HODGE'S PARROT

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ヘレヴェッヘのマーラー《大地の歌》



フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮アンサンブル・ムジーク・オブリクによるグスタフ・マーラーの《大地の歌》を聴いた。Bright Remmert(アルト)、Hans Peter Blochwitz(テノール)。

DAS LIED VON DER ERDE

DAS LIED VON DER ERDE

巨大なオーケストラを動員する、通常の演奏とはだいぶ異なるマーラーの《大地の歌》である。アーノルド・シェーンベルク1920年に構想した編曲(未完)を、ライナー・リーエン(Rainer Riehn)が1983年に完成させた室内オーケストラ版で、何よりピアノの響きが耳につく。これもまた斬新な音響である。
とくに最後の『告別』における幻想的なまでの色彩感は絶品だ。鍵盤楽器が高音を煌かせる。各楽器の音がくっきりと生々しく立ち現れ、その響きの中で、アルトが切々と歌い上げる。そのレンメルトの歌唱が素晴らしい。そういえばシェーンベルクの《心のしげみ》 Op.20 や《ナポレオンへの頌歌》 Op.41 も、そんな感じの曲だったな、と思った。
人間の声は、言葉は、くっきりと立ち現れる。

事実性同様に頑固な生をもち、たえず自分自身の遺骸から生まれ変わる死者を殺し、殺し直し、無限に殺す……まさに、ここで繰り返して言うべきだろう。《殺さなければならない死者がいる。》そして、暴力に訴える者は、ただたんに死者を絶滅させるだけではなく、その町、その住居を破壊し尽くし、そしてさらに墓を襲う。暴力者は熱中して襲いかかり、そして町の亡霊は、バンフォーの幽霊が王の宴をさ迷ったように、廃墟のあいだをさ迷い続ける。



この無限の執拗さそれ自体が暴力の破壊と、超自然といつわる虚無化の欺瞞とを立証していないだろうか。──ことばの魔法、ことばによる暴力、行動をともなわない暴力は、血まみれの虐殺と放火が失敗したところでは、成功することはなかろう。魔法使いは、矛盾を弄して、臆面もなく、勝手に宣告する。

なされたことが、けっしてなされたことがない、と。つまり、取り消せないものが取り消された、と。






ウラディミール・ジャンケレヴィッチ『還らぬ時と郷愁』(仲澤紀雄 訳、国文社)p.327-328