HODGE'S PARROT

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アベル・ユーゴー『死の刻』



フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーの兄、アベルユーゴー(Abel Hugo、1789 - 1855)の短編小説『死の刻』(L'Heure de la mort)を読んだ。やはり『ミステリマガジン』に収録されていたものだ──それにしても、この雑誌のセレクトのセンスはさすがだな、よくぞこんな珠玉の短編を紹介してくれたと思う(白状すれば、僕は、ヴィクトル・ユゴーは『レ・ミゼラブル』も含め、読んだことがない)。

「幻想と怪奇特集 夢と小宇宙のファンタジー」に収録された作品だけあって、このアベルユーゴーの『死の刻』は、夢──あるいは「夢の中の夢」を描いた幻想小説だ。

アルベールという軽騎兵隊の士官が、スペインのある修道院の跡地(廃墟)で野営を張る。そこでまどろんでいると、激しい雨が降ってきた。嵐を避けるため、彼は朽ち果てた教会の中に入る。すると司祭が現れ、ミサが執り行われる──もちろん教会堂の中にはアルベールしかいない。司祭は、死者の霊を慰める祈りを唱えはじめる。アルベールは、子供の頃の敬虔な気持ちを思い出し、助祭や副助祭がするように司祭の祈りに唱和した。
ミサが終り、司祭は信者たちのいない堂内に別れの言葉を告げ、アルベールのほうへ向いた。

「見知らぬ若者よ、おまえの果たしてくれた務めのおかげで、わしの魂は煉獄から救いだされることになった。わしは、かつてこの僧院で犯した小さな過ちによって、もう二百年もの間、煉獄で罪をつぐなっていたのじゃ。その間、わしは、敬虔な人間がこの僧院を訪れ、聖務をまっとうさせてくれるのを待っていた。だが、毎夜、ミサを告げる鐘の音は鳴るが、二百年もの間、僧院を訪れる者はいなかった。そこへ、おまえが現れ、今夜、慈悲深き神の祭壇に跪いてくれたのだ。これで、わしの守護聖人も、わしの魂が天上に昇るのを妨げていた絆を断ち切ることができる。敬虔なおまえの態度は、報われなければなるまい。尋ねるがよい。ひとつだけ、ただひとつだけ、おまえの知りたいことに答えてやろう」


アルベールは、身を震わせた。それから、勇気を奮いおこして(人間とは、知らないほうが幸福なことを訊きたがるものである)、こう尋ねた。
「司祭様、それでは、私の余命がどれくらい残されているか、お教えください」
すると、司祭は、優しそうな声で悲しげに答えた。
「若者よ、おまえはそれを知りたいと申すのか。だが、望みとあらば、知るがよかろう。三年後のこの日、朝日が最初の曙光を放つ時じゃ。その時、おまえの魂は、土に肉体を返すだろう」




アベルユーゴー「死の刻」(高野優 訳、早川書房『ミステリマガジン』1991年8月号 No.424) p.57-58

アルベールは愕然とした。残された短い年月を思うと、彼にとって「青春の希望」は、もう、意味を持たなかった。だからこそ、戦闘が始まると、兵士である彼はかつてないほどの勇気を示し、大胆不敵に敵陣に切りこんでいった──定められた寿命に変わりはないのだから。故郷では恋人が待っていた。彼らは永遠の愛情を誓う。義父はアルベールを優しく迎えた。アルベールの母親も、ひとり息子の幸福に瞳を潤ませ、子供の頃から変わらない、優しい愛情を示してくれた。子供も生まれた。まわりの人たちは、アルベールが幸福で満たされている思っていた。しかし、彼の心は苦渋に満ちていた。幸福であればあるほど、それらが絶望の種になった。絶望は彼の心を蝕んだ。その彼の苦悩を母親は気づいた、妻も気づいた──でもアルベールは、彼の秘密を彼女たちに打ち明けることはなかった。
そして司祭の予言した三年後の最後の日……。


ま、だいたい予想がつくような結末であるが、それでも、幸福の刻と死の刻が隣り合わせになっている青年の心の動きが、とてもよく描かれており、強烈な後味を残す。文章も詩的で美しい。
なんとなく読後感が、A.E.ハウスマン(A. E. Housman、 1859 – 1936)の連作詩集『シュロップシャーの若者』(A Shropshire Lad)の『Into my heart an air that kills』に似ている感じがした。

わたしの心に、殺す風が
遠くの国から吹いてくる。
なんだろう、あの思い出の青い丘、
あの塔は、あの農園は?


あれは失したやすらぎの国、
それがくっきりと光って見える。
倖せな街道を歩いて行った
わたしは二度と帰れない。




A.E.ハウスマン "Into my heart an air that kills" (小笠原豊樹岩田宏 訳、マーガレット・ミラー『殺す風』のエピグラフより、ハヤカワ文庫)

アベルユーゴーアベルユゴーアベル・ユーゴとも)については、こちらのサイトを参照すると、『死の刻』(『死の刻限』もしくは『死期』)が、国書刊行会の『『十九世紀フランス幻想短篇集 世界幻想文学大系 33』*1『書物の王国 夢』*2、透土社『ふらんす幻想短篇精華集〔上〕』*3に収録されているようだ。

*1:

世界幻想文学大系〈33〉十九世紀フランス幻想短篇集

世界幻想文学大系〈33〉十九世紀フランス幻想短篇集

*2:

夢 (書物の王国)

夢 (書物の王国)

*3:

ふらんす幻想短篇精華集―冴えわたる30の華々

ふらんす幻想短篇精華集―冴えわたる30の華々