HODGE'S PARROT

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ミロシェ・ポポヴィチのシューマン



ミロシュ・ポポヴィチ(Milos Popovic、b.1985)のロベルト・シューマン作品集を聴いた。ポポヴィチはベオグラード(彼は1985年生まれだから当時はまだ存在していたユーゴスラビアという国の首都)に生まれ、現在はセルビアとベルギー*1の二つの国籍を有しているピアニストだ。

Schumann: Sonata/Kinderszenen

Schumann: Sonata/Kinderszenen

収録曲は、


まず、ソナタ第1番の序奏に込められた「情念」(パッション)を聴いて、この演奏に対して何かしらアクションを起こさなければならないと思った──そのような意識が沸き起こった。このブログを書いているのもその一つの「能動」(アクション)なのだが、ポポヴィチというピアニストの弾くシューマンを聴いて、「ああ、いい音楽を聴いた」で終わらせたくなかった。
音楽を聴いている僕は、まったくの「受動」(パッション)なのだが、しかし同時に、「聴き取ること」によって、僕のなかで意志の活動(能動)がふつふつと沸きあがってくるのだ。

暗く重い情念が込められた序奏の後、テンポは一挙にアレグロ・ヴィヴァーチェにあがり、スタッカート付きのリズミカルな「数々の動機」が登場する。このシューマンの第1番ソナタは(とくに第一楽章で)、主題らしからぬ断片的な「動機」が次々に現れて、それが展開部で、まさしく主題労作ともいえる凝った──凝り過ぎた感もなきにしもあらずの、過剰な──展開がなされていく。複数の主題ならざる動機が、一挙に解放され、それぞれが自己を主張し、同時に音(声)を鳴らし、それらが重なり合い、膨張し、モザイク状に広がっていく。と、一挙に加速し、それが頂点に達すると、いきなりレントにテンポが落ち、重々しい情念的な序奏の音型が再び現れる。でもすぐにインテンポになり、それが再現部へとなだれ込んでいく。
この、次から次へと止めもなく溢れ展開していく動機を、どこまでもソナタ形式の枠に押し込め、それが崩壊寸前になるも(人によっては、だからシューマンは形式的な音楽が書けないとネガティブな評価を下すだろう)、しかしそれでもなおソナタであることを決して止めない。ソナタであろうとする強固な意志、その情念が強烈に感じられる。この「労作」が、僕は大好きだ。グッとくる。
ミロシュ・ポポヴィチは抜群のテクニックと生来のセンス──この言葉は再提示(re-presenter)された表現(representer)である──で、このシューマンの「超ソナタ」を見事に表現する。ニ楽章の美しいアリア、三楽章のフモール(ここでも気分の変化は著しい)。フィナーレも分厚い和音を十分に鳴らしきり(とくに低音の充実した響き)、どことなく複雑で晦渋な音楽を、ロマンティックでドラマティックな音楽として聴かせてくれる。そのアクションの中で、まさしくパッションが迸る。


ソナタを前後で挟む『3つのロマンス』と『子供の情景』も印象的な演奏であった。いきなり激情的に始まるシューマンならではの魅力を湛えた「ロマンス」もいいし、《見知らぬ国》への──あるいはもうすでに「存在しない国」への──思いと、それを夢想する《トロイメライ》の詩情も、素晴らしく感動的だ。

*1:このCDは、エリザベート王妃の名前が冠された Queen Elisabeth College of Music(http://www.cmre.be/)とベルギーの通信事業会社 Belgacom社(http://www.belgacom.be/)、及びスイスの金融グループ UBS (http://www.ubs.com/)が後援している。