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東独の音2 シューマンの室内楽集



キングレコードから出ている「ドイツ・シャルプラッテン」シリーズより、ロベルト・シューマン室内楽集を聴いた。演奏は、アマデウスウェーバージンケ/Amadeus Webersinke(ピアノ)、ペーター・ダム/Peter Damm(ホルン)、ディートマール・ハルマン/Dietmer Hallmann(ヴィオラ)、ミヒャエル・ジム/Michael Simm(クラリネット)、ユルンヤーコプ・ティム/Jurnjakob Timm(チェロ)。1976年、ドレスデン・ルカ教会での録音。

シューマン:室内楽曲集

シューマン:室内楽曲集

収録曲は、


ドイツ・シャルプラッテン/VEB Deutsche Schallplatten とは、以前も書いたように、かつて存在した東ドイツ──ドイツ民主共和国DDR、Deutsche Demokratische Republik)の唯一の国営レコード会社であった。国の消滅とともに、その国営企業も霧散してしまった──「もう地球上にない」わけだ。ただ、音源のオープンリールテープは日本のキングレコード(徳間ジャパン)に来ていた。
このシューマン室内楽集は、プロデューサーの清勝也氏が言うように「東ドイツが血気盛んだった時代」に録音されたものだ──シューマンライプツィヒで活躍した、それゆえ東ドイツゆかりの作曲家なのだ。その音楽は、シューマンならではのファンタジーが飛翔し、憧憬に満ち、そして情熱が迸る。そのロマンティシズムに酔い、リリシズムにジーンとくる。素晴らしい演奏だ。
この「感じ」……すごく、いい。シューマンの音楽は本当に、いい。それしか言いようが、ない。
Schumann - Fantasiestucke, Op.73: Zart Und Mit Ausdruck


ところでこのCDに収録されている楽曲は、すべて作曲者が「オリジナル」に指定した楽器の組み合わせによっている──これらの作品をまとめて「オリジナルの楽器の指定で」聴く機会は限られている。というのもシューマンは、例えば《アダージョアレグロ》はもともと「ホルンとピアノのために」作曲したものであるが、同時に、チェロまたはヴァイオリンでも演奏可と記している。だからチェリストはこの《アダージョアレグロ》をよく演奏・録音するし、トランペットやオーボエに編曲されたりもする。だから意外に、これらの曲は、演奏・録音される機会は多い。ただそのときにでも、例えばブラームスチェロソナタなんかの曲とのカップリングで《ピアノとチェロのアダージョアレグロ》として録音されていたり、ある著名オーボエ奏者の『オーボエ名曲集』の中の一曲として《ピアノとオーボエのための幻想小曲集》であったりする。
このCDのように、ホルン奏者は《アダージョアレグロ》だけのためにセッションし、ヴィオラ奏者は《おとぎの絵本》だけ、クラリネット奏者は《幻想小曲集》だけ、チェリストは《5つの小品》だけ……という形で一枚のアルバム──この時代はLPレコードだろう──がリリースされるのは、それほど多くないと思う。しかもソリストはそれぞれ東ドイツを代表「した」音楽家たちだ(編集版はもちろん別だが)。ある意味、非常にぜいたくなアルバムかもしれない。

ドイツ・シャルプラッテンというのは、ドイツが東西に分かれていたころ東ドイツに一つしかなかった国営レコード会社ですから、ライバル会社がない、売れなかったら困る、という発想がなかったんですね。西側のドルが欲しいことはもちろんですけれども、それよりも、東ドイツという国の凄い文化を全世界に知らしめようとしていたことがありました。だから、売れる売れないにかかわらず、全集録音など多くの企画をやっていました。




清勝也インタビュー 「ドイツ・シャルプラッテン」とは(ブックレットより)


ちなみに──以前も書いたが──《民謡風の5つの小品》(Fünf Stücke im Volkston)の第一曲には「空の空」(Vanitas vanitatum)というラテン語が作曲者によって付与されている。旧約聖書の『コヘレトの言葉』(伝道の書)からのものだ。しかも次には「フモールをもって」(Mit Humor)というドイツ語の指示がそれに続く。僕はこの曲が大好きだ。そしてコヘレトの言葉にも、グッとくる──シューマンの音楽を聴きながら読むと、よりいっそう……あの鋭いリズムを伴ったチェロの低音が警句のように心にグッと響く。
Schumann's Funf Stucke im Volkston (I)

エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。


コヘレトは言う。
なんという空しさ
なんという空しさ、すべては空しい。


太陽の下、人は労苦するが
すべての労苦も何になろう、
一代過ぎればまた一代が起こり
永遠に耐えるのは大地。
日は昇り、日は沈み
あえぎ戻り、また昇る。
風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き
風はただ巡りつつ、吹き続ける。
川はみな海に注ぐが海は満ちることなく
どの川も、繰り返しその道程を流れる。


何もかも、もの憂い。
語り尽くすこともできず
目は見飽きることもなく
耳は聞いても満たされない。
かつてあったことは、これからもあり
かつて起こったことは、これからも起こる。
太陽の下、新しいものは何ひとつない。
見よ、これこそ新しい、と言ってみても
それもまた、永遠の昔からあり
この時代の前にもあった。
昔のことに心を留めるものはない。
これから先にあることも
その後の世にはだれも心に留めはしまい。




コヘレトの言葉 1.1-11 (新共同訳『聖書』より)


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