私」は、どういうわけか双方の立場の人々にとって「中立国的な」人間のようで、ときに両サイドからの「情報」を取捨選択して(読者に)流すような、まるで二重スパイのような役割を演じている。

もっとも、「欧州情勢は複雑怪奇」という云いのごとく、フランク・サルトラムを取り巻く状況も複雑怪奇の様相を呈している。フランク・サルトラムの周囲には二つの「取り巻き」のグループが存在し、そのマルヴィル家とパドニー家は、フランク・サルトラムを獲得するために、両者で相争い、対立している──その対立が「明らか」であるからこそ、両家は学者の「取り巻き」でありながら、そこに学者の「敵対者」が付け入ると同時に、両家も「敵対者」を利用しようと目論む。
マルヴィル家と交流がありながらフランク・サルトラムと敵対しているのは政治家ジョージ・グラヴナーである。「ケント・マルヴィル家の人たちが彼(フランク・サルトラム)をでっち上げたからなんだ。彼らは間違いなくいんちきにすぐ引っ掛かるんだ。だまされるために生まれてきたみたいな連中なんだ。そうされることがまた好きなんだよ。泣いてそうされることを求めるんだから」とグラヴナーは友人である「私」に訴える。グラヴナーは選挙資金を獲得するために財産家の女性との結婚を望んでいる。グラヴナーの前に現れたのはアメリカ人ルース・アンヴォイである。彼女の父親は(現時点では)現地アメリカの有数の企業家であり莫大な富を有している。しかも彼女はコクソン夫人の姪でもある。ジョージ・グラヴナーはルース・アンヴォイと婚約する。一方、ルースはフランク・サルトラムの「思想」にも興味を抱きはじめる……。
そしてフランク・サルトラムの別居中の妻サルトラム夫人である。彼女は夫の最大の「敵対者」であるように見えて(夫から受けた「被害」を訴える、とりわけ「私」に対して)、その一方で最も忠実な「取り巻き」のようにも見える。マルヴィル家の人々はフランク・サルトラムと夫人が仲直りをし同居を促すように二人に働きかけている──それは二人が「敵対している」ことを利害関係者たちに共通の理解として流通させる一方、夫人に対する「同情心」を掻き立てる「サルトラム夫人の策謀」に見えないだろうか。そのまた一方で、サルトラム夫人はパドニー家とも通じている。もちろん、英国に来たばかりのルース・アンヴォイとはすでに知遇を得ており、仕事の早いサルトラム夫人は夫フランクの「素晴らしさ」をルースに印象付けることにも成功していた。さらに、サルトラム夫人はコクソン夫人の家政婦と「文通」している──「コクソン基金」の状況を逐一スパイしていたのかもしれない(コクソン夫人宅に滞在しているルース・アンヴォイがジョージ・グラヴナーと婚約したことをいち早く知り、すぐさまグラヴナーの素性に関する問い合わせの手紙を「私」に寄越したのも、このような「情報網」を確保していたからであろう)。
このように何か腹蔵のありそうなサルトラム夫人の振る舞いを、どのように見ればいいのか。「孤立している利害関係者」を自分の下に束ね、その動きを監視し、金脈の流れを把握し、自分を通して「それ」に近づけられるような制度=コネクションを構築している彼女を。果たしてサルトラム夫人は学者である夫の「敵対者」なのか、それとも「共犯者」なのか──「敵対者」の仮面を被った「共犯者」なのか。なぜ二人は別居しているのか。

そんなサルトラム夫人に対し、やはり「中立国的な」立場の「私」は次のように夫人を観察している──「私」はサルトラム夫人のひどい仕打ちの深淵を探っていた。

彼女はこっちが消えてなくなりたいほどに退屈だった。そして彼女がどんなに夫を退屈させているか私には手に取るように分かり過ぎるだけだった。しかし彼女に味方する人たちもおり、その中で最も有能なのはサルトラムの支持者でもあった。彼らは彼女を大目に見ていたが、彼女の単なる後援者や彼女だけに与する人たちはわれらの哲学者に対して憎しみ以外の何の感情も持っていなかった。しかし、言っておかねばならないことは、いつも彼女のために最大のことをしてきたのは我々──つまり、言ってみれば両陣営に属する我々──の方だった。


p.208-209

彼女(サルトラム夫人)はしばしば彼(フランク・サルトラム)の堕落について相談するために私の部屋に姿を現した。というのは、たとえ、彼女が公言しているように、彼女が彼のことではきれいに足を洗って精算したとしても、彼女は慎重にその洗浄に使った水を保存し、その水を分析のために持ち回っていた。彼女は彼女流のやり方でわれわれを苛立たせる手を心得ていたが、その中でも一番誤ったことのないやり口は、多分我々は彼女を気に入っているから彼女に親切なんだという、彼女の勝手な思惑であっただろう。

彼女は私がある人たちを知っていないことで私を哀れにに思っていた。彼女に援助の手を差し延べ、私を知らないがために余計に彼女が大事にしている人たちのことである。


p216-217

その曖昧な関係で余計にどんなに私が局外者であるか、そしてサルトラム夫人がどんなに私の知らない多くの仲間を支配しているかを感じさせられた。私は失望した女性(ルース・アンヴォイ)についてもっと知りたいところだったが、彼女が私の知ることを阻むためにどんな手を使うかも分らないので、彼女の有利な立場は奪わない方が得策だと私は思った。


p.218

サルトラム夫人にとって一番大切なものとは同情心だった。まるでルース・アンヴォイとその叔母のコクソン夫人がサルトラム夫人に恩義を受けているかのような、すなわち二人のアメリカ人がサルトラム夫人に対して負い目がある人間であるかのように彼女は「私」の前で振る舞っていた。しかしルース・アンヴォイはフランク・サルトラムの講演──「私」とルースが初めて出会った講演、ただしそれはキャンセルされたのだが、そのキャンセルにより「私」はルースと話す機会を得、彼女との交流が始まった──を聞こうとしたことをサルトラム夫人には伝えてはいなかったことを「私」は知っていた。沈黙を守ったのは恐らくサルトラム夫人が自慢の同情のバネを過度に押してルースを疲弊させたためだろうと「私」は想像する。


ストーリーは途中まで、サルトラム夫人の「同情のバネ」を武器にした利害関係者の調整と、マルヴィル家の動静、およびジョージ・グラヴナー(彼はソフィストを批判したアリストパネスに擬えられる)によるルース・アンヴォイとの婚約への推移が水面下で画策されていること、それがどこか曖昧な態度を取る「私」によって緩慢に散発的に報告される。「ルース・アンヴォイは英国の一番の金持ちの女性よりも多くのお金を遣うことに慣れている」とジョージ・グラヴナーは「私」に率直に話す。あまりにも容易く金を遣い過ぎることが、問題なのだ──財産の管理がなっていないことは、将来の夫の政治資金の総額にも影響を与えるだろう。しかもそれだけでなく、コクソン夫人の遺産相続人でもあるルース・アンヴォイは、「コクソン基金」実行のために、コクソン夫人のために、該当する学者を(グラヴナーに言わせれば、詐欺師を)見つけようとしている。ルース・アンヴォイは「同情心」を示すために、テーブルの引出しから札束を取り出し、アデレイド・マルヴィル経由でフランク・サルトラムに渡している──アデレイド・マルヴィルはそれを「私」に率直に話す「あぁ、とても素晴らしかったわ!」と。マルヴィル家がフランク・サルトラムを獲得したら、もっと素晴らしいことになるだろう(グラヴナーに言わせれば、マルヴィル家の連中は騙されるために生まれてきたみたいなものだ)。ある晩餐の後、無邪気なアメリカ人ルース・アンヴォイは「貴方はサルトラム夫人に感嘆なされないのですか?」とはしゃぎながら陽気に率直に「私」に言った。「全てはたわごとだよ──人は他のバネで動くんだよ」とグラヴナーは「私」に言った。

そんな濁った水の中を覗くかのような緩慢な流れに変化が現れる。ルース・アンヴォイの父親が破産する(「私」はその情報をサルトラム夫人の情報網から受け取った)。ほどなくして、アンヴォイ氏は亡くなる(「私」はそれもサルトラム夫人から聞いた)。同時期にコクソン夫人の様態が悪化する(ジョージ・グラヴナーは「私」にそのことを話す)。ルース・アンヴォイと婚約中のジョージ・グラヴナーは、もちろんアメリカの状況を知っている。そして「コクソン基金」を実行する前に当のコクソン夫人が亡くなる(「私」はサルトラム夫人からそれを知らされた)。「私」はルース・アンヴォイの財産状況をアデレイド・マルヴィルから報告を受けた──破産した父親はほとんど何も娘に残さなかった。コクソン夫人の遺言により姪ルース・アンヴォイは「コクソン資金」を相続した──ルースには法的にその遺産を「基金」として執行する義務はない、自由にそれを処分していい、ただコクソン卿とコクソン夫人の「意思」がその少なからぬ遺産に刻印されているだけだ(サルトラム夫人も、ジョージ・グラヴナーも、ケント&アデレイド・マルヴィル夫婦もそれを十分に知っており、「そのこと」について「私」と話す)。
学術研究のための基金が危険でスキャンダルなものになっていく。利害関係者たちの利害がくっきりと見えてくる。それにつれてフランク・サルトラムという学者の存在がようやく意味を帯びてくる──彼をどのように正しく見たらいいのか、そのことが「私」の良心にかかっていた。

「私」はその良心のために、道義的義務感のために──と読者に語る──フランク・サルトラムという学者の「本当のこと」をルース・アンヴォイに知らせようとする。しかしルースはその「情報」を受け取らない、むしろ「知ること」を拒絶と言ったらいいのかもしれない。なるほど、こういう時期にジョージ・グラヴナーの友人である「私」がフランク・サルトラムに関する「事実」を知らせるとなれば、いくらイノセントなアメリカ人であっても、それが学者にとって不利な情報であることぐらい察するだろう──そして重要なことはルース・アンヴォイが「それを察すること」自体を「私」は予め織り込み、それがもたらす「効果」を十分に図り、その上で「それ」を実行に移したことだ。「コクソン基金」をフランク・サルトラムに与えるのではなく、自身の結婚資金に使うべきだ──そんなジョージ・グラヴナーの囁きが、「私」を通じ、彼女に中で反響する。「私」を通じ、増幅された婚約者の囁きは、彼女の中で特別な意味を帯びる──それはヨーロッパ人の策略なのではないかとアメリカ人は判断するだろう。しかし、それこそが、ある策略を仄めかして相手を動揺させる別の策略だったとしたら?
「理想と繋がっていたい」そう願う素朴なアメリカ人に対して、ヨーロッパ人の仄暗い欲望の片鱗を指し示すこと──それによって叔母のコクソン夫人と「同じアメリカ人である」というアイデンティティを刺激すること、「その意思」を思い出させること。グラヴナーという友人、「同じイギリスである」友人を裏切って──その裏切りは、表面的には「友人のため」という形を取っていながら、その効果は真逆の結果を導く巧妙なものだ。「私」の態度──二重の裏切りの態度──によってルース・アンヴォイは決心する。

「欧州情勢は複雑怪奇」である。サルトラム夫人も動きを見せる。その動きによって利害関係者たちに波紋が拡がる。
「孤立しがちな利害関係者」──というまことしやかな装いで──「彼ら」を自分の下に束ね、自分を通して「それ」に近づけるようなシステムを確固としたものにすること、彼女が構築した「コネクション」=情報網の存在を否定しながら、「それ」を否定することによって、よりいっそうその問題が議論の俎上に上り、その存在がよりいっそうくっきりと際立ってくる。それは単に「コネがある」という以上の効果を導く巧妙なものだ。利害関係者たちは動揺する。不安になる。そして動揺し不安に陥った利害関係者たちの眼前で、明らかにこれまで彼女と「コネがある」と看做されていた者と彼女との交際の打ち切りが宣言される──それによって遡及的に「その存在」が確固としたものとして見出されてくる。
可哀そうに、今やマルヴィル家はフランク・サルトラムに見捨てられた──サルトラムの「取り巻き」であったのにその「敵対者」グラヴナーとの親交が不利に働いたのだろうか。学者はパドニー家を自分の「支援者」に選定する。
そして遂に「コクソン基金」はその効力を発揮する──もちろんフランク・サルトラムにその栄誉が与えられた。それによって結婚資金を失ったルース・アンヴォイはマルヴィル家の厄介になって慎ましく生きる他ない。ジョージ・グラヴナーはある財産家の女性と結婚した──その持参金によって家計は持ち直し、ほどなく彼の兄が亡くなりグラヴナーはマドック卿を名乗ることになる。しかし……可哀そうに、彼の妻は「犯罪と言ってもいいほど退屈な人である」と「私」は思う。
「欧州情勢は複雑怪奇」である。サルトラム夫人は「私」に強い口調で言い放つ「ほんとの女性は夫を裏切りません!」と。

ところで、そのような「情勢」の変化につぐ変化の只中で、作者ヘンリー・ジェイムズは「私」とフランク・サルトラムの関係を曖昧に迂回的に描写するシーンを挿入する。「私」とフランク・サルトラムは一夜を過ごすのだ。

彼(フランク・サルトラム)の傍に二、三分座った後で私は腕を彼の大きな柔らかい肩に回した──彼に触った時はいつでもどこに触っていても同じような堅さは感じられなかった──そしてその懇願の調子が妙に自分自身の耳に跳ね返るような調子で私は言った。「私と一緒にロンドンへ戻ってください、一緒に夜を過ごしましょう。」私は彼を離したくはなかった。彼を私の傍に置いておきたかった。そして一時間後ウォータールーで私は彼を独占してマルヴィル家へ電報を打った。一晩を過ごすことに、何も持ってないからと彼は反対したが、私の全てのものが彼のものではないかと私は言った。
何かのはずみで私は彼に私のところで平穏な気持ちになって欲しい気がした。そしてそれこそはどんな場合にも彼が願っていた気持ちであった。あまりにも多くの機会に私はどうでもいいことを迫らざるを得なかったが、その晩だけはサルトラム夫人や子供たちのことを口にさえしなかったことを思い返して今はとても嬉しい気がする。深夜に及ぶまで我々は煙草を喫い話した。以前の恥辱や苦労は我々から消え去った。私はただ、私が彼に負っているものを意識しているということを彼に知ってもらうだけだった。私は悔恨した者のようにおとなしく、また信念に満ちた者のように多弁であった。恥ずかしそうに返答する時ほど彼が素晴らしい時はなかったし、許されるよりも許す時のほうが素晴らしかった。



p.277-278

ここでは、「私」とフランク・サルトラムとの親密な一夜の様子が、それ以上でもそれ以下でもなく、淡々と語られている。他の利害関係者の目に映るフランク・サルトラムとは別の「肖像画」が、ここでは描かれている。金銭的利害とは別の関係を持っているであろうと推察される「私」の描くフランク・サルトラムの肖像。「私の立場は少し奇妙なのだ。というのはほんとうに私が没頭していたのが何であるかを私は言いたくなかったのだから」
フランク・サルトラムと夫人(妻という利害関係者)は、どうして別居するに至ったのか。「私」は、なぜ友人であるジョージ・グラヴナーを裏切って「コクソン基金」をサルトラムに与えるように謀ったのか。”では、情報網にもっといい材料をあたえてやればいい。きみの貴族たちに、大きな獲物が必要だといえ”ジョン・ル・カレ『パーフェクト・スパイ』より*1)。
そのような「私」に対してサルトラム夫人は微笑みながら次のように警告する「多分貴方もマルヴィルさんたちと同じように安全じゃないかもしれませんね。」



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*1:

パーフェクト・スパイ〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

パーフェクト・スパイ〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

パーフェクト・スパイ〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)

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