HODGE'S PARROT

はてなダイアリーから移行しました。まだ未整理中。

新しい愛と音の世界へ 〜 マティアス・ピンチャー



サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による冥王星付き《惑星》に付録されていた《オシリスに向かって》(towards Osiris)が、そのアルバムの中でもとりわけ印象的だった、ドイツの作曲家&指揮者マティアス・ピンチャー(Matthias Pintscher、b.1971)の作品集を聴いている。

Pintscher: Herodiade/etc.

Pintscher: Herodiade/etc.


クリストフ・エッシェンバッハ指揮、北ドイツ放送交響楽団。クラウディア・バラインスキー(ソプラノ)、ディートリヒ・ヘンシェルバリトン)。




ハンサムなルックスも眼を惹くピンチャーのこのアルバムには、以下の曲が収録されている──タイトルからして眼を惹く。

  • ロディアード──断章 Hérodiade Fragmente for soprano and orchestra (1999)
  • デパール/出発 sur “Départ” (2000)
  • 《トーマス・チャタトーン》からの音楽 Music from “Thomas Chatterton” for baritone an orchestra (1998)


《エロディアード──断章》はステファヌ・マラルメの詩──サロメの母ヘロディアスについての詩──が採用されている。現代音楽とマラルメと言えば即座にピエール・ブーレーズを思い浮かべるが、ピンチャーの《エロディアード》も、ドラマティックなソプラノの「声」がやけに耳につくにもかかわらず、そのどことなく冷たい肌触りを持つ音楽は、ブーレーズの《プリ・スロン・プリ》と通じるものがある。実際、ブックレットに掲載されている音楽評論家ハンス=ペーター・ヤーンとの往復書簡で、マティアス・ピンチャーは、作曲に関するスタンスについて「自由に思いつくままに……霊感によって書かされる」ものではなく「システマティックに自分で書く」と述べている。精妙な響きは見事としか言いようがない。

アルチュール・ランボーの詩集『イリュミナシオン』からテクストが取られた《出発(デパール)》も、響きの精妙さを追求したものである。3つのオーケストラ群、3つの独奏チェロ、16の女声のための音楽は、録音からでも「響きの空間」をそれなりに感知できる。それぞれの「部隊=群」が的確にコントロールされているからだ。ここでは現代音楽ならではの新奇で強烈な響きを堪能できる。「出発だ、新しい情感と、新しい雑音のなかへ!」*1は伊達じゃない。

王子は天才であった。天才は王子であった。
巧妙な音楽が、ぼくたちの欲望には欠けている。




アルチュール・ランボー「小さな物語」(『ランボー詩集』より p.134)*2


ピンチャーは、スペインの司祭で神秘主義者のサン・ホアン・デラ・クルツ(十字架のヨハネ、San Juan de la Cruz、Saint John of the Cross)の残した言葉「音のない音楽、響きのごとき孤独、のどを癒し、愛をもたらす晩餐」を引いて、これをランボーの言葉に「透明なヴェールのように」かぶせてみてください、と述べる。この「操作」自体はよくわからないのだが、システマティックに音楽を制作する作曲家が、詩人や神秘家の言葉に大きな関心を寄せていることは面白い(もっともピンチャーは「今日芸術作品は、作者本人やそのコメント、解説を介在することなしには、受け入れられないのです」と語っていることは特記しておきたい)。



ランボーときて、今度は夭折したイギリスの詩人トーマス・チャタートン(Thomas Chatterton)とくるピンチャーのテイストにはニヤリとさせられる。しかもテクストは、あのハンス・ヘニー・ヤーン(Hans Henny Jahnn、1894 - 1959)なのだから。

トーマス・チャタートン(Thomas Chatterton, 1752年11月20日 - 1770年8月24日)は中世詩を贋作した事で知られるイギリスの詩人。生活に窮し、わずか17歳の若さで砒素自殺した事と相まって、ロマン主義における認められなかった才能の象徴と広く見なされている。




チャタートンはローリー(Thomas Rowley)の偽名で中世英語の詩を自作し、エドワード4世時代のブリストルに思いを馳せ、理想化した数々の作品を生み出す。チャタートンはこれらの作品を中世の古文書から発見したものだと触れ込んだ。





トーマス・チャタートン [ウィキペディア]


そしてトマス・チャタトンというと、ラファエル前派の画家ヘンリー・ウォリス(Henry Wallis、1830 - 1916)が描いた絵画作品がまず思い浮かぶだろう。この絵によって、この絵を通して、薄幸の天才というチャタトンの「イメージ」が、呼びさまされ、受けいれられ、定着している。

このウォリスの絵のモデルを務めたのは小説家ジョージ・メレディス(George Meredith、1828 - 1909)──代表作は『エゴイスト』(The Egoist)──だ。ピーター・アクロイド(Peter Ackroyd)は「様々なチャタトン」をめぐって展開する小説『チャタトン偽書』を書いているが*3、その中には、メレディスとウォリスが「チャタトンをめぐって」議論するシーンも描かれており、興味を惹く。

「ぼくも同じ問題にぶつかっている(in the same boat)。この言い回し知ってるかい? ぼくは言葉こそリアルなもんだと言ったんであってね、ヘンリ、それで表現されるものがリアルだとは言わなかったぜ。われらが親愛なる今は亡きかの詩人は無から修道士ロウリを生み出したわけだが、それでいてロウリは実在した中世のどんな坊さんよりも存在感がある。作りごとのほうが常にリアルなんだ。もう起きていいかな? 腕が痛くて」ウォリスはうなずいて、画面の蝋燭の煙の効果を見るため後ろへさがった。


Chatterton自分の論旨に元気づけられたメレディスは、ベッドから跳ね起きて、アトリエの中をうろつきはじめ、絵を見ないように気をつけながらしゃべった。「しかしチャタトンは一人の個人(=修道士ロウリ)を生み出しただけじゃない。彼は一つの時代を丸ごと作り上げて、その時代の想像力を自分のものにした。中世の世界はチャタトンが呼びさまし出現させるまで、誰もちゃんとわかってはいなかったんだ。詩人は世界を再現したり描写したりするばかりじゃない。実際にそれを創造するんだ。だからこそ詩人は畏れられる」
メレディスはウォリスのそばに寄ってきて、はじめてカンヴァスを見た。「だからこそこれはチャタトンのほんとうの死にざまとして記憶されることになるだろう」




ピーター・アクロイド『チャタトン偽書』(真野明裕 訳、文藝春秋) p.293-294 *4

まだ達成されぬ名声を継ぐ者たちが
人間の思想を超えて、はるか「目に見えぬ世界」に
建てられた玉座から立ち上がった。
蒼ざめたチャタートン──悲痛な苦悩は まだ、
かれから消えなかった。たたかい 倒れ
崇高にもやさしく生き かつ愛した
一点のきずもない「精神」、シドニー
そしてルカヌスは死によって証した。
かれらが立ち上がったので「忘却」は叱責された者のように
後じさりした。 




パーシー・ビッシュ・シェリー/Percy Bysshe Shelley「アドネース Adonaïs*5」(上田和夫 訳、新潮文庫シェリー詩集』より) p.158-159 *6


マティアス・ピンチャーは、彼のオペラ第一作が《トーマス・チャタートン》(1998年)であるように、この奇妙な人生を送ったイギリスの詩人にかなりの思い入れを抱いているのだろう*7。巧妙な音楽は様々なイメージを喚起する。巧妙な音楽は耳に様々な快楽を与えてくれる。そしてある世界に聴き手を誘ってくれる。
ピンチャーは「聴き手は”外側”にいて”内側”を聴こうとする立場」であるが「自分の存在位置(聴く方向)を意識することで、内部へと包まれていく感覚を手にする」と語る。「つまりこれは、聴き手の自己意識によって生じる幻想なのです。作品の内部とは、同時に聴き手の内部でもあります」。

僕は時々様々なイメージで一杯になる。
夢やあらゆる国の題材が、山となって僕を押しつぶす。
僕は駿馬に乗ってそのなかを駆け巡る。


(中略)



ずっと前から、僕には吐き気のするような間柄の友人がいる。
つまり僕自身だ。





Hans Henny Jahnn "THOMAS CHTTERTON"
《トーマス・チャタートン》からの音楽(城所孝吉 訳、ブックレットより)


[Matthias Pintscher]



[関連エントリー]

*1:ランボー「出発」、『ランボー詩集』より清岡卓行 訳、河出書房新社 p.144

*2:

*3:

チャタトン偽書

チャタトン偽書

  • 発売日: 1990/11/01
  • メディア: 単行本

*4:どうでもよいことだが、米Amazon で Peter Ackroyd の『Chatterton』を検索すると「Better Together」にジュリアン・バーンズの『フロベールの鸚鵡』(Flaubert's Parrot by Julian Barnes)が現れる。Buy this book with Flaubert's Parrot by Julian Barnes today! とね。個人的に、ニヤリとさせられる。

*5:この「アドネース」はシェリーがジョン・キーツの死を悼んだエレジー

*6:

シェリー詩集 (新潮文庫)

シェリー詩集 (新潮文庫)

  • 作者:シェリー
  • 発売日: 1980/09/29
  • メディア: 文庫

*7:「フィクションではない」チャタトンに関する本として宇佐美道雄『早すぎた天才 贋作詩人トマス・チャタトン伝』(新潮選書)が出ている。