HODGE'S PARROT

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戦争と”犬の献納運動”



図書館で各国の情報機関(英、米、仏、ソ連イスラエル)関連の本を探していて、ふと思いついた──先日、Twitter に、ふとつぶやいた犬に関する本はないかな、と。探してみると『愛犬の友』という雑誌があった。その中の一冊が「人気ベスト15犬種」の特集号であった。僕の好きなポインター(イングリッシュ・ポインター)は入っているかな、と、見たが、15位の中にはランクされていなかった。それどころか、この分厚い雑誌の中にポインターのポの字もなかった。日本では人気がないのかな、ポインター犬は。

だが、その雑誌の中に、すごく興味を惹いた──というかショッキングな記事を見つけた。それは第二次世界大戦・太平洋戦争の最中、食料・物資不足に悩んだ日本政府が、毛皮や肉を有効活用しようと考えて、国民に対して犬の「供出」を求めていたということだ。それが「犬の奉納運動」なるものである。
実際に、昭和19年12月17日の朝日新聞の記事「畜犬の”献納運動” 各地で買上げも行ふ」が掲載されていた。軍需省と厚生省の連盟で各地方長官へ通達が出され、

軍用犬・警察犬・天然記念物指定犬種と登録した猟犬以外はすべて供出の対象としたので、愛犬家はパニックに陥ったが行政には勝てず、泣く泣く犬を差し出した。そんなわけで、戦争が終わって気づくと、残されたのはシェパード犬(S犬)と日本犬だけだった。




須田一郎「かつての人気犬種今昔」(『愛犬の友』2009年1月号、誠文堂新光社) p.39

八王子市の「犬の献納運動」隣組回覧板の文面も強烈だった。有無を言わせぬ強制力感じた。大きな文字で”隣組回報 犬の献納運動”と書かれ、以下の文章が続いている。

私達は、勝つために特別攻撃隊を作って敵に体當たりさせて立派な忠犬にしてやりませう。


決戦下、は重要な軍需品として
立派な御役に立ちます
また狂犬病の豫病の一助としても

何が何でも
皆さんの犬をお國へ
献納してください


さらにこの記事には続きがある。戦後の話だ。軍用犬・警察犬・天然記念物指定犬種と登録した猟犬以外はすべてお上(国、行政)に供出させられたのだが、昭和25年にジャパンケンネルクラブ(JKC)によって開催された創立記念全犬種展覧会には、当時の日本にはいないはずのポメラニアン、狆、グレート・デンなど40種300頭の犬がぞくぞくと出陳された。
この犬たちは、キャンプ(連合国の特別区)出身のものだった。

このようなキャンプは現在も沖縄・佐世保・岩国・横須賀・横田・三沢などにも存在している。そこへ、占領軍トップの連合国最高司令官マッカーサー元帥が昭和23年12月24日、日本民主化が軌道に乗ったと判断し米兵の緊張を緩和するためにクリスマスプレゼントとしてキャンプ内での犬の飼育制限解除を通達した(「ドッグガイド」昭和24年2月号)。
この報が伝えられると米兵は先を争うように本国から犬を取り寄せた。太平洋戦争中、日本の都市や工場に爆弾を落としたB29爆撃機は犬を運ぶ輸送機に早変わりした。その機数や飛行回数は軍事機密で不明だが、5万頭を超える犬が運ばれたと私は思っている。訓練士は勿論ドッグ・ボーイとして米兵に雇われた日本人も少なくなかった。




「かつての人気犬種今昔」 p.40