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MI5、ゲイの情報員を「公式に」募集



そういえば、『アシェンデン 英国秘密情報部員の手記』(Ashenden: Or the British Agent、1928)を書いたサマセット・モームは、実際にイギリス情報局秘密情報部/Secret Intelligence Service (SIS、MI6)の諜報部員としての体験を有していたのだった。
それで思い出したのが、以下の記事だ。
英国情報局がゲイのスパイを募集、FT紙 [AFPBB]

英情報局保安部(MI5)が同局情報員としてゲイの積極採用に乗り出したと、英フィナンシャル・タイムズ(Financial Times)紙が18日報じた。同局職員に対しても性的アイデンティティーをオープンにするよう奨励しているという。

 ゲイの権利団体「ストーンウォール(Stonewall)」代表のベン・サマースキル(Ben Summerskill)氏が同紙に語ったところによると、MI5は同性愛者の同局情報員への応募を奨励し、ストーンウォールに助力を求めた。

 サマースキル氏は、「英国の中央公務員といえば、官庁勤めの白人男性で、毎日午後4時30分ロンドン発の列車で南東部ロイヤルタンブリッジウェルズ(Royal Tunbridge Wells)の自宅に帰る異性愛者と相場が決まっていた。MI5がより幅広い社会を反映する方向に変わりつつあることを示している」と述べている。

MI5 seeks more gay spies [Financial Times]

Jonathan Evans, who became MI5 director-general last year, has now sanctioned a policy of targeting the gay community as potential recruits. Stonewall will include the security service in its guide of gay-friendly employers this year. The lobby group is also advising MI5 on how to create a supportive environment for its existing gay employees.

The decision is part of a broader cultural shift by the service, away from the traditional “tap on the shoulder by a don” method of attracting Oxbridge graduates to a more open recruitment of people from across society. The change is driven partly by necessity – MI5 has been rapidly recruiting hundreds more staff since the July 7 2005 bombings.

これは MI5(Security Service) だというのが画期的なんだろうな。MI6 だと例の「ケンブリッジ・スパイ・リング」があまりにも有名だし。



上記の写真は H.キース・メルトンの『スパイ・ブック』のものであるが、それによると MI5 は、

防諜(対情報工作)とその一環のスパイ防止を担当し、政府の転覆を企てるおそれのあるテロ組織、英国内の外国人の活動などを監視している。第二次世界大戦中、MI5は、ドイツのスパイの発見に大成功を収め、逮捕した者を使って、ドイツへの偽情報を送らせた。




H.キース・メルトン『スパイ・ブック』(伏見威蕃 訳、朝日新聞社) p.164

スパイ・ブック

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また、中薗英助の『スパイの世界 (岩波新書)』には MI5 とMI6(SIS) の組織としての差異として、

いまなお陸軍所属時代の勇名をはせた「MI5」で知られるイギリス防諜機関SS は、FBI とちがい逮捕権をもたないことでも有名である。内務省所管の保安部として、例のスコットランド・ヤードと呼ばれるロンドン警視庁刑事局の特別部が、尾行や逮捕などの実力捜査を担当するのである。伝統的にリベラル派の多い海外秘密情報部の SIS に比べて、SSはたたき上げの右翼保守派で固められているという。




中薗英助『スパイの世界』(岩波新書) p.41-42

なんていうことが記されている。ただそれでも、『フィナンシャル・タイムズ』が記しているように、これまでの MI5 はオックスブリッジ出身のエリートで固められていたのだろう。ジェイミー・ドレイヴン主演のTVドラマ『S.A.S. 英国特殊部隊』(Ultimate Force)でも諜報部(MI5)はエスタブリッシュな「感じ」に描かれていた

S.A.S.英国特殊部隊 セカンドシーズンコンプリートBOX [DVD]

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その英国におけるエスタブリッシュが国を裏切った。それがキム・フィルビー(Kim Philby、1912 - 1988)、ガイ・バージェス(Guy Burgess、1911 - 1963)、ドナルド・マクリーン(Donald Duart Maclean、1913 -1983)、アントニー・ブラント(Anthony Blunt、1907 - 1983)*1を中心とした「ケンブリッジ・スパイ・リング」の核心である。このスパイ史上最も有名な事件については、海野弘氏が『スパイの世界史』の中で、ダグラス・サザーランド(Douglas Sutherland、1919 - 1995) 著『大いなる裏切り──世紀の最もセンセーショナルなスパイ事件の結論』*2を要約している。

スパイの世界史 (文春文庫)

スパイの世界史 (文春文庫)

興味深い指摘がなされているので僕もそれを「要約」(sum up)しておきたい。
なぜ、バージェスらの事件がこれほどまでにセンセーショナルな事件とされるのか。

サザーランドによると、それは彼らがケンブリッジ出身のエリートであり、上流階級であったからだという。英国の大衆が、彼らを最大の裏切りとして激しく憎みつつ、またその事件に魅了されてしまうのは、彼らが英国社会で特権的で大事にされているにもかかわらず、国を売ったからなのだ。
中流階級や労働者がスパイになるのは、ある意味でわかるし、まだしも許せる。彼らは国からそれほど大事にはされていない。だが上流階級は大事にされ、保護されている。キム・フィルビーのグループはだれも裁判に掛けられず、逃げてしまった。だが、それほど大事にされながらも国を裏切ってしまう人間の不思議さは人々をとらえてはなさないのだ。




海野弘『スパイの世界史』(文春文庫) p.344-345

なぜ、そのような上流階級の人々がソ連のスパイになったのか──それは彼らの育った1930年代という時代を知る必要がある。

1929年の大恐慌以後の、経済的危機がつづき、ヒトラーが政権を奪い、ファシズムの影が世界をおおいつつあった時代。”知識人の戦い”といわれたスペイン市民戦争があった。若い世代の知識人は左翼思想にひかれ、実際の行動を求めてスペインに向かった。
政治的な季節であった。右か左かといった選択が迫られ、政治的関心が強く若者をとらえていた。そのような季節に、フィルビー、マクリーン、バージェス、ブラントは育ったのである。四人はケンブリッジに学び、ファシズムに妥協的な英国の体制に反撥し、その抵抗としてコミュニズムに夢を抱き、ソ連への共感を持っていったのである。


(中略)


1935年、四人のケンブリッジ時代は終わる。スペイン戦争がはじまり、左翼思想にひかれた若者たちがファシズムと戦うためにスペインに向かい、死んでいった。しかしケンブリッジの四人は”見えない戦争”(サイレント・ウォー)を選び、地下にもぐっていった。
彼らがそれぞれ、左翼的と見られる行動をぴたりとやめたのは、ソ連情報部にスカウトされ、スパイとして活動することを決定したからだろう。




『スパイの世界史』 p.346-348

スペイン内戦は、フランス革命以降はじめてイギリス国民を決定的に二つに分裂させた対外問題であった──”Britain Divided: The Effect of the Spanish Civil War on British Political Opinion” by K. W. Watkins。
→ スペイン内戦 [ウィキペディア]


ピカソの戦争 《ゲルニカ》の真実

ピカソの戦争 《ゲルニカ》の真実

ロバート・キャパ スペイン内戦

ロバート・キャパ スペイン内戦

スペイン戦争で何よりも不可解だったのは列強の出方である。戦争は現実にドイツとイタリアの支援でフランコの勝利に終わったが、両国の狙いは火を見るより明らかであった。ところが、フランスやイギリスのそれはさほどはっきりしていなかったのである。1936年の時点で、もしイギリスがスペイン共和国政府に援助の手をさしのばしさえすれば、せめて数百万ポンド相当の武器を供与しさえすれば、フランコ軍は崩壊して、ナチス・ドイツの戦略が挫折したであろうことは誰の目にも明らかであった。その時分は、わざわざ千里眼にならなくても、誰だって英独両国間に戦争が近づきつつあることを予見できた。一年か二年のうちに戦争が始まると誰でも予言さえできた。


にもかかわらず、イギリスの支配階級は最も卑劣、臆病、偽善的なやり方でスペインをフランコナチスに売り渡すため、あらゆる手をつくしたのであった。なぜか。彼らが親ファシストだったから、というのが明解な答えである。疑いもなく彼らはそうだったのである。





ジョージ・オーウェルカタロニア讃歌』(新庄哲夫 訳、ハヤカワ文庫) p.313


マクリーンは外務省の試験を受け、外交官になった。バージェスは保守党議員ジャック・マクナマラの個人秘書になった。フィルビーはソ連のスパイ、アリス・リッツィ・フリードマンと付き合う一方、ファシストの会合にも出席するようになった。そしてスペインに向かいフランコ派に近づいた。ブラントはウォーバーグ研究所に移る……。



この1930年代の「政治の季節」に関しては川成洋『青春のスペイン戦争―ケンブリッジ大学義勇兵たち』(中公新書)も参照のこと*3。また同著者による『スペイン戦争 青春の墓標―ケンブリッジ義勇兵たちの肖像』(東洋書林)も出ているようだ*4


そして、「ケンブリッジ・リング」の結びつきに大きな役割を果たしたのが、ゲイであったガイ・バージェスの存在だった。スパイの世界では同性愛は重要な役割を果たしてきた──かつてタブーであったからこそ、逆に強い絆をつくり出したのだ。

ブラントとバージェスは、ケンブリッジのエリートの秘密結社<使徒会(アポスルズ)>のメンバーでもあった。コミュニズム、秘密結社、ホモセクシャルといった人間の輪は、少しずつずれながら鎖状につながり、人間のネットワークをつくり出していく。スパイ・リングはそこに重なってゆくのだ。スパイはイデオロギーや金だけで結ばれているのではない。さまざまな人間的輪につながれ、人間模様を織りなしていく。ケンブリッジ・リングはその最も複雑で多彩な例であるからこそ、私たちをひきつけるのだ。




『スパイの世界史』 p.349

→ ケンブリッジ使徒会/Cambridge Apostles。例えば、テニスンバートランド・ラッセルヴィトゲンシュタインケインズ、G.M.トレヴェリアン、レナード・ウルフ、リットン・ストレイチー、E.M.フォスターらがメンバーであった。



↓ の映像はBBC のTVドラマ『ケンブリッジ・スパイズ』(Cambridge Spies)より。トム・ホランダー(ガイ・バージェス)、トビー・スティーブンス(キム・フィルビー)、サミュエル・ウェストアントニー・ブラント)、ルパート・ペニー=ジョーンズ(ドナルド・マクリーン)が出演している。個人的にはブラント役のサミュエル・ウェストSamuel West が、いい。*5
Cambridge Spies

エリザベス女王時代の治世にスペインの勝利のために努力した多くのカトリック教徒と同じで、フィルビーも自分の判断の正しさにぞっとするほどの確信を抱いている。まさにいったん信念を抱いた以上は、人間の間違った手段による不法行為や残虐が加えられるからといって、その信念を曲げようとしない人間のもつ必然的な狂信である。いかに多くの心やさしいカトリック教徒が、未来へのかかる希望を頼みの綱に長くて不幸な宗教裁判の時代を耐え忍んだことであろう。政策の誤りも彼の信念に何の影響も与えることはなかったであろうし、指導者の誰かが悪事をなしたとしても同じことであった。冷厳な宗教裁判所長トルケマダのような人物がいたとしても、いつの日にかヨハネ二十三世のような人が現れることを彼は心の内で知っていたのである。
「1930年代にわたしが共産主義の思想を選択したことはそれほど驚くにあたるまい。同時代のきわめて多数の者が同じ選択をしたのだ。ただ、当時その選択をした者の多くはスターリン思想の欠陥があれこれと明らかになるにつれて脱党した。わたしは最後まで頑張ったのだ」とフィルビーは書いて、さらに、不幸なボールドウィンチェンバレン内閣の時代に、これ以外どんな選択があり得たか教えてほしいと言っているのはもっともなことである。「この道がわたしをケスラー、クランクショウ、マガリッジと同類の追放された不平分子という政治的立場に追い込み、わたしは自分を落胆させた運動や自分を見捨てた神を呪う結果になることはわかっていた。たとえどんな利益にかなった仕事でも、これはおぞましい運命のように思われた」。




グレアム・グリーン「スパイ」(『神・人・悪魔』所収、前川祐一 訳、早川書房) p.359-360 *6


Cambridge Spies - "I'm in bed with Virginia Woolf's socks."

自分の国を裏切るか、自分の友人を裏切るか、どちらかを選ばねばならないとしたら、私は国を裏切る勇気をもちたいと思う。

If I had to choose between betraying my country and betraying my friend I hope I should have the guts to betray my country.




E.M.フォースター


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ところで今回この『スパイの世界史』を読み返してとくに気になった部分あった。それは、米国側情報により、暗号名”ホーマー”がマクリーンであるとつきとめられため、彼とバージェスがソ連へ逃亡する、まさにその日の記述だ。

1951年5月25日金曜日、マクリーンはふつうに出勤した。バージェスはおそく起きて、スティーヴン・スペンダーに、イタリアいる W.H.オーデンの住所を聞くために電話したが、いなかった。それからワシントンのフィルビーから電話があり、月曜日に、マクリーンの訊問があると伝えてきた。




『スパイの世界史』 p.353

先日書いたように、『破壊的要素』(The Destructive Element、1935)という著作でヘンリー・ジェイムズ論を展開した詩人で小説家、そして批評家であったスティーヴン・スペンダーの「その交遊関係」にガイ・バージェスがいた、ということだ。とても気になる。

ブラントとバージェスは、それぞれ MI5 とBBC で働きながら、その能力の許すかぎり、ソ連の利益に奉仕していた。1941年1月から、バージェスはBBCのヨーロッパ向け宣伝を担当していた。これは、外務省との関係をつくってくれたから、魅力的な仕事であった。
シリル・コノリーは書いている。「サボタージュの期待されていたポーランド人から、反ソ感情を取り除くのに、彼は手を藉した。1942年には、モスクワに使節として行こうとしたが、ワシントンに行っただけで終わった。数週間ワシントンに滞在した」


バージェスは「主義」を助ける仲間を、使徒会の中だけでなく、外にも求めていた。ケンブリッジ、オックスフォード、ロンドン大学ボヘミア、ソーホー、ブルームズベリー……。バージェスはいたるところに接触を求めた。




リチャード・ディーコン『ケンブリッジのエリートたち』(橋口稔 訳、晶文社) p.206 *7


[関連エントリー]

*1:英国王立美術鑑定官あったアンソニー・ブラントについては、『ウィリアム・ブレイクの芸術』(晶文社)と『ピカソゲルニカ>の誕生』(みすず書房)が邦訳されている。

ウィリアム・ブレイクの芸術

ウィリアム・ブレイクの芸術

ピカソ<ゲルニカ>の誕生

ピカソ<ゲルニカ>の誕生

*2:Great Betrayal: The Definitive Story of Blunt, Philby, Burgess, and MacLean、1981

*3:

*4:

スペイン戦争 青春の墓標―ケンブリッジの義勇兵たちの肖像

スペイン戦争 青春の墓標―ケンブリッジの義勇兵たちの肖像

*5:http://www.bbc.co.uk/drama/faces/samuel_west.shtml
http://www.nytimes.com/2008/04/06/theater/06ishe.html

*6:

グレアム・グリーン全集〈21〉神・人・悪魔 八十のエッセイ

グレアム・グリーン全集〈21〉神・人・悪魔 八十のエッセイ

*7:

ケンブリッジのエリートたち

ケンブリッジのエリートたち