HODGE'S PARROT

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トマス・M・ディッシュ&ジョン・スラディック『無神論者の契約』



書棚を整理していて目に入った『ミステリマガジン』1996年1月号(No.478)──「異色短編特集 悪魔と契約!?」だった。お、と思って、その中の一編、トマス・M・ディッシュThomas M. Disch、1940 - 2008)とジョン・スラディック(John Thomas Sladek、1937 - 2000)の共作による『無神論者の契約』(The Atheist's Bargain)を読んだ。
物語は次のような印象的な文章で始まる。

彼は深海潜水球のガラス壁を通して見るように、目の前のセントポーリアの鉢をながめた。蝋燭の光のもとで、この農場主宅の居間のうちは、さながら海底の趣を呈していた。これまで長らく見慣れてきて、ほとんど目につかないまでになっていた家具調度、それがとつぜん存在を主張しはじめ、お節介な友の群れのように、周囲から彼に迫ってきた。からっぽの椅子がささやいた。「ホーマー、どれだけ気の毒に思っているか、とても口では言いつくせないほどだよ」
哀れにも、セントポーリアは枯れかけていた。




トマス・M・ディッシュ&ジョン・スラディック『無神論者の契約』(深町眞理子 訳) p.39

主人公ホーマーは悲しんでいる。なぜならば、彼の最愛の妻ロッテが脳卒中で亡くなったからだ──その部屋には死化粧を施した妻の棺が置いてある。彼は妻のことを思い出す。彼女は信仰に篤く、教会にも熱心に通っていた。一方、ホーマーはといえば「極めつけの無神論者」であった。そんなエピソードがさりげなく描かれる。
深夜三時。そこへ──「バイヤー」、つまり悪魔が現れる。”当店銘柄のセット販売”という魂と引き換えに提供する「願い」の数々が印刷されたパンフレットを持参して。二人、いや、その人間と悪魔の「ビジネスのやり取り」が秀逸だ。

ホーマーはせいぜいビジネスライクに眉をつりあげてみせた。「当然あんたも知っているはずだと思うが、わしは必ずしもあんたらの言う、”まことの信者”ではないよ。いや、じつのところ、無神論者なんだ、わしは」
「むろん、そのことならゴドウィンさん、ちゃんと承知していますとも。しかも、本来わたしにとってそれは、必ずしも異質な立場ではない。あなたが無神論者であることは、わたしどもの立場からはどうでもよいことなのです。わたしどもは、本質的に(と、誇りを持って申しあげますが)民主的な組織ですから。そう、このうえなく民主的な」
「しかし、わしに言わせるとだな、かりにわしがほんとに魂を持っていたとしても、すでにそのかなりの部分は、あんたらのものになっているはずだ。不信心者が、無神論者が、天国に行ったなんて、聞いたこともないからな。だとすると、わざわざこんな……」
「ときとしてわたしどもは、驚くほど気前がよくなるのですよ。しかしまあ、このような形而上的なたわごとに時間をつぶすのはやめましょう。さっさと要点にとりかかろうじゃありませんか、ゴドウィンさん。もしあなたに望みがあるとしたら──たったひとつだけ望みがあるとしたら──さあ、なにを願われます?




無神論者の契約』 p.43

ここ、無神論者ホーマーが牧師に議論を挑んだエピソードが効いている。ニヤニヤさせられる。それにしても、スマートな悪魔だな。
で、予想どおり、ホーマーの望みは妻ロッテを生き返らせる(復活させる)ことだ──そのような契約を悪魔とかわす。そして……。
というストーリーなのだが、冒頭の「深海潜水球のガラス壁を通して見るように」という印象的な表現が、ラストで、やはり、効いてくる。優れて技巧的な短編小説だった。面白かった。


ところで、冒頭に書いたように、僕が「お、」と思ったのは、先日、FeliscutusverX さんのエントリーを読んで、俄然、トマス・M・ディッシュを読みたくなったからだ(『プリズナThe Prisoner』も俄然、観たくなった)。しかも彼がすでに亡くなっていたこと(拳銃自殺だった)、そして彼がゲイであったことも知った。