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”彼らはもともと黄色人種であるが、他民族との通婚によって大量の白色人種の血統を取り入れた” 〜 中国・新疆ウイグル自治区


船戸与一『国家と犯罪』より、中華人民共和国少数民族問題について記された章「中華膨張主義の解体──三民族自治区からの発信」。その中から、新疆ウイグル自治区に関する情報をメモしておきたい。


東トルキスタン共和国(First East Turkestan Republic)
1933年、現在の新疆ウイグル自治区を支配していた軍閥・金樹仁*1の権力機構が自軍の白系ロシア人傭兵部隊のクーデターにより崩壊し、それによって各地のウイグル人たちが蜂起。

1933年11月12日、カシュガルに『東トルキスタン共和国中央政府樹立。しかし、それは汎トルコ主義に彩られ、漢人を排除するものだった。その準備宣言「回族はもはや漢人と同様われわれの敵である。われらウイグル人民は漢人支配を打ち倒したにも拘わらず、いまなお回族の抑圧化に置かれている。……漢人であれ回族であれ、彼らは東トルキスタン地域に対する何の法的権利もないのだ。東トルキスタンには外国人支配者はもはや必要ない。……すべての外国人支配者はこの地から追放されなければならない」。



『国家と犯罪』 p.325

この事態に対し、甘粛省漢人回族将軍・馬仲英が反撃を開始する。満州および大陸の北東部を狙う日本の特務機関が資金援助──馬仲英部隊には、大西忠(中国名・千華亭)という名の日本人も参加した。東トルキスタン共和国はわずか半年で崩壊する。


東トルキスタン民共和国(Second East Turkestan Republic)
抗日戦争から国共内戦へ、その最中、社会主義革命を掲げる東トルキスタン民共和国が樹立される(1944−1949)。「われわれは漢民族支配の軛の下で暗黒の60年間の時代を奴隷として送ってきたが、いまや東トルキスタンの輝かしい未来を示す三日月に星の革命旗を掲げて立ち上がった。……とは言え、われわれの目的はまだ達せられたわけではなく、60年に及ぶ血債はいまなお漢民族によって償われたわけではない」。
しかしこの新しい社会主義革命国家に対してソ連が介入する──スターリン国共内戦において毛沢東朱徳が勝利することはないと踏んでいた。第二次世界大戦後の取引材料にするため、蒋介石の国民党重慶政府に売り渡す。
1949年、中華人民共和国の成立によって、ウイグル人自治を国是とした東トルキスタン民共和国は消滅する。ふたたび漢人の支配がこの地で復活する。


猜疑は歴史としてウルムチに棲みつく
トルファンの街の居住区は漢人ウイグル人とで完全に分かれている。それはかつて南アフリカ共和国アパルトヘイト政策と違って国家が命じたものではない──ウイグル人が選んだのだ。そこでは民族間の緊張が途切れる、奇妙な安らぎとともに。豚肉を好む民族とそれを禁忌する民族とに分かれ。
一方、ウルムチの中心部では四人にひとりが公安関係者だと言われている。しかもその中には多数のウイグル人も混ざっている──ウイグル人でありながらウイグル人を売っていると、あるバザール商人は証言する。

東トルキスタン共和国』誕生の時点でここを訪れたスウェーデン探検家スウェン・ヘディンは言う。「たとえどこへ行ったとしてもこの悲惨な町に較べれば天国のようなものであろう」要するに、猜疑が歴史としてウルムチに棲みついたのだ。だから、トルコ系の風貌をしているからと言って、中華人民共和国への不満を漏らそうなら面倒で必要な取調べが待っている。

公安局内配布文書からの抜粋「公安機関はわが国の人民民主独裁の重要な道具であり、……スパイと反革命分子との闘争を強化し、……良好な社会の治安と秩序を維持する機関である。……今日、犯人は事件を起こしたあと、近代的乗物で遠方に逃走するのがふつうである。したがって指名手配されている犯人の外貌的特徴を詳しく掴んでおかなければならない」。そして、この文書は中華人民共和国国籍を持つ少数民族の肉体的特徴を列挙する。ウイグル人についてはこう書かれている。「彼らはもともと黄色人種であるが、他民族との通婚によって大量の白色人種の血統を取り入れた。……両眼のあいだが狭く、眼が落ち込んでいる。体は大きく長方形の貌が多く、鼻は尖っている。男は四十歳以降急に太りだす……」


p.328-330


辺境では人間があまりにも簡単に殺される、そこが辺境であるとの認識もなしに
中華人民共和国において民族問題は一貫していないようで一貫している。抗日戦争と国共内戦のあいだは少数民族の悦びそうな言辞を弄してシンパ化させ、権力奪取後は秦の始皇帝以来の手法、すなわち中華思想のもとに民族自決権を否定する。東夷、西戎北狄、南蛮を漢人のなかに取り込む。同様に、新疆の「漢化」を強硬に実施した。新疆における漢人大量移民は北京の政治路線のあからさまな反映である。

黄色い月影が天山山脈の東端静かに照らし、星の雫が砂漠に滴り落ちている。新疆ウイグル自治区トルファンの街。区都ウルムチから東へ百六十キロ。町の中心部近くにある標高ゼロの標識。眩暈を伴う夏の高温と凍てつくような冬の冷気。トルファンは葡萄と遺跡の町である。漢人街とウイグル人街を分断する新城路とそこから南北へ伸びるいくつもの未舗装の路地。両刃のナイフが鞘から引き抜かれる。声もなく音もなく。それが漢人の喉をすっぽりと抉る。月光のなかに踊る真っ赤な血しぶき。崩れ落ちる肉塊。トルファンの夜、月に一件か二件の割合で起こる殺戮の光景はだいたいこんなところだろう。

だが、集団と集団がぶつかり合わないかぎり、これらが『人民日報』をはじめとする大陸の有力紙に報じられることはまずない。公安局はこのような殺人が頻繁に行われている事実はもちろん熟知しているのだと思う。それが持つ意味もはっきりと。にも拘わらず公然化させない理由な明白だ。農業問題と並ぶもうひとつの中華人民共和国の火薬庫・少数民族問題に火が点くことを畏れているのである。「殺るよ、殺るしかないんだよ」ウイグル人街で若者のひとりが言う。バザール商人である。英語を話す。「漢人ならだれだっていい、そいつがこれまでウイグル人に何をしてきたのかはたいした問題じゃない。このトルファンの町じゃ漢人であること、ただそれだけで死に値する」

(中略)

「なぜわれわれが漢人を殺すのか、あんたがた外国人にも知って欲しい」とその若者がつづける。「理由は簡単だ、その何十倍ものウイグル人漢人に殺されているからだ」


p.323-324

新疆生産建設兵団が発足し、辺境支援という名目の都市余剰人口の放出が行われる。それは文化大革命収束のための下放でもある。北京のそのときどきの政争によって漢人たちがどっと「辺境」に押し寄せてくる。これによって果樹園や羊を飼っていたウイグル人たちの暮らしがばらばらに壊れていく。
そして、原爆の実験地に新疆ウイグル自治区が選ばれる*2


敵対の禁止が敵対を作り出す?
バザール商人は次のように証言する。「最近になって漢人がまたどんどん押しかけて来るようになった。このままじゃわれわれウイグル人は住むところさえなくなってしまう」「トルファン駅で降りて来る漢人たちは一日に五百人を超える。甘粛省とか陝西省とかそっちから来やがるんだよ。そいつらはトルファン駅に降りたらもう引き返しはしない。新疆に住みつきやがるんだ、一年間に十八万人もが……」
これは改革開放路線の結果である、と著者は述べる。

1957年毛沢東孫文誕生90周年記念論文「一般的な状況では人民内部の矛盾は敵対的なものではない。しかし、その処理が適切でなかったり警戒心を失ったり気を緩めたりすると敵対関係が発生することもありうる。こうした状況は社会主義国ではふつう局所的かつ一時的な現象でしかない。それは社会主義国では人が人を搾取する制度をなくしており、人民の利益が根本的に一致しているからである……」。
文革期の新疆ウイグル自治区党委員会第一書記・王恩茂の論述「頑迷な地方民族主義者、地主、富農、反動分子、悪質分子を含む多数の妖怪変化どもがありとあらゆる方法で破壊行動に打って出た。彼らは党の指導力を攻撃し、全民族の統一を覆そうとした……」。
1988年国務院国家教育委員会通達006号「西北地区における教育事業の発展を速め少数民族の教師を育成するため西北少数民族教師養成センターは学生を募集する。……卒業した学生は入学まえの出身自治区に戻り、国家関連規定の精神と原則に照らし合わせ、然るべき職場に配属されなければならない……」。


p.339-340

暴力とトークニズム、反撃力を殺いだあとの通婚、それによる漢人化。他の自治区自治州では着々とそれが進行している。だが、新疆ウイグル自治区では宗教上のちがいから通婚は望めない。


国家と犯罪 (小学館文庫)

国家と犯罪 (小学館文庫)



[関連エントリー]

*1:金樹仁は”漢人官吏を重用する一方、屠畜税の導入やメッカ巡礼の禁止により、ムスリム住民の反感を買っただけでなく、清朝時代以来、ハミで自治権を与えられていたムスリムの郡王家を廃止(改土帰流)するなど、現地民エリートからも反発を招いた。” http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%A8%B9%E4%BB%81

*2:”1960年代初頭に設立した第9学会(北西核兵器研究設計学会)により、核兵器の開発が進められた。1964年10月16日に新疆ウイグル自治区ロプノール湖にて初の核実験が、1967年6月17日には初の水爆実験が行われた。チベットとともに核廃棄物の処分場も設置され、周辺住民への被爆が問題視されている。この処分場についても中国政府は安全性を主張するのみで、公式の放射能健康被害リスクの調査などは実施していない。” http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%A0%B8%E5%AE%9F%E9%A8%93