HODGE'S PARROT

はてなダイアリーから移行しました。まだ未整理中。

クリスチアン・ニュルンベルガー『17歳からの聖書の読み方』


17歳からの聖書の読み方

17歳からの聖書の読み方


著者はドイツのジャーナリスト。この本は『聖書──本当に知っていなければいけないこと』(Die Bibel Was man wirklich wissen muss)というタイトルで2005年に刊行された。邦題が示しているようにヤングアダルト向けに書かれたものだ。著者のスタンスがわかる「聖書の解釈」をまず引用しておこう。旧約聖書出エジプト記』についてのものだ。

イスラエル民族のエジプト脱出は、その後の世界史における自由と解放を求める運動の手本となりました。古代ローマにおけるスパルタクスの乱、フランス革命アメリカ独立戦争と自由・平等・幸福の追求を基本的人権として記した独立宣言、マルクスの革命、ラテンアメリカにおける解放運動、アフリカ系アメリカ人たちの戦い、植民地で生きる人たちの独立運動、反アパルトヘイト、60年代後半の学生運動フェミニズム、同性愛者たちの権利を求める運動、東ドイツおよび東ヨーロッパの共産主義からの解放……これらすべての出来事は、深い根の部分で、「出エジプト記」の物語に、あの小さなか弱い人たちのグループが一致団結して「葦の海」を渡った体験に結びついているのです。




クリスチアン・ニュルンベルガー『17歳からの聖書の読み方』(清水紀子 訳、主婦の友社) p.144-145


このように、聖書の物語を、現代と通じ合うものとして解説していく。聖書を学びながら、現代社会における様々な事象が、その聖書によって解釈できる。そんな感じだろうか。なんだか、その「目からうろこのようなものが落ちる」かのような語り口は、スラヴォイ・ジジェクラカン読解にも通じるものがある。とにかく聖書は万能である──あいまいな記述はどのようにも解釈でき、矛盾に満ちた記述は敵対するAとBという立場双方の「正しさ」の論拠となる。重要なのは、ある書物の「読み方」を「読む」=「知る」、ことだといえるだろう。

エス安息日に人の手の病気を治し(マルコによる福音書3)、またイエスの弟子たちも安息日に麦畑を通って、その穂を積んで食べようとしました。それを観たファリサイ派の人々が「なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」(マルコによる福音書2・24)と批判するとイエスはこう答えました。


安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」(マルコによる福音書2・27)




『17歳からの聖書の読み方』 p.251

で、この『17歳からの聖書の読み方』では、詳しくは紹介されていないが(ただしこの本は完訳ではないということなので、もしかすると)、僕が個人的に惹かれる聖書の記述は旧約の『サムエル記』だ。例えばダビデが詠んだ”哀悼の歌「弓」”。

サウルとヨナタン、愛され喜ばれた二人
鷲よりも速く、獅子よりも雄々しかった。
命ある時に死に臨んでも
二人が離れることはなかった。


泣け、イスラエルの娘らよ、サウルのために。
私の衣をお前たちに着せ
お前たちの衣の上に
金の飾りをおいたサウルのために。


ああ、勇士らは戦いのさなかに倒れた。
ヨナタンイスラエルの高い丘で刺し殺された。
あなたを思ってわたしは悲しむ
兄弟ヨナタンよ、まことの喜び
女の愛にまさる驚くべきあなたの愛を。





サムエル記下 1.23-26

いちおう英語でも記しておこう(ZONDERVAN版より)。

Saul and Jonathan--
in life they were loved and gracious,
and in death they were not parted.
They were swifter than eagles,
they were stronger than lions.


O daughters of Israel, weep for Saul,
who clothed you in scarlet and finery,
who adorned your garments with ortnaments of gold.


How the mighty have fallen in battle!
Jonathan lies slain on your heights.
I grieve for you, Jonathan my brother,
you were very dear to me.
Your love for me was wonderful,
more wonderful than that of women.




2 Samuel 1.23-26


David and Jonathan loved one another.

ダビデがサウルと話し終えたとき、ヨナタンの魂はダビデの魂に結びつき、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した。サウルはその日、ダビデを召し抱え、父の家に帰ることを許さなかった。ヨナタンダビデを自分自身のように愛し、彼と契約を結び、着ていた上着を脱いで与え、また自分の装束を剣、弓、帯に至るまで与えた。




サムエル記上 18.1-4

ダビデとヨナタンの物語マルカントワーヌ・シャルパンティエ(Marc-Antoine Charpentier、1643 - 1704)が音楽化している。

Charpentier: David & Jonathas / Christie, Les Arts Florissants

Charpentier: David & Jonathas / Christie, Les Arts Florissants





[関連エントリー]