まだ間に合うか──と、アメリカの作曲家エリオット・カーター(Elliott Carter、b.1908)のディスクを一枚取り上げておきたい。ピエール・ブーレーズ指揮、アンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏によるものだ。
Carter: Oboe Concerto / Espirit Rude
- 発売日: 2001/06/25
- メディア: CD
エリオット・カーターは、オリヴィエ・メシアンと同じく、1908年に生まれた。つまり、今年2008年は彼の生誕100周年にあたる。メシアンと違うのは(あるいは指揮者のカラヤンらと違うのは)、カーターは現在でも「現役の」作曲家なのだ──Wikipedia を見ると、フルート協奏曲をはじめ四作品が本年度に発表されている。100歳の現役作曲家、しかも、ブーレーズが好んで取り上げるバリバリの前衛なのだ(エリオット・カーターはアメリカの現代音楽家の中で唯一演奏する価値のある作曲家だ、と、ブーレーズがどこかで発言していたように思う)。
このCDの収録曲は、
- オーボエ協奏曲 (1986-87)
- エスプリ・リュド/エスプリ・ドゥ ──フルートとクラリネットのための (1985)
- 見つめる鏡 ──エリザベス・ビショップの6つの詩 (1975)
- パントード(五極真空管) ──4つの楽器による5つのグループのための (1984-85)
これらカーターの音楽を聴いて……そこにはいわゆる「アメリカらしさ」など、まったく感じさせないことに気がつく。例えば、ガーシュインとかコープランド、バーンスタインらの作品を聴いて思い浮かべる「アメリカっぽさ」。あるいは、テリー・ライリーやフィリップ・グラス、スティーヴ・ライヒなんかのミニマルな「アメリカっぽさ」。映画音楽のような新ロマン主義とも違う。
カーターの音楽は、まさに保守本流……じゃなく前衛本流、すなわちモダンな音楽──さらにこういってよければ、それは「ヨーロッパ音楽」そのものだ。
ハインツ・ホリガーの技巧を余すところなく伝えるオーボエ協奏曲。ブーレーズが IRCAM で主催した「時間と音楽(Le Temps et la Musique)」会議の議題に取り上げられた《見つめる鏡》。コンセプトは「連結と遮断の体験」という《パントード》。そして《エスプリ・リュド/エスプリ・ドゥ》(粗い息/滑らかな息)は古代ギリシア語と関係があるんだって。
複雑で重層的な、しかし透徹した響き。構成の妙。魅惑的な/魅惑する音色。常に二重に意味が組み込まれた歌曲の言葉(だから《見つめる鏡》なのだ)。各楽器のヴィルトゥオジティ……。
エリオット・カーターの音楽は恐るべき密度を備えている。そこには、地理的なローカルな「情緒」など入る余地がない。
あなたを近づけえない日々
あるいは近づけることの決してない日々
出現しようとする距離
より執拗なもの
私と議論し、議論し、議論する
終わりなく
あなたがそれほど望まなかったことも
より切実でなかったことも明かされずに
《議論》 by エリザベス・ビショップ/Elizabeth Bishop (ブックレットより)
YouTube には《エスプリ・リュド/エスプリ・ドゥ》の演奏があった。
Esprit Rude/Esprit Doux II, Elliott Carter