HODGE'S PARROT

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管弦楽版《死と乙女》と完成版《未完成交響曲》


Death & the Maiden (Symphony

Death & the Maiden (Symphony


フランツ・シューベルト弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D.810 《死と乙女》をアンディー・シュタイン/Andy Stein がオーケストラに編曲した作品と、同じく《未完成交響曲》として知られている交響曲第8番ロ短調 D.759 に第3楽章と第4楽章をブライアン・ニューボールド/Brian Newbould*1 が復元して完成させた作品を組み合わせたディスク。シューベルトの、知(識)られているが-知(識)られていない、二つの「交響曲」の新録音、という感じだろうか。
演奏は、ジョアン・ファレッタ/JoAnn Falletta 指揮*2バッファロー・フィルハーモニー管弦楽団


とくに《死と乙女》の管弦楽編曲が聴き応えがあった。このシューベルトの楽曲には、グスタフ・マーラーによる弦楽合奏によるアレンジがそれなりに知(識)られてあるが、この管弦楽版はマーラー版以上にエキサイティングだった。オーケストレーションシューベルトの時代の2管編成を「意図的に」踏襲しており、シューベルトが作曲したら「こうなるだろう」というのがビジバシと伝わってくる。例えば第2楽章の、あの悲痛なヴァイオリンの旋律は、フルートとクラリネットが受け持ち、美しく奏で、そこに音色の変化が絶妙に加わり、とても印象的だった。
しかもこの編曲は響きの効果だけに終わらない。『レコード芸術』で金子建志氏がアンディ・シュタインのオーケストレーションに関する興味深いアナリーゼ(楽曲分析、楽曲がどう作られているか知ること)を行っている。

この楽章(第2楽章)、ベートーヴェン交響曲第7番の第2楽章の「リズム主題」を、「葬送行進曲=死」という象徴性も含めて意図的に踏襲していることで知られている。《第7番》のリズム主題が2小節単位なのに対し、この楽章は《第7番》の前半1小節目をリズム主題化(拍子が2/4から2/2に変えられているので、記譜上の音価は2倍)。それを楽章中、どこかのパートが何らかの形で演奏しているという仕組みだ。
例えば、今回の編曲で最初のトゥッティとなる73小節〜では「リズム主題」が4分の1に圧縮され、テンションを高めているのをよりドラマティックに実感できる。

ソロに編曲された変奏の後半部にあたる105小節〔9分26秒〜〕では、《第7番》のリズム主題が2小節単位の原型で登場するのだが、シュタインはこの”先祖還り”を129小節〔12分08秒〕から金管で強調するのである。シューベルトの意図した暈しはそのまま弦で演奏させ、トランペットによって《第7番》を原型のまま輪郭化するあたりは、オーケストレーションという名目のアナリーゼと言うべきか。




レコード芸術』2009年7月号(音楽之友社)より p.128


完成版《未完成交響曲》はシューベルトが残したスケッチ、ピアノ譜から第3楽章を完成させ、第4楽章は劇付随音楽《ロザムンデ》の間奏曲を流用している。こちらはこのナクソス盤が最初の録音ではなく、すでにネヴィル・マリナーが録音をしているということだ。4楽章の交響曲として聴かなくても、これとあれを組み合わせて”Unfinished”を”Completed”にするレトリック──その論理を知(識)ること。
もちろんシューベルトの音楽は、論理的に、あるいは分析的に聴かなくても、魅力溢れる楽想の宝庫であるのだが。

*1:イギリスのシューベルト研究の第一人者で Schubert Institute の所長を努めた。http://www.briannewbould.co.uk/
著書に『Schubert and the Symphony: a new Perspective』がある。

Schubert and the Symphony: A New Perspective (Symphonic Studies)

Schubert and the Symphony: A New Perspective (Symphonic Studies)

*2:http://www.joannfalletta.com/