HODGE'S PARROT

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デイヴィッド・セオドア・シュミットのメンデルスゾーン、シューベルト、ブラームス



ドイツのピアニスト、デイヴィッド・セオドア・シュミット(David Theodor Schmidt、b.1982)の演奏によるロマン派のピアノ曲を収録したアルバムを聴いた。Sony Classical との独占契約(exclusive recording contract)第一弾のレコーディングようだ。

Mendelssohn/schubert/b

Mendelssohn/schubert/b

メジャーレーベルへの第一弾としては*1、選曲が地味というか渋いというか、そんな印象をまず受けた。


《厳格な変奏曲》(この曲の新録音は久しぶりじゃないかな)と大好きなシューベルトの作品が収録されていること、そしてハンサムなピアニストがどことなくナルシスティックなポーズでピアノと一緒に写っている写真(とくに裏ジャケット)に惹かれ、聴いてみたくなった。

ちなみにオフィシャルサイトにもフォトギャラリーが──当然のことながら──用意されている。
[David Theodor Schmidt]

演奏はとてもよかった。《厳格な変奏曲》という「難曲」を聴けば、デイヴィッド・セオドア・シュミットが抜群のテクニックとしっかりとした構成力を持っていることが、すぐにわかる。込み入った箇所でもつねに明晰な響きで、各変奏のそれぞれの持つ個性(部分)を鮮やかに主張しながらも、全体として一つの楽曲にまとめあげていく様は、本当にスリリングでゾクゾクとする。叙情的な部分と激情的な部分が交差する楽曲であるが、なぜメンデルスゾーンがそこに「厳格な」(sérieuses)という言葉を添えたのかが、説得力を持って伝わってくる。素晴らしい演奏だ。

シューベルトの《3つの小品》もよかった。《即興曲》(D.899、D.935)や《楽興の時》D.780 と比べると知名度は高くないかもしれないが、僕はこの曲(集)が大好きで、とくに第2曲変ホ長調の絶妙な転調を繰り返していく──これもある種の「変奏」であろう──音楽にグッとくる。シューベルトならではの、多彩な感情表現はさすがだ──「たいして楽譜の読めない」、「ろくにピアノが弾けない」、そして著名な作曲家に師事したのに「作曲もパッとしなかった」哲学者は(ウィーンの作曲家にドデカフォニーを学ぶより、パリでナディア・ブーランジェに付いてフィリップ・グラスのような「ミニマルで慎ましやかな」音楽を書いた方が性に合ってたんじゃないか)、この26歳のピアニストの演奏、あるいはマウリツィオ・ポリーニの演奏を聴いてからシューベルトについてあれこれ「断言」すべきだったと思う。


ブラームスの後期作品──作品番号100以降は、普段あまり聴いていなかったのだが、シュミットの演奏を聴いて、改めていい曲だな、と思った。いや、メンデルスゾーンの《無言歌》という「単純な書法」による小品から始まって、ブラームスの晩年の「夢想的な」小品集で終わる、このディスク「全体」が、とてもいいアルバムだな、と思った。このCDを最初に聴いたのは昨日の夜で、週末なので平日よりもジムのプールで長い距離を泳いできたばかりだった。ほどよい疲労の中で、スコッチの入ったグラスを傾けながら聴く、メンデルスゾーンシューベルトブラームスの音楽は格別だった。どの曲も楽譜を持っているが、別に見ようとは思わなかった。

*1:以前に『Bach Reflections』と題された、ヨハン・セバスティアン・バッハフランツ・リストショスタコーヴィチの楽曲を収録したディスクが Profil から出ていた。こちらも聴いてみたい。

Bach Reflections

Bach Reflections

セザール・フランクの《前奏曲、コラールとフーガ》もシュミットは録音しているが、このディスクはドイツでのローカルリリースなのか国内ではすぐに手に入らない感じだ。ちなみにソニー盤では英語の解説がなく、ドイツ語オンリーだった。