HODGE'S PARROT

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シュトックハウゼンの《ツィクルス》



カールハインツ・シュトックハウゼンのツィクルス/Zyklus (1959) の演奏を YouTube にアップしている猛者がいた。
nick tolle plays stockhausen zyklus

nick tolle plays zyklus part 2



見ごたえのある映像だ。こういった音楽では、奏者の動作も聴取のための重要な手がかりになると思う。もっとも「奏者個人の持つ雰囲気」が音楽に何かしらの「印象」を与えることが、良いのか、悪いのかは、わからない──それはパラメーター化して「制御」できるものなのだろうか、それともそれこそが「作曲者の意図した秩序」を超える偶然性・不確定性として「開かれたもの」なのだろうか。

ケージの偶然性(チャンス)・不確定性(インデターミナンシー)とシュトックハウゼンらの偶然性(アレアトリー)との違いは、後者が管理された偶然性を通じて、作曲者の意図が聴き手にまで到達することを図ろうとしている点にある。





松平頼暁『20・5世紀の音楽』(青土社) p.62


そんなことを思いながら、「シュトックハウゼン音楽情報」や Florent Jodelet 盤(ACCORD)のブックレット、Wikipedia を参照すると、このパーカッションのための《ツィクルス(サイクル)》の楽譜は、16ページからなる「らせん綴り」(spiral-bound)になっている、とあるのだが、いまいちそれをイメージすることができないでいた(Stockhausen-Verlag のディスクはもっていない)。で、調べてみたら、そもそも「らせん」にもいろいろな「型」があるようなのだ。というか「螺旋」(英語では spiral)と「螺線」(helix)は本来は別だということを、いまさらながら、知った。

螺旋、螺線(らせん)とは、蚊取り線香のように渦を巻く平面曲線(渦巻き線)と、アサガオのようにつるを巻く空間曲線(つる巻き線)の総称である。「螺旋」と「螺線」は本来は別の言葉で、正確には螺旋がつる巻き線、螺線が渦巻き線の意味であるが、しばしば混用される。




螺旋 [ウィキペディア]


「平面」と「空間」の違い。しかし「互いに逆、つまり spiral が空間の、helix が平面の螺旋を意味する場合もある」のだという。うむ。ここでも「ねじれ現象」があるようだ。難しい。
それにしても、抽象的な(数学的な)渦巻き図形は、独特の「美」がある。

アルキメデス螺線 フェルマーの螺線 ハイパーボリック螺線 螺旋 Helix

Spherical spiral

A spherical spiral (rhumb line or loxodrome, left picture) is the curve on a sphere traced by a ship traveling from one pole to the other while keeping a fixed angle (unequal to 0° and to 90°) with respect to the meridians of longitude, i.e. keeping the same bearing. The curve has an infinite number of revolutions, with the distance between them decreasing as the curve approaches either of the poles.

The gap between the curves of an Archimedean spiral (right picture) remains constant as the curve progresses across the surface of the sphere. Therefore, this line has finite length. Notice that this is not the same thing as the rhumb line described earlier.





Spiral [Wikipedia]

シュトックハウゼンの《ツィクルス(サイクル)》では、演奏者は、その楽譜を上下逆にして読んでも、また左→右、左←右に読んでも、そしてどのポイントからスタートしてもOKだ──「自由」だ。
ただし、一つのサイクルを構成する各ピリオドの持続時間を一定にしなければならないとしたら。演奏者の「位置」に指示があるとしたら──パーカッションで作られる円(circle、cycle)の中に立ち、右へ向かって/左へ向かって、と。そもそも「自由にしたまえ」という命令は、いかなる意味で、演奏者にとって「自由」なのか?
「私は音価が記譜されているのを見た時のショックを思い出す」(デヴィッド・チュードア)*1
「they oscillate continuously between total determination and extreme liberty」(K.H. Stockhausen)*2

シュトックハウゼンのようにアレアトリックな作曲家の作品では、演奏者の仕事は作曲家の下請けのようなものになり、演奏することによってそれは作品として完結する。




松平頼暁『20・5世紀の音楽』 p.94


[関連エントリー]

*1:『20・5世紀の音楽』より

*2:Florent Jodelet 盤ブックレットより