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”それはキリスト教の改心のようでした、私たちは突然、友情を見出したのです”


メアリー・ミッジリー(Mary Midgley)とジュディス・ヒューズ(Judith Hughes)による、倫理学/道徳哲学の観点を取り入れ「フェミニズムを考える」著書『女性の選択』(Women's Choices: Philosophical Problems Facing Feminism, 1983)より*1。二人は、一般的に宗教的な要素はフェミニズムに含まれていないと言われているが──宗教は女性運動がほとんど使用しなかったイデオロギーだからであるが──実際はそうではないのではないか、と述べる。フェミニズムの文献を読むと、宗教との類似に気づかざるを得ない、と。

女性運動の存在を知ったとき、自らに訪れた啓示は宗教的な改心を思い起こさせると述べている女性は多い。キャサリン・ホールは、「それはキリスト教の改心のようでした。私たちは突然、友情を見出したのです」と語っている。絶望の後、彼女たちは光を見たのだ。それ以来、すべてのものが一変し、それまで意味のなかった人生が、突然、意味をもちはじめた。荒涼とした場所から交友の世界へと歩み出した彼女たちにとって、世界はけっして以前のようにはならないだろう。
一つの神ではなく、自らの状況をともに分かちあえる人々との親交こそが光となり、生きる支えとなった。
こうした見方は、彼女たちの以前の孤立状態がどんなものだったかを物語っている。こうした変化は病気からの回復と同じで、個人的な苦痛が緩和されたものにすぎないと思う人もいるかもしれない。しかし、彼女たちにとって、この変化にはそれ以上の意味がある。なぜなら、そうした孤独な個人は、新しく見出したグループを喜んで受け入れるばかりでなく、自らもそれに奉仕しようと考えるからである。他の人々と外交的に交わり、宗教的な色彩の濃い主義主張のために自らを捧げるということは、社交という直接的な楽しみを通りこし、集団の理想を追求することにもつながる(政治的転向は、それが宗教的要素をもつときにのみ、このように機能する)。彼女たちは今、現代生活の盲目的な狭さから、自分と(せいぜい)子どものためにのみ生きるべきだという気のめいるような考えから解放されつつある。とくに「家族」を一つの社会的な理想として高めてきた教会の人々は、自らの狭さを見過ごしてきたことに気づきはじめたようである。ところが、人間精神がこのように狭い牢獄から抜け出たにもかかわらず、他の要素によってではなく、性によって規定された特殊な集団に彼女たちが加わろうとするのはなぜだろう。
このことを理解するためには、女性が味わってきた絶望と孤独の性質を知っておかなければならない。この絶望と孤独がどれほど深いものであったかは、気づかれずにいることの方が多いが、とくに年をとってから、たいていの女性は友人との交わりや、他の女性からの支えがいかに大切であったかを突然知るようになり、当惑するのである。他人との交わりは空気と同じように誰の生活にも欠かせないものである。現代の生活状況──度重なる転居、よそよそしい町の様子、無関心な群衆、危険な道路──がいかに若い主婦を孤立させているか。友人は別の世界、別の町に住み、緑深い村などなく、子どもが遊んでいる間に、友人を作れるような場も彼女たちには存在しない。子どもも不自然な場所に閉じ込められ、それを母親のせいにする。結婚前にこのような不都合な話を聞かされることなどないので、女性にはその心構えができていないし、誰にこの問題を話していいのかもわからない。彼女たちは結婚と同時に仕事を放棄し、家庭を築くために突然暗闇の中に陥るのである。それらは同じような苦しみの中にある者からしか得られないから、その結果生じた絆が強力であっても意外ではないし、この絆に基づく運動が宗教に特有な長所と欠点を現わしているとしても不思議ではない。



メアリ・ミッジリー/ジュディス・ヒューズ『女性の選択 フェミニズムを考える』(五条しおり&中村裕子 訳、勁草書房) p.22-24 *2


宗教に特有の長所と短所。「光を見ること」で救いをもたらすもの、その一方で、寛容さに欠ける──というより「他者を説得する余裕などほとんどもちあわせていない」状況は、他の様々な活動・運動の場でも見られるだろうと思う。ただし、それを例えば「初期の段階」という言葉で、それを上段から見下ろし切り捨てるような光景も、あまり見たくはない。



[関連エントリー]

*1:ソフィア・フォカ&レベッカ・ライトの『ポスト・フェミニズム』によれば、メアリー・ミッジリーは『野獣と人間』(Beast and Man)において「倫理的信念は拘束力をもち、合理的で、道徳的信憑性をもたなければならない」と主張。『倫理的な霊長類』(The Ethical Primate: Humans, Freedom and Morality)では、いかに人間の自由の範囲や限界が人間の進化の起源によって影響を受けているかを論じ、また、『科学と救済』(Science As Salvation: A Modern Myth and Its Meaning)で科学の限界とそれが達成しうるものに着目、『動物、それがなぜ問題か』(Animals And Why They Matter: A Journey Around the Species Barrier)では動物の心的位置と環境に関して議論を進める。こういった系統の問題意識は個人的にとても興味を惹く。ミッジリーの思想がもっと紹介・翻訳されればと思う。

Beast and Man: The Roots of Human Nature (Routledge Classics)

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The Ethical Primate: Humans, Freedom and Morality

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Animals and Why They Matter

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*2:

女性の選択―フェミニズムを考える

女性の選択―フェミニズムを考える