HODGE'S PARROT

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「少しずつ、われわれは原住民の心を支配し、彼らの情をかち得る」



オリエンタリズムの問題──五十嵐太郎の『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』の中でも、つまり建築について知る・語るうえでも重要な一つの指標として論じられている。
例えば、ウィリアム・チェンバースのキューガーデンの中国風パゴタやジョン・ナッシュのブライトン離宮、ロンドンの東インド会社博物館、ブライトンのアルバート・アブドゥラ・サスーン廟…。

ただし、このオリエンタリズムは情報の正確さや厳密さを重視しておらず、西洋は現実逃避的な夢の世界として東洋のイメージを消費していた。言うまでもなく、古典主義のほうでは、「東洋風」をやや格の落ちるものと規定することによって、相対的に真正な建築の座を強固にするだろう。コッペルカムの研究書『幻想のオリエント』の序で引用されたポール・ヴァレリーの次の言葉が、その本質をよく言い表している。

「オリエント」という言葉が心のなかで美しく花ひらくための不可欠の条件がある。決してオリエントと呼ばれる所に行ってはならない。絵や報告、土産ばなしあるいは噂などから、とりとめのない、曖昧な、不確かな知識を得ること。このときはじめて夢みるための材料が整う。時間と空間が自在に交叉し、エセもの、いつわり、きれぎれな部分と朦朧とした全体像がまじり合うところ、まさしくそこに魂のオリエントがある。

五十嵐太郎の『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』(彩流社) p.68 *1

他者を表象すること。エドワード・サイードは「オリエンタリズム」の再定義を行う──当時の言説から、西洋は、中東地域をどう見てきたのかを分析する。「オリエンタリズム」とは、「東洋」と「西洋」とされるもののあいだに設けられた存在論的・認識論的区別に基づくものであり、オリエントに対するヨーロッパの思考=支配の様式なのである。

たとえば、エジプトで総領事をつとめたクローマー卿の著『現代のエジプト』(1908年)における「ヨーロッパ人は綿密な理論を好む。事実を語る言葉には、一点の曖昧さもない。かりに論理学を学ばずとも、ヨーロッパ人は生まれながらにして論理学者である。……これに反し、東洋人の精神は、東洋の街路の活況にも似て、著しくシンメトリーを欠いている。東洋人の推論はこのうえもなくずさんなものである」という記述は、建築・都市の比喩も興味深いが、典型的なオリエンタリズムの言説といえよう。



『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』 p.69-70

まなざしの非対称。五十嵐は述べる──他者を一方的に見られる対象にして、隷属的な役割をあたえること。「東洋」は自らを語る言葉を奪われ、非合理的な無秩序や失われた人間の特性など、「西洋」にとって都合のいい意味を付与される……。

パリのエデン劇場のエロティックなインド風の性愛像は、古いモラルから解放された性をイメージさせたという。1960年代のカウンターカルチャーが、インドに対し、性とドラッグに関する自由の幻想を抱いたことは、まさにこの系譜に属する。



『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』 p.81

「他者の魂を占有したい」という欲望。サイードの分析は「中東」を対象にしていた──「西洋」の植民地支配の場としての。一方、この「オリエンタリズム」という不均等な二項対立のモデルは様々な事例に拡張・応用が可能であろう。支配する知の形式としての「オリエンタリズム」は、ミシェル・フーコーの言説(ディスクール)の概念を援用したものである──権力の刻印をおびた言説が偏在し、組織的な規律=訓練(discipline)が生成されるという認識の枠組みに依拠している*2。例えば、オリエントの領域を広くアジア・アフリカまで拡張すること。そこで学者とその研究対象とされた人びと──そのために「発見」され、敵意あるものとして認識される一方、懐柔され、既存の名を消去され、そこへ支配しやすいよう〈新たな名〉を付与する改新行為を押しつけられた人たち*3──への「介入主義のモデル」*4を読むこと*5

アジア建築へのまなざしを再考することは、認識論のレベルで充分につながる。そして諸々のビルディングタイプ論などが明らかにしているように、建築は空間の中に権力の形式を書き加える*6。容易に建築は支配の手段にも転化するだろう。たとえば、フランスの建築家ジョセフ・マラは、1925年にカサブランカでモロッコ建築の細部を採用した裁判所を設計し、こう述べている。イスラム文化への敬意を示すことによって、モロッコ人の敵意を抑え、「少しずつ……われわれは原住民の心を支配し、彼らの情をかち得る」と。

どんなテクストであろうと、芸術作品として美的価値のみ論じたり、単なる中立的なデータをみなさずに、その政治性を読むこと。さらには知の現場が権力の生産と深く関与することを意識して、学者を含む知識人の態度を批判的に検証すること*7。サイードの問題系は、以上の態度を要請するだろう*8



『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』 p.71-72

*1:

建築はいかに社会と回路をつなぐのか

建築はいかに社会と回路をつなぐのか

*2:”私は、ミシェル・フーコーの『知の考古学』および『監獄の誕生 監視と処罰』のなかで説明されている言説概念の援用が、オリエンタリズムの本質を見極めるうえで有効だということに思い至った。つまり、言説としてのオリエンタリズムを検討しない限り、啓蒙主義時代以降のヨーロッパ文化が、政治的・社会学的・軍事的・イデオロギー的・科学的に、また想像力によって、オリエントを管理したり、むしろオリエントを生産することさえした場合の、その巨大な組織的規律=訓練というものを理解することは不可能なのである。”

*3:ティーヴン・グリーンブラットは『驚異と占有』の中で、コロンブスの「善意」に基づくキリスト教帝国主義による贈与という名の支配形態について論じている。”自分は天国のすぐそばまで来ている、そうコロンブスは考えたかもしれない。しかし同時に、彼はこうも知っていたのである。つまり、自分はアダムの罪を継承する者であり、ルターが述べているように、その罪のためにわれわれは、原始的名を付与してその行為によって強制しうる能力、それと同時に天国をも失ったと。さらにコロンブスはその手紙の中で、以前に名づけられたことのない世界ではなく、むしろ本質からかけ離れた色々の名からなる世界に自分は出会っていることを明らかにしている──「インディアスの住民(インディオ)たちはその島をグアナハニ島と呼んでいる」。したがって彼の行為は、既存の名の消去ということになる。しかし、マルコ・ポーロないしマンデヴィルとは異なり、何故コロンブスは、自分の出合った土地に名をつけ直そうと考えるのか。なぜ彼は、それぞれの島に〈新しい名〉を授与するのか。救世主がお与え下さった驚異なる贈り物を記念するためである、と彼は言う。キリスト教帝国主義が行う創始行動は、洗礼を施し命名することである。そうした洗礼を施し命名する行為には、原住民のつけた名の抹消──本質からかけ離れた、たぶん悪魔的アイデンティティの抹消──そしてそれ故、一種の改新行為が含まれている。つまりそれは、悪魔祓い、領有であると同時に、贈与である。したがって、洗礼を施し命名する行為は、驚異なる発話行為が最高潮に達した事例である。つまり適切な名(固有名詞)が起こす驚きの場合、無知から知への移動、占有すること、アイデンティティの授与、この三者が融合して、純粋な言語的形式主義の契機となっている。”

驚異と占有―新世界の驚き

驚異と占有―新世界の驚き

*4:ジョセフ・S・ナイは『国際紛争 理論と歴史』の中で、8つの介入の例を挙げ、強制力の小さいもの(現地の選択の余地が大きい)から強制力の大きいもの(現地の選択の余地が小さい)という「介入の度合い」を示している。すなわち、「演説」→「放送」→「経済援助」→「軍事顧問派遣」→「反対勢力支援」→「封鎖」→「限定的軍事行動」→「軍事進行」である。

国際紛争 -- 理論と歴史 原書第8版

国際紛争 -- 理論と歴史 原書第8版

*5:グリーンブラットは「西洋の」言語を覚えた、すなわち知を獲得したインディアンたちに対するヨーロッパ人の恐れにも似た特異な興味・関心についても指摘している。知識=言語を得たインディアンたちは、仲介者、情報提供者、案内人として役に立つが、しかしそのまま植民者の利益に役立つことを当てにすることはできなかった。”何故なら、言語学習によって、搾取関係が切り崩される可能性が常にあったからである……。ヨーロッパの言語および交換の体系の手ほどきを受けた原住民は、どの地点で自分の仲間が略奪されていることを、現実に理解し始めるのか。”

*6:ジャック・デリダは「制度」と建築の議論の中で、大学制度について指摘する。”大学はひとつの建造物です。…。教育の舞台は、語る者と聞く者のヒエラルヒーであり、場所の組織化であり、ひとつの構築です。したがってアカデミズムそのものが組み込まれている社会的政治的制度のディコンストラクションが課題になります。…。このような政治的制度的考察に踏み込むということは、ディコンストラクションのひとつの行動であり、コミットメントであることを意味するわけで、われわれは仲間と一緒に、フランスやフランス以外の土地でいわゆる戦闘的抗争に参加し、アカデミズムの制度とそれを背後から支える政治空間を変革しようとしてきたのです。”(『Any:建築と哲学をめぐるセッション 1991-2008』より 

Any:建築と哲学をめぐるセッション―1991~2008

Any:建築と哲学をめぐるセッション―1991~2008

*7:イードは文化と帝国主義の「相互交流」に着目し、たとえば、16世紀のスペンサーを研究するにしても、彼とアイルランドの関係を考慮すべきだという──領土と地理と権力が問題であり、どんなテクストもその政治的なコンテクストにおかなければならない、と。だからこそ思う。知りたい。そのような研究をし、成し遂げたサイードとは、いったいどのような人物なのか、と──どのような階層の出身で、どのような教育を受け、どのような地位を得て、いったいどれくらいの年収を得ていたのか、と。そういえばこんな記事があった→海外の大学の教授はどれぐらい給料をもらっているのかトップ10。”ちなみに、日本の全国立大学(86機関)の教授の平均年収は1053万円、私学だと年齢にもよりますが1400万円を越えるところもあるそうです。”

*8:スラヴォイ・ジジェクは『操り人形と小人 キリスト教の倒錯的な核』で、体制から特権を得ている「ラディカルな」学者の奇妙な振舞いに疑問を呈している。”「現実主義でいこう、われわれ左翼学者は、体制が与えてくれる特権をすべて享受しながら、外面的には批判的でありたいのだ。そのために、体制に対して不可能な要求をなげつけよう。そうした要求がみたされないことは、みな分っている。つまり、実際には何も変わらず、われわれがこれまで通り特権化されたままでいられることは確かなのだ」。金融犯罪に手を染めている企業を告発したひとは、暗殺される危険に身をさらす。それに対し、同じ企業に、グローバル資本主義とポスト植民地主義における雑種的アイデンティティとの関係を研究するので金を出してくれないかと頼んだひとは、数十万ドルの資金を手にする機会にめぐまれているのだ。”