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ハイドン 《十字架上のキリストの最後の7つの言葉》


Haydn: the Seven Last Words

Haydn: the Seven Last Words

没後200年のメモリアル・イヤーにあたる、ヨーゼフ・ハイドン(Joseph Haydn、1732 - 1809)の《十字架上のキリストの最後の7つの言葉 Die sieben letzten Worte unseres Erlösers am kreuze》を聴いた。ニコラウス・アーノンクール指揮、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス他の演奏によるオラトリオ版だ。

  • 序曲
  • 1. 父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。 (ルカ 23:34)
  • 2. はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。 (ルカ 23:43)
  • 3. 婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。 (ヨハネ 19:26-27)
  • 4. わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。 (マタイ 27:46、 マルコ 15:34)
  • 序曲
  • 5. 渇く (ヨハネ 19:28)
  • 6. 成し遂げられた (ヨハネ 19:30)
  • 7.父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。 (ルカ 23:46)
  • 地震

最後の描写的な「地震」以外、音楽は、暗く、重く、遅い(アダージョ、レント)。しかし無類に美しい。充実した巧みなオーケストラレーションとソプラノ、アルト、テノール、バスのソロとコーラスの劇的な表現によって、独特の得難い雰囲気を醸し出している。とても聴き応えのある音楽だ。深い感銘を与えてくれる。




[十字架上での七つの言葉について]
The seven sayings of Jesus on the cross [Wikipedia]




The Blood of Christ (a powerful one-man AIDS protest) [POZ]

エスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母親を自分の家に引き取った。




ヨハネによる福音書 19.25-27


Joseph Haydn, "Seven Last Words" (5/10)

人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出てきたシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。


イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。




ルカによる福音書 23.26-29

川原泉のお母さん、教えてください。ゲイの子供を持った母親は、バイキンの母親なのですか?
教えてください。自分と子供たちのために泣いたことがあるのならば。
大切な人と死別したのは、あなたたち親子だけじゃない。


イエスの十字架には「ユダヤ人の王」と罪状が記されていました。祭司長や律法学者、その他の見物人たち、そして一緒に十字架につけられた罪人までもが「おまえは他人を教えても、自分を救うことはできないのか?」「もしおまえが本当に神の子ならば、十字架から下りて、自分を救ってみるがいい!」と口々に叫び、イエスをののしりました
イエスは断末魔の苦しみのなかでも、泣き言や恨み言を一切言いませんでした。それどころか、自分をこのような目にあわせた人々のために祈っていたのです。


「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカによる福音書23・34)


十字架の上で、イエスはひたすら祈りつづけていました。しかし、すでに瀕死の状態であった彼のか細い声が、周りにいた人たちにはっきり聞き取れたはずはないのです。福音書によってイエスの最後の言葉が異なるのも、無理はありません。
ルカの福音書によれば、イエスは最後に「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(ルカによる福音書23・46)と叫んだことになっています。ヨハネの福音書では、「渇く」(ヨハネによる福音書19・28)、「成し遂げられた」(ヨハネによる福音書19・30)と言ったとされています。そしてマタイおよびマルコによる福音書には、こう記されています。


「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイによる福音書27・46、マルコによる福音書15・34)


この言葉は、死の間際に、イエスが神に対してぶつけた絶望的な嘆きにようにも聴こえますが、そうではありません。じつはこれは『旧約聖書』の「詩篇」、第22編、ダビデの歌の冒頭(詩篇22・2)の一節に一致するからです。
「詩篇」第22編は、受難にあって、なお主を讃美する詩です。おそらくイエスは、十字架にかけられた自分に、「詩篇」第22編を重ね合わせながら、詩を唱えることで祈りつづけていたのでしょう




クリスチアン・ニュルンベルガー『17歳からの聖書の読み方』(清水紀子 訳、主婦の友社) p.233-235

17歳からの聖書の読み方

17歳からの聖書の読み方




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