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エコロジカル・フェミニズムについて



大越愛子『フェミニズム入門』より「エコロジカル・フェミニズム」について記しておきたい。エコロジカル・フェミニズム(エコフェミニズム、Ecofeminism)とは、人間と自然的なものに階層を置く近代的自然観を最も先鋭に問題化にしているフェミニズム思想・運動である。人間による自然支配、その構造は、男性による女性支配、その構造とリンクしている──そのような認識においてエコロジーフェミニズムは接点を見いだすことになる。その先駆者としては、環境科学者エレイン・スワロー*1と『沈黙の春』の著者レイチェル・カーソンが挙げられる。
シャーリーン・スプレトナクによれば、現代のエコ・フェミニズムの源泉は以下の三つの線に由来している。

  1. ラディカル・フェミニズム。家父長制の女性支配は、男性原理の自然支配と一体的である。したがって、女性の自己解放と自然との親和感の回復は同一の問題である、と。
  2. 霊的体験。女神の宗教とされる自然宗教は、人間による自然支配を肯定するユダヤキリスト教の伝統とまったく異質な形態を取る。それは女性の身体感覚の覚醒、霊的自己表現の運動と結びつく。
  3. 環境保護運動環境学を学ぶことを通じて、こうした領域における女性の実践的な役割に目覚めていくこと。

エコロジカル・フェミニズムに特徴的なのは「女性原理」という用語の使用、その位置づけである。一般的に「女性原理」は、構造主義ユング心理学で使用される用語で、多くの文化の支配原理のひとつである理性的、能動的、競争的である「男性原理」に対して、自然的、受動的、平和的なものであると捉えられる*2
「女性原理」を「男性原理」中心的二元論を補完する原理とみなすか、あるいは「男性原理」に対抗し、それを転覆する可能性をもつ原理とみなすか──後者の立場に立脚するのが女性原理派エコ・フェミニズムであり、女性原理に霊的な力の源泉をみる女性神学と類縁性をもっている*3

女性の霊性は、西洋的な一神教の男性原理において抹殺されたか封じ込められた、異教の女性信仰に起源をもつとされる。それは二元論的伝統によって無化されていた、女性の身体感覚の覚醒、霊的自己表現の運動と結びついている。女性神学者キャロル・クライスト*4は、女神崇拝の伝統と現代の女性霊性の運動とのつながりについて、次のように述べている。

「今日、霊性をもった女神シンボルの源泉となるのは、女神礼拝の伝統と、今日の女性の経験である。古代の地中海人種、キリスト教以前のヨーロッパ人、アメリカ原住民、中央アメリカ人、ヒンズー教徒、アフリカ人その他の伝統は、女神シンボリズムの豊かな源泉である。しかし、これらの伝統は、今日の女性たちの経験を通したものであり、女神の伝統──たとえば、男性神への従属──は無視されている。古代の伝統は取捨選択されているが、今日の意識に権威をもつとは考えられていない。女神シンボルは過去数年間に、国中の多くの女性たちの夢や空想、思考の中に自然発生したのである。」

クライストによれば、女性にとっての女神シンボルの重要性は、それが外的自然との一体化のみならず、女性の内的自然、つまり女のからだとその周期のイメージ、生命力の復活をあらわすという点にある。父権一神教の下で抑圧されていた女性の心と身体を癒すこと(healing)、自分たちの隠れた力を発揮すること(empowerment)が、そこで提起されるのである。



大越愛子『フェミニズム入門』(ちくま新書) p.70-72 *5

エコロジカル・フェミニズムに対する批判
女性の霊性運動による異教や先住民の女神に対する過剰な思い入れに対しては、先住民の厳しい生活現実を無視した白人の観念的運動にすぎないという批判が提起された──それは一種のスピリチュアル・ツーリズムである、と。
また、女性=自然と捉え閉鎖的なゲットー化を重ねる女性原理派エコ・フェミニズムに対して、それは新たな従属の罠、二元論的な陥穽に陥ることだ、という批判も起きた。

日本におけるエコロジカル・フェミニズムの提唱者、青木やよひは、文明化のプロセスを「自然の抑圧=身体の疎外=性の蔑視=性差別の発生」と解読、女性原理的でエコロジカルな身体論の復活──自然破壊的な生産中心原理に対して、自然宥和的な差異生産原理の復活──を唱えた。「その母性機能ゆえに、女性はみずからの身体に関心度が高く、男性よりも身体感覚に敏感たらざるをえない条件をそなえている」と*6。しかしそこに見られる女性=再生産原理とする本質主義的傾向が激しい批判に曝される。とりわけマルクス主義フェミニズムの立場に立つ上野千鶴子は「女は世界を救えるか」で──”女性原理は、もしかして〈世界を救う〉かもしれない。しかし現実の女性は、女性原理を文化によって配当されてきただけであり、女性原理の枠内に封じこめられる理由もなければ、それを気負いこんで引き受ける理由もない。現実の個人としての女性は、男性と同じく、それ以上偉いわけでも劣っているわけでもない。ただの男に救えなかった世界が、ただの女に救えるはずもない”*7

現実主義者上野は、女性が象徴体系の一部にすぎない「女性原理」に囲い込まれて、現実社会に数多くある女性差別問題を不問に付すことに警告を発したのである。特に「女性原理」が母性と結びつけられることに敏感に反応した。当時チェルノブイリ原発事故への危機感から、「子供を守る母性」の強調が反原発運動において盛り上がってきた状況もあった。



フェミニズム入門』 p.138

ディープ・エコロジーに対するエコ・フェミニストたちの警戒感
現代文明──近代の人間中心主義に対する反省、そしてその反動から自然中心主義を唱えるディープ・エコロジー(Deep ecology)の思潮が広まってきた。

現在の地球環境問題は、近代以降、人間が自然に対して誤った態度を取ってきたことに由来する。自然とは、近代人が考えてきたような「征服すべき対象」ではない。人間と自然とはそもそも一体である。自然のなかで、自然に支えられて生きる人間という、正しい世界観をわれわれが再発見することなしに、環境問題はけっして解決しない。そのためには、われわれ自身がまず変わる必要がある。われわれは見失ってきた「自然の声」、「地球の声」を聞くことのできる感受性をとりもどし、それらと呼び合うことのできるような人間へと、われわれ自身が変わってゆかねばならない。このような意識変革(自己実現)があってはじめて、真の自然保護が可能となる。この自然観は、人間中心主義ではなく、人間非中心主義(nonanthropocentrism, biocentrism)である。自然に対するそのような態度を実戦するために、われわれは自分たちが住む足下の地域の自然にもっと真剣なまなざしを向け、その地域独自の自然に即したやさしいライフスタイルを模索してゆかねばならない




森岡正博「ディープエコロジー派の環境哲学・環境倫理学の射程」*8

エコ・フェミニストは、ディープ・エコロジストに対して、

  • 人類文化による自然の破壊を強調するが、家父長制の問題を軽視
  • 自然を保護すると称して人口管理政策を主張したり先住民の生存権を不問にする傾向
  • 仏教をはじめとする非西洋思想を、深く検証することなく、自然共生的と称揚して、それらの思想の中にも潜んでいる差別的側面を無化

といった点を問題化している。メアリ・メラーは述べる。「そのアンチ・ヒューマニズムの傾向は、人々にエコロジーの問題について訴えかける適切な政治的基盤がない、ということも意味している。エコロジー的危機の責任が無差別的に〈人間〉一般にあると非難することは、北の人々と南の人々、富める者と貧しいもの、黒人と白人、男性と女性に等しく責任を負わせることになる。……私たちにできることは、性、人種、階級といった隠されたバイアスを考慮することなのだ。」*9



「今日の世界で、反二元論的革命の担い手は女である」
エコ・フェミニズムに対する批判、エコ・フェミニズムの内部に起こっている分裂を憂慮しながらも、その自らが依拠する自然-文化という二元論を超克する地点での新たなエコ・フェミニズムの形成が模索されてきている。また、ヴァンダナ・シヴァ/Vandana Shiva のように第三世界のエコ・フェミニストの提言も活発になされてきている*10
イネストラ・キング(Ynestra King)は「傷を癒す」の中で述べる*11。「エコロジカル・フェミニズムの任務は、真の反二元論的で弁証法的な実践理論の有機的形成である。これまでフェミニズムはこの問題を問わなかったからこそ、エコ・フェミニズムが必要なのである。

ニヒリズム、ペシミズム、理性と歴史の終焉に屈することなく、歴史に入り、真に倫理的な思想をもとうではないか──ものごとを〈である〉ではなく〈べき〉で考えて、人間を内外の自然に調和させるために精神と歴史を使うのである。これがエコ・フェミニズムの出発点だ。



[関連情報]

  • Ecofeminism: Prescribed Strategies

*1:エレン・スワロー/Ellen Swallow。参考書籍としてロバート・クラーク著『エコロジーの誕生 エレン・スワローの生涯』(新評論)がある。

エコロジーの誕生―エレン・スワローの生涯

エコロジーの誕生―エレン・スワローの生涯

*2:大越によれば、科学史家キャロリン・マーチャントにおいては、科学の「男性原理」的支配をとくに強調する戦略的用語として使用されており、その言葉の実体化は回避されているという。

*3:キリスト教、とりわけカトリック神学における「霊性」の在り方には三つの構成要素がある──絶対者に向かう超越(あるいはその動き)、無私、受動性(絶対的なものが自分の内に生じるままにするという意味において)。増田祐志 編『カトリック神学への招き』より 

カトリック神学への招き

カトリック神学への招き

*4:Carol Patrice Christ。邦訳にキャロル・クライスト/ジュディス・プラスカウ編『女性解放とキリスト教』(新教出版社)がある。

*5:

フェミニズム入門 (ちくま新書 (062))

フェミニズム入門 (ちくま新書 (062))

*6:青木やよひ「女性性と身体のエコロジー」(『フェミニズムの宇宙』所収) http://www.amazon.co.jp/dp/B000J7908M/

*7:

女は世界を救えるか

女は世界を救えるか

*8:http://www.lifestudies.org/jp/deep02.htm 
PDF http://www.journalarchive.jst.go.jp/jnlpdf.php?cdjournal=kisoron1954&cdvol=21&noissue=2&startpage=85&lang=ja

*9:『境界線を破る! エコ・フェミ社会主義に向かって』

境界線を破る!―エコ・フェミ社会主義に向かって

境界線を破る!―エコ・フェミ社会主義に向かって

*10:『生きる喜び イデオロギーとしての近代科学批判』

生きる歓び―イデオロギーとしての近代科学批判

生きる歓び―イデオロギーとしての近代科学批判

*11:

環境思想の多様な展開 (環境思想の系譜)

環境思想の多様な展開 (環境思想の系譜)

  • 作者: トムレーガン,J・B・キャリコット,ポール・W・テイラー,アルドレオポルド,ラマチャンドラグーハ,Tom Regan,J.B. Callicott,Paul W. Taylor,Aldo Leopold,Ramachandra Guha
  • 出版社/メーカー: 東海大学出版会
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