HODGE'S PARROT

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グスタフ・マイリンクについて


オーストリアの作家グスタフ・マイリンク(Gustav Meyrink, 1868 -1932)の世界観と両性具有のイメージ

マイリンクは、ユダヤ教キリスト教、東洋の神秘思想を学んだと言われ、1927年にプロテスタントから大乗仏教徒に正式に改宗している。そしてまたその作品には、素材的にも世界観的にも、新プラトン派やグノーシス派の哲学、錬金術カバラの思想、バラモン教道教などの東洋思想の影響もしくは親近関係が指摘されうるが、これらの思想は、ひとからげにして言うなら、われわれの現実世界を超越的・神的一者の下降的発現・流出としてとらえる形而上学であり、そして人間の魂が肉体を離脱し、神の下降の道を逆上昇することを、つまり人間の魂の浄化を願う宗教的解脱思想であるだろう。そしてまさしく『ゴーレム』は、そのような形而上学と解脱思想とを抱くヒレルを、そしてまたミルヤムを師(メントル)とする、主人公ペルナートの魂の発展小説だと言える。ベルナートの体験する幻想的な出来事は、かれらの表白する思想に、作品全体を背後から支える世界観・人間観に浸透されることによって、魂の浄化の階梯を暗示しているだろう。

W・ヴェルツィヒが『二十世紀のドイツの長編小説』にマイリンクの『ゴーレム』を発展小説としてとりあげ、およそ「神秘学と超心理学プラハ・ゲットーのエキゾチックな相貌とカバラの思想とが、『ゴーレム』を異種な諸観念のアマルガムにし、自己発見という根本思想をみとおしにくくしている」と言っているのはけだし名言である。

(中略)

最後に、終始一貫して現れるヘルマフロディート、両性具有(アンドロギュヌス)のイメージに触れておけば、両性具有はあらゆる神話に見出され、そのいずれにおいても性的一体性が男女の性別に分裂下降するときに人類の歴史がはじまる。言うまでもなく本書(『ゴーレム』)では魂の上昇・回帰の極北を象徴する。なお、ユダヤ思想における両性具有は、古代インドのそれがプラトン哲学を経由して移入されたものと推定されている。プラトンの『饗宴』によれば、男性は太陽の子孫、女性は大地の子孫、そして両性具有は月の子孫であり、本書において、冒頭をはじめ重要な場面にたえず月もしくは月光が随伴しているのは、ひょっとするとこれを踏まえてのことかもしれない。



グスタフ・マイリンク『ゴーレム』(今村孝 訳、河出書房新社)より訳者解説

ゴーレム

ゴーレム



『ゴーレム』と第一次世界大戦シュルレアリスム

ボルヘスが書いているように、『ゴーレム』は「戦争による有為転変に倦み疲れた多くの民衆の心を、信じがたいほど見事に捉えたものであった」からであろう。
だが、マイリンクの『ゴーレム』に魅了されたのは「戦争に倦み疲れた民衆の心」だけではなかった。マイヤーは当時の野戦郵便の重量制限を下回る縮刷版を一万部印刷し「野戦郵便版(Feldpostausgabe)」として廉価で郵送販売した。この「野戦郵便版」は前線兵士に愛読されて、マイリンクの幻想小説の普及に大きく貢献したのである。この小説において前線兵士の心を魅了したものがなんだったのかは、小説『ゴーレム』のカバーに記されている次のような宣伝用の文章から想像することができるだろう。「この小説はそもそも大きな夢であるので、小説以上の効果がある。というのは、この小説は現実から解き放たれ、魂と人間の運命の秘密に満ちた根拠と関連を明らかにするからである」。前線兵士にとって戦場は現実から切り離された夢幻的状況として体験された。エルンスト・ユンガーは、第一次大戦の戦場での戦慄を掻き立てる夢幻的体験を次のように綴っている。「撃ち砕かれた(塹壕の)木組みから、挟まれた胴体がとび出していた。頭と首は切り落とされていた。白い軟骨が赤黒い肉の中に輝いていた。その隣には、まだ年若い人間が仰向けに倒れていた。ガラスのような眼と掴みかかる両手が硬直していた。そのような死んだ、問いかける眼を見るというのは、奇妙な感覚だ。それは、戦場で決して失うことのなかった戦慄の感覚だった」。このような戦場の光景は、日常の現実性から切り離された悪夢として前線兵士の感覚の中に侵入していった。「シュールレアリスム」という言葉は、アポリネールが1917年にディアギレル・バレエ団のプログラムに寄稿した文章のなかではじめて用いたのだが、まだこの言葉が生まれていないときから「西部戦線の風景すべてがシュールレアリスム」だったのである。



福本義憲『パーテラ、ゴーレム、カリガリ 魔術的表現主義序論』*1