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「そそのかし、刺激し、生産する」



ミシェル・フーコーを特集している『現代思想』の最新号を買って、スターバックスでコーヒーフラペチーノを飲みながら、少し読んだ。

現代思想2009年6月号 特集=ミシェル・フーコー

現代思想2009年6月号 特集=ミシェル・フーコー


その中の一つ、箱田徹「抵抗の不在、闘争の偏在 フーコー統治論の主体論的展開について」に興味を惹く部分があったのでメモしておきたい。
興味を惹いたのは「封印令状」というもの、あるいは「封印令状」をめぐる権力と抵抗について、だ。
17世紀後半からの約百年間に、「勅令封印令状」によって、監禁施設に収容された人々に関する記録文書──フーコーは『汚辱に塗れた人々の生』というテキスト*1を序文にもつ同名の本の出版を構想していたのだった。
かつて国王は「封印令状」を出すことで、臣民に対しておよそあらゆることを命じることができた。しかしフランス大革命直後には「封印令状」による収容が禁止され、1790年には被収容者が解放された。通説では「封印令状」は絶対王政による専制的な権力行使の最たるものとみなされている。しかしフーコーは『狂気の歴史』以来、このような見方に異を唱えていた。

封印令状による基づく収容とは、パリ警視総監職が設置された17世紀半ば以降に活性化するのだが、これは都市に住む臣民、なかでも市井の人々が国王や行政に請願書を提出し、行政〔=ポリス〕による調査を経て収容が行われるという形式を取る点で、大変興味深い制度ではないかというわけだ。『狂気の歴史』では、封印令状に関する議論は、収容が次第に「法」に基づくものではなく「社会」の秩序維持や「非理性」の排除という動機から行われていくことに焦点を向けていた。
他方で1970年代になると、この議論には17世紀以降の行政権力の展開への関心という方向性が強まる。たとえば1972-1973年度講義『懲罰社会』の講義論旨は、封印令状による収容に関してはたらく権力作用を「下から上へ」の要請を前提に発生するものとして描く。

封印令状を(その機能と動機について)調査したところ、その大部分が、家長や下位の有力者、地域や宗教、職業に基づく集団が、自分たちを混乱させ、迷惑をかける諸個人に向けて出されるように請願されていたことが明らかになった。封印令状は、下から上に(要請という形で)いったん上にのぼり、それから王璽付きの命令として権力機構を下ってくる。封印令状とは局所的で、いわば毛管型の管理の道具なのだ。

封印令状による権力作用のこうした「毛管的な」性質についての議論は、行政権力の持つ種別的なはたらきに関する『監獄の誕生』での議論を予告するものだ。
このように『狂気の歴史』以来、封印令状に関する議論は、法-主権的な権力観の批判として、あるいは権力の抑圧仮説への疑問として展開され、規律訓練権力論に到る。人々は封印令状という制度を通して、自分たちの依って立つ人間関係の中に、処罰を下す法的な権力よりも、管理監督を行う行政的な権力を導き入れることになった。こうした経緯からフーコーは、封印令状による収容が始まった17世紀後半を、権力の「そそのかし、刺激し、生産する」機能が全面化し、ここには人々の発した権力への「誘惑」が伴われていると述べた。この意味で「汚辱に塗れた人々の生」には、当時の権力論の図式がはっきりと現れていると言える。




箱田徹「抵抗の不在、闘争の偏在 フーコー統治論の主体論的展開について」(『現代思想』2008年6月号vol.37-7、青土社)p.157-158

では、このような権力作用の中で、「抵抗」というものはありえるのだろうか。箱田氏はフーコーの思想に抵抗という概念はないと指摘する。しかし、思想家本人の思索には見出せない「抵抗と権力」という図式は大きな論点を構成しているという。それが「抵抗が初めにある」である。『汚辱に塗れた人々の生』で言えば、人々が語る力、書く力を元手にしてしか王権は作動しないのであり、しかもその力は王権に抗する形でも用いられる。『監獄の誕生』で言えば、近世の刑場に集まって罪人に罵声を浴びせかける人々と、刑の執行に抗議して罪人を解放してしまう人々とは同じ人々だった。つまり「抵抗と権力」というペアの中で抵抗が権力に先行するというよりは、フーコーが便宜的に抵抗と呼ぶものが、抵抗と権力という関係自体を成り立たせている、と。
そして、ここで、カナダのゲイ雑誌に掲載されたフーコーのインタビュー記事が参照される。インタビュアーは『知への意志』の論点を踏まえながら「抵抗は権力に対して外的には存在しえない」というテーゼの意味をフーコーに尋ねる。

フーコーは質問にこう答えている。

じっさい「囚われている」というのは適切な言葉ではないと思います。闘争が問題なのですから。ともかく私が言いたいのは、私が権力関係というときには、私たちはお互いに戦略的な状況にあることを指しているということです。〔……〕したがって私が言いたいのは、私たちはいつでも身動きが取れない〔=囚われている〕ということではなく、いつでも自由だということなのです。つまり、状況を変えることはいつでも可能なのです。

権力関係は、権力を行使する側と行使される側双方の自由度を動作の要件とする。こうした「自由」の概念についての肯定的な評価は80年代に入って登場する。このことは後ほど触れるとして、まず自由が存在していることが権力の前提条件であり、この前提条件が「抵抗」と呼ばれることに注目しておきたい。というのはわたしたちが権力関係の中でつねに存在しているという事実そのものが、既存の関係のあり方を変える可能性と不可分であるからだ。フーコーはだからこそすすんで次のように語るのである。

抵抗が初めにあるのです。抵抗はこうしたプロセスのすべての諸力に対して優位であるのです。抵抗は、その効果によって、権力関係に変更を強いるのです。したがって私は「抵抗」という言葉がこの力学の中でもっとも重要な言葉、キーワードだと考えています。

インタビュアーはこの話を引き取って、政治的な文脈に当てはめる。

抵抗の概念化というのは、これまで否定的なものばかりでした。しかしフーコーさんの考えを伺うと、抵抗とは否定することであるとは限らない。それは創造のプロセスです。創造と再創造を行うこと、状況を変えること、そのプロセスにすすんで参加すること、それが抵抗だということになります。

フーコーはこの発言に同意する。それは、抵抗が権力との関係の中で「権力に対する抵抗」という否定的なものとしてではなく、権力関係が構成される前提であり、その変更を迫る肯定的なものとして位置づけられるからだ。




「抵抗の不在、闘争の偏在 フーコー統治論の主体論的展開について」 p.159


そしてそこから──というかフーコー本人の思索から見出せないはずの「抵抗と権力」という図式から脱却する形で、フーコーが権力概念を拡張して〈統治〉概念へと到った道筋が説明される。ここでの「自由」をめぐる議論は重要であろう。フーコーは1978年講義『安全・領土・人口』*2で〈統治〉概念を導入し、新自由主義ネオリベラリズム)に関心を寄せる。
〈規律訓練〉は「権力のキリスト教モデル」として定式された。一方、フーコーは、精神医学が社会管理の有力な手段として確立されている過程を追っている──そこに、中世以降のキリスト教の聖職者の教育や指導の中に同一の言葉が登場することに注意を向ける。それが〈導き〉〔指導・監督(direction)〕であった。『精神医学の権力』には次のような記述がある。

精神医学の権力は一つの体制ですが、しかしそれは同時に──そして私が強調して述べたのはこちらの側面です──一つの戦いでもあります。それは、私が思うに、19世紀において──狂気の諸現象についてなされる疫病学的分析や記述が結局どのようなものであるとしても──何よりもまず反抗の意志ないし無制限の意志とみなされていたものとしての狂気に対する戦いです。妄想の場合においてさえも、その妄想を信じる意思、その妄想を肯定する意志、妄想のそうした肯定の核心にある意志、こうしたものこそが、精神医学の体制をその展開を通じて踏破し活性化する戦いにおいて、その標的となっているのです。
したがって、精神医学の権力とは、統御し、屈服させようとするものです。そして私が思うに、精神医学の権力のこのような機能の仕方に最も適合し、ピネルからルーレにいたるまでさまざまなテクストを通じて見いだされる語があります。最も頻繁に繰り返され、体制であると同時に統御であるというこの企図に極めて特徴的であるように思われる用語、それは「指導=監督」(デイレクシオン)とういう用語です。この概念については、その歴史を辿る必要があるでしょう。というのも、この概念は精神医学にその起源を持つのでは全くないからです。それは、19世紀にはすでに、宗教的実践に属するコノテーションの一式を持ち合わせている概念です。「良心の指導=監督」は、19世紀に先立つ3、4世紀のあいだずっと、諸技術と諸対象の一般的領野を規定してきました。ある程度まで、そうした諸技術や諸対象が、指導=監督の実践とともに、精神医学の領野のなかに移入されます。


(中略)


そうした実践が存在していたということだけではなく、精神科医たち自身においてそうした実践がはっきりと意識されていたということを明確にするために、サン=ヨン精神病院の院長による1861年の一つのテクストをみなさんにご紹介しましょう。「毎日、自分が指導=監督する精神病院において、私は、賞賛したり、報酬を与えたり、叱責したり、強要したり、強制したり、脅かしたり、罰したりしている。なぜだろうか。つまり私自身が狂者なのだろうか。そして、私がやっていることを、私の同僚たちすべてがやっている。すべての者が、例外なしに。つまり、これは物事の本性に由来することなのだ」




ミシェル・フーコー『精神医学の権力』(慎改康之 訳、筑摩書房) p.211-212 *3


霊的指導者が信徒や聖職者の魂の導き手であるのと同じように、精神医学者は「患者」とされた人々の精神の導き手であるのだ。世俗において。

両者の結合は、たとえば〈悪魔憑き〉の観念が肥大化する過程に見てとれるとフーコーは言う。『異常者たち』*4によれば、告解と良心の導きというセクシュアリティの新たな管理は16世紀のトリエント公会議を通して確立する。フーコーは、このことを踏まえた上で、悪魔憑きの身体を個人が身体レベルで行う抵抗として捉える。これが「抵抗」であるのは、キリスト教会の側に対して、痙攣を回避させながら告解を実践させるという課題をつきつけるからだ。これに対して教会側は、医学的な知への接近を通して、痙攣という現象自体を告解の枠組から完全に外す動きに出た。キリスト教の文脈では、痙攣とは信者自身の細部に存在する色欲が統御できないことによって生じるものであった。だが精神医学は19世紀になると、この同じ現象を自動的で不随意な「発作」として捉える。つまり痙攣という現象は、信仰と身体という宗教的・神学的な問題設定から切り離され、本能と身体という精神医学的・生理学的な問題設定へと移動する。




「抵抗の不在、闘争の偏在 フーコー統治論の主体論的展開について」 p.161

この社会管理というテーマは、ポリス論やドイツ・オーストリアの官房学を想起させる。フランス旧体制期のポリスとは「街の公安、風紀取締り、救貧、公衆衛生、都市環境の整備、食糧供給、経済活動の規則・監督など住民の生の維持全般に関わることの管理」を意味していた。それは慈恵的あると同時に、きわめて統制的なものであった。

国家に関するミクロ権力分析は、その理論的装置の検討を通して、フーコーに統治概念の根本にある構図に目を向けさせた。統治とは本質的に自己の自己と他者への関係であり、そこでは自己にせよ他者にせよ、その規模は問題とはならない。統治の視点から捉えられた自由主義はその典型だろう。ここでは国家が一つの主体とみなされる。そして国家による統治行為の実践は、つねに潜在的な過剰さ、または過小さを持つとして警戒の対象となる。なかでも過剰なはたらきかけを自制しようとする国家の国家に対する再帰的な営みが、自由主義の実践を特徴づけていた。ここには統治する「主体」の問題がはっきりと映し出されている。しかし統治の場としての領域国家あるいは「社会」とは、マネジメントの論理としての自由主義が自動的に貫徹する「幸福な」場ではない。住民〔人口〕とは確かに統治行為の対象だが、かれら自体も様々なスケールで、すなわち個あるいは集団として、自らと他者を導く主体として存在している。つまり近代的な統治の場としての領域国家は、ミクロとマクロの両方のレベルで自己が自己を導き、自己が他者を導く場なのである。




「抵抗の不在、闘争の偏在 フーコー統治論の主体論的展開について」 p.162

重農主義以降の古典的自由主義にとって、真理とは市場価格として現れる「自然な」秩序のことであった。統治はこの秩序を尊重する。
一方、新自由主義的な統治にとっての目標とは、市場を取り巻く「経済外の環境あるいは社会に介入」し、理念として措定された完全競争状態を「創出」することであった。

ここでは〈競争〉概念が、いわば「形而上学的な」真理として見なされる。そして完全競争の成立を妨害する経済理論や政策が全面的に否定され、その促進につながる政策が推進される。こうして新自由主義は「自由放任」的な統治原理とは大きく異なる形で「自由」を尊重する。




「抵抗の不在、闘争の偏在 フーコー統治論の主体論的展開について」 p.163

では、その「自由」が──「統治理性としての自由主義」が公権力の行使を内側から制限するとき、それはどのような論理に従っているのか。「二つの異質な原理」が働いている、とフーコーは指摘する。

一つは契約論的で自然権的な発想であり、もう一つは政府の介入の有用性を規準として自由を規定する功利主義的な発想だ。前者からは不可譲の権利として措定される人権概念が、後者からは「統治者に対する被治者の独立」が導き出され、両者は利害と交換という「市場」の比喩を介して接続する。近代民主主義社会に二つの自由が共存するのはこのためであり、いわゆる人権問題とは基本的人権の保障と被治者の自由・独立の確保という二つの側面を持つとフーコーは結論づける。つまり私たちにとっての「自由」には、相対的に定義されるという意味での「関係的」な側面が必ず存在するのである。




「抵抗の不在、闘争の偏在 フーコー統治論の主体論的展開について」 p.164



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