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スペインで戦った日本人



BBCのテレビドラマ『ケンブリッジ・スパイズ』(Cambridge Spies)のDVDが届いたので、早速観ているところ。ガイ・バージェス、キム・フィルビー、アントニー・ブラント、ドナルド・マクリーンら「英国を裏切った」スパイたちの活躍を、BBCが英国の人気俳優を起用してヒロイックに描いたものだ。
Cambridge Spies


この『ケンブリッジ・スパイズ』では、スペイン内戦が、彼らスパイにとって「1930年代の政治の季節」の重要なターニング・ポイントとなっているのだが、それで思い出した記事があった。『ミステリマガジン』で連載されていた井家上隆幸の「20世紀を冒険小説で読む」の第60回、日米開戦について。ここで「精読」される小説は、佐々木譲の『エトロフ発緊急電』(新潮社)だ。
1941年1月7日、帝国海軍連合艦隊旗艦長門で、山本五十六長官が「日米開戦やむなし」と見てハワイ奇襲攻撃の作戦を上申する。この極秘計画が日本の支配機構内部に密かに広がっていったのだが、そこに、小さいが「重大なほころび」があった──三田松坂町のプロテスタント教会では、日米関係が完全に絶たれれば日本の経済は瓦解し、国家そのものが滅亡すると憂うる男から宣教師のロバート・スレンセンに、ペルー公使シュライバーから一等書記官アームズに、情報が漏れていったのだ。米国の国務省海軍省もこの情報を無視する。だが、海軍省情報部のテイラー少佐は違った。テイラー少佐はスレンセンをスパイとしてリクルートしていた。さらに彼は、サンフランシスコの港湾労働者組合を牛耳るボスを殺した日本人移民の子、斉藤賢一郎をスカウトし、スパイとして日本に潜入させる。

米国船員組合の活動家で、37年にスペインの国際義勇軍に参加し、40年春に帰国した斉藤賢一郎は、「共和国の理想も、デモクラシーも、革命も、すべてが愚劣だった」といいきる虚無をひっかかえて殺し屋になった男だ。アメリカ国籍でありながら、日本人だということで差別されてきてアメリカは「祖国」というにあたいしない国だが、殺人犯として獄舎につながれるよりもスパイとなることを選んだ賢一郎が、潜入した東京で出会うのは、南京で日本軍に恋人を虐殺されて胸に荒野をかかえ復讐のためにのみ生きているスレンセンと、祖国を滅ぼされて家族を引き裂かれ名も言葉も奪われて、この国を滅ぼすためにはどんなことでもやるという朝鮮人金東仁。




井家上隆幸「20世紀を冒険小説で読む 第60回 日米開戦」(早川書房『ミステリマガジン』1996年8月号 No.485) p.90-91

東条英機内閣総理大臣となり、「日米交渉を続行して妥結に努めるとともに、戦争決意の下に作戦の準備をなす」と国策を決定した。陸海軍の戦争準備が進められる。アメリカ国籍を持つ斉藤賢一郎と朝鮮人である金東仁は、連帯して海軍省軍令部に勤務する海軍中尉の鞄から「計画メモ」を盗みだす。その情報をアームズ一等書記官に伝えるところを特別高等警察の捜査官に見られてしまった金東仁は、身を犠牲にして賢一郎を逃がす。賢一郎は、金東仁の「想い」を我がこととして引き受ける。憲兵である磯田茂平は賢一郎を追う。

青森から青函連絡船で函館へ、函館から釧路、根室と、磯田の追跡を逃れながらエトロフ島へ渡る賢一郎、執拗に追う磯田。そのエトロフ島には、日本人から差別されつづけてきた駅逓所の女主人、日ロ混血の岡谷ゆきと、おれは日本人ではないクリル人だと、いつかふるさとに帰る日を夢みている宣造がいる。同じように「祖国」というにあたいするものを持たない賢一郎とゆきと宣造は、どこか心かよいあうものを感じるが、単冠湾に海軍機動部隊が集結するにおよんで壊れる。




「20世紀を冒険小説で読む 第60回 日米開戦」 p.91


僕が気になったのは、この斉藤賢一郎というキャラクターの造形だ。「注」によると、この人物にはモデルがいる。それがジャック白井(Jack Shirai)である。
ジャック白井 [ウィキペディア]

1936年7月、スペイン内戦が始まると、彼はアメリ共産党義勇兵募集に志願し、12月26日、95人のアメリカ人と共にスペインへ旅立った*1。そして第15国際旅団第17大隊、通称エイブラハム・リンカーン大隊*2に配属され、マドリード防衛戦、ハラマ河の戦いなどの激戦を経験した。しかしジャック白井は職業経験を買われて炊事兵とされた。本人はそれが不満で、いつも前線に出たいと不平を漏らしていた。その後希望が容れられ、普段は炊事兵として、戦闘時は銃を取って前線に出「戦うコック」と呼ばれて活躍するようになった。


1937年7月11日、ブルネテの戦いでジャック白井は戦死する。弾雨の中立ち往生していた炊事車を動かすために陣地を飛び出したが、直後に銃弾に頭を撃ち抜かれ即死したという。墓碑には、「ジャック白井。反ファシストの日本人。彼の勇気を称えて。1937年7月11日」とあった。アメリカでの白井は、無口であまり喋らない男だったが、スペインでは、「いつも笑顔をふりまく、陽気な男」「子どもをかわいがる気の優しい男」だったと戦友は証言している。


彼の死後、第15国際旅団の機関紙「Volunteer for Liberty(自由のための義勇兵)」に、彼のための追悼詩が二度にわたって掲載された。


このジャック白井については、以前読んだ川成洋『青春のスペイン戦争 ケンブリッジ大学義勇兵たち』(中公新書*3にその名前が出てきたのを覚えているだけで、ほとんど何も知らなかった*4。なので以下の本を探して読んでみたいと思う。人はなぜスパイになるのか──それが僕の大きな関心の一つだからだ。



[関連エントリー]

*1:ハードボイルド作家ダシール・ハメットアメリ共産党に入党しており、スペイン第二共和政支援していた。そのため戦後、ハメットは「赤狩り」の被害にあうのだが、しかしその不遇の時期にエラリー・クイーンが彼らが発行した雑誌にハメットの作品を載せ続けていた、「そのことは評価しておくべきだ」、という文章を──たしか小鷹信光氏が書いていたと思う──読んだことがある(どこに書いてあったのか今思い出せないのだが……)。『赤い収穫』でも労働争議が小説の重要な背景になっていた。「ポイズンヴィルに法律があるなんて思うな。法律は自分で勝手につくるんだ」(ダシール・ハメット『赤い収穫』より p.175)

*2:Abraham Lincoln Brigade → http://www.alba-valb.org/

*3:

*4:"Jack Shirai"と"International Brigades"で検索すると、例えば、The Aura of the Cause: Photographs from the Spanish Civil War や、Remembering a Japanese 'hero' of the Spanish Civil War で言及されている。