HODGE'S PARROT

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完璧さへの奇行に満ちたロマンス ミケランジェリ




Arturo Benedetti Michelangeli Vol.2

Arturo Benedetti Michelangeli Vol.2

ミケランジェリは初来日以来、73年、74年、そして80年と合計四たび日本の土を踏んでいる。しかし、予定通りの日程をこなしたのは65年の第一回のときだけで、あとは「キャンセル魔」の名にふさわしい大騒ぎを演じた。
……(中略)……
80年の来日の時のトラブルは、その後永らく尾を引いた。わざわざお気に入りのピアノをヨーロッパから運んできたのだが、これが日本に着いたら調子が悪くて、思うようにならない。同行したイタリア人の調律師は、そのピアノを何とか彼の望み通りに調整しようと徹夜を重ねた挙句、肝心の当日、高熱を発してぶっ倒れてしまった。ミケランジェリ氏ご本人はすこぶるお元気なのであるが、ピアノの調律師が病気なのです……という、彼にとっては大真面目、日本側にとってはケシカランとしか理解できない理由で、NHKホール超満員の聴衆は散々に待たされることになった。




中村紘子ピアニストという蛮族がいる』(文藝春秋) p.251-252


アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの「完璧主義」は、ほとんど奇行の域に達している──そのように語られてきた。無理もないと思う。だって本当に完璧なんだから。この10枚組のライブ録音を聴いて(そう、ライブなんだよ、これは)、ミスタッチなど「まったくない」、完璧にコントロールされたテクニックの冴え、研ぎ澄まされた音色、計算しつくされた構成……
この妥協を知らない完璧さから生まれる音楽を聴くと、(同業者、中村紘子も語っているように)ほんとうに鳥肌の立つ思いがする──ピアノ演奏のひとつの極限がここにある。そのピアニズムに陶酔する。それはほとんど神秘体験と言ってもいいかもしれない──それが、スクリャービンのような「いかにもな」音楽ではなくて、ベートーヴェンの初期のピアノソナタスカルラッティショパンマズルカなのだから。

とくに凄い演奏を一曲だけ挙げると……
ベートーヴェンの第32番の二楽章の天上的なまでの高音のキラメキ、ショパンスケルツォ第1番の衝撃のコーダ、シューマンの《ウィーンの謝肉祭の道化》の低音のガツンとくる響き、スタジオ録音となんら遜色のない透徹した響きを聴かせるドビュッシーの《前奏曲集》《映像》、ミスが「まったくない」(本当は「ある」だろうけど)難曲中の難曲ラヴェルの《夜のガスパール》にフランツ・リストのピアノ協奏曲第一番)
……この中には《皇帝》や《葬送ソナタ》といった大曲もあるけれど、一曲だけ挙げると、それはショパンマズルカ第49番ヘ短調 Op.68-4 だ。あのショパンの絶筆となったマズルカを、これほど神々しく聴かせてくれる演奏を、他には知らない。


↓ の映像はベートーヴェンピアノソナタ第12番 Op.26 の2楽章。NaxosUSA がオーソライズしているものだ。
Classic Archive Trailer: Arturo Benedetti Michelangeli

……ミケランジェリはキャンセルの度に大真面目にこう繰り返すのだという。
「私は大変に高額のギャラを貰っている。それなのに不充分な演奏をしたら、聴衆に申し訳ないではないか」


ミケランジェリが奇行の人伝説の人になったのは、もしかしたら彼が実は本当に大真面目だからなのではあるまいか。……結局のところそういったすべては、彼の生き方の底に極端に真面目な「譲れぬ一線」、とでもいったものがあることを示しているのではあるまいか。





ピアニストという蛮族がいる』 p.253-254