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西ドイツで学生を射殺した警官はシュタージだった



1967年、西ベルリンで26歳の学生ベンノ・オーネゾルク(Benno Ohnesorg、1940 - 1967)が警察官に射殺された。そのときオーネゾルクは、イランのパーレビ国王の西ドイツ訪問に対する抗議デモに参加していたのだった。彼の死は、その後の西ドイツ極左組織による「過激な」活動(radical left-wing violence)のトリガーとなった。
しかし、オーネゾルクを射殺した警官カールハインツ・クラス(Karl-Heinz Kurras、b.1927)が、ドイツ民主共和国DDR東ドイツ)の諜報機関である国家保安省(Ministry for State Security、MfS)──すなわちシュタージ/Stasi の「非正規協力者」(inoffizielle mitarbeiter、unofficial collaborators)であり、ドイツ社会主義統一党SED東ドイツ共産党)のメンバーであったという資料が発見された。

67年の学生射殺警官は東独スパイ=西独大荒れのきっかけ演出 [Yahoo!ニュース/時事通信]

22日付のドイツ紙フランクフルター・アルゲマイネなどによると、旧西独で反体制活動が過激化するきっかけとなった1967年のデモ学生射殺事件で、発砲した警官が旧東独の秘密警察、国家保安省(シュタージ)のスパイだった事実を示す資料が見つかった。
 旧西ベルリンで67年6月2日、イランのパーレビ国王の訪問に反対する学生デモが行われた際、ベンノ・オーネゾルク氏=当時(26)=が警官のカールハインツ・クラス氏(81)に射殺された。
 シュタージに関する情報を収集する機関が発見した資料によれば、クラス氏は東独の支配政党、社会主義統一党の党員だった。55年にシュタージに勧誘され、西ベルリン警察に関する情報を提供していたという。同氏は22日、地元紙に対し、シュタージに協力したことはないと否定した。
 西独ではこの事件を契機にデモが暴力的になった。また、70年代から80年代にかけてテロを繰り返した極左組織、ドイツ赤軍派の台頭を許すことになった。

Stasi-Spion erschoss Benno Ohnesorg



今回発見されたシュタージ・アーカイヴのドキュメントによれば、カールハインツ・クラスは1955年にシュタージに接触、東ベルリンに移り警官の職を求めたが、西ベルリンに留まり東側のスパイとして情報を提供することを要請された。クラスの任務は、西ドイツの警察に潜む「モグラ」(二重スパイ)を壊滅させることだった。
そして1967年、「事件」が起こった。
ベンノ・オーネゾルクの死後、クラスはシュタージから指令を受ける──すべての記録を抹消し諜報活動から手を引け、と。
西ベルリンの市民は徴兵義務を免れていた。反国家闘争が盛んであった。1960年代から70年代にかけて西ベルリンは左翼ラディカリズムの拠点になった。


[http://www.dw-world.de/dw/article/0,,4270326,00.html:title=Stasi spy shot West German protester in inflammatory 1967 killing] [Deutsche Welle]

Documents change a chapter in German history


The documents found in the archives of the Birthler Agency - the authority which manages files from the former East Germany - also contained a message radioed to Kurras by the MfS after the fatal shooting of Ohnesorg, which read: "Destroy all material. Cease work for now. View events as very regrettable accident."

Ohnesorg was shot to death in West Berlin on June 2, 1967 during a student protest against the Shah of Iran, who was visiting Germany at the time. His death triggered widespread and violent student protests across West Germany and helped fuel sympathies for the militant Red Army Faction and its up-and-coming first generation leaders, Andreas Baader, Ulrike Meinhof and Gudrun Ensslin.

Espionage expert Mueller-Enbergs, told ZDF that there were no clues in the Stasi files that Kurras had been explicitly told to liquidate Ohnesorg. After the shooting, Kurras was tried for reckless manslaughter but acquitted due to a lack of evidence.

The new information raises the question: What would have happened to the German student protest movement of the late 1960s had people known that Ohnesorg's killer had been a spy for communist East Germany?

諜報専門家が語ったところによると、シュタージがカールハインツ・クラスにベンノ・オーネゾルク殺害の指令を与えたという証拠は見つかっていない。クラスは過失致死で裁判にかけられたが、証拠不十分で釈放された。しかし、クラスが東ドイツのスパイであったならば、「オーネゾルクの政治的な死」("Benno Ohnesorg - political murder")に端を発した60年代後半以降の左翼・学生運動の歴史的評価に疑義がもたれるだろう、と Deutsche Welle は指摘している。




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