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『アウシュヴィッツ後の反ユダヤ主義』より



ヤン T.グロス著『アウシュヴィッツ後の反ユダヤ主義 ポーランドにおける虐殺事件を糾明する』(原題『Fear: Anti-Semitism in Poland After Auschwitz』)*1を読み始めた。


これは衝撃的な書物である。アウシュヴィッツ以後に、しかもナチスの被害国であったポーランドに起こった──アウシュヴィッツ以前からずっと続いている──反ユダヤ主義を克明に追ったものだ。
著者のヤン・トマシュ・グロスJan T. Gross)は1947年生まれという戦後、つまりアウシュヴィッツ以後に生まれたユダヤポーランド人で、プリンストン大学歴史学教授。アメリカ国籍を取得している。グロスがこの本を書く契機になったのは、あるポーランド人女性の書いた本の中にある「証言」に衝撃を受けたからである。
マリア・ホッホベルク=マリアンスカは、戦時中のポーランドナチスの迫害からユダヤ人を匿うために設立された地下組織「ジュゴタ」のメンバーだった。彼女自身ユダヤ人であったが「まともな容貌」──当時流布していたステレオタイプユダヤ人に「見えない」容姿──であったため、「ポーランド人として」活動することができた。戦後、彼女は「ポーランドユダヤ人協会中央委員会」の指示によって、ポーランド全土をまわって歩く「危険な仕事」を引き受けた。その目的は、戦時中にポーランド人家庭に匿われていたユダヤ人の子供を捜し出すことだった。子供たちの多くはすでに孤児となっているか、奇蹟的に親族が生き残っていたとしても、その所在は見当もつかない状態であったが。
マリアンスカはユダヤ人孤児と「その命の恩人」──ユダヤ人の子供を匿ったポーランド人たち──についての本を出版した。ヤン T.グロスが引っかかったのは、その本の中のある記述である。ユダヤ人の子供を匿ったポーランド人たちの多くが、自分たちの身元が明らかになることを恐れて名前を出すことを拒絶した、ということである。グロスには、その意味が全く不明であった。「殺人者に追われる無防備な子供の生命を救った人々が、賞賛を受けるどころか、逆に社会的に辱められ、迫害されるという事態は、ポーランド国外に住む人々にはとうてい理解できないだろうし、また、受け入れられないであろう」

当時、私はたまたまポーランド国内に住んでいたが、それでも彼女の言葉はまったく理解できなかった。「正義の異邦人」として当然讃えられてしかるべき人々が、ユダヤ人の生命を救った事実をひた隠しにしようとしたのは、いったいなぜなのか? なぜ彼らは自分たちの行為が同胞に知られることを恐れたのか? 私はポーランド人に生命を救われたユダヤ人の回想録をそれ以来数多く読んできたが、その結果、命の恩人が名前を隠そうとする現象は極めて一般的であったことを知るに至るのである。




ヤン T.グロスアウシュヴィッツ後の反ユダヤ主義』(染谷徹 訳、白水社) p.8

ユダヤ人を匿い、その生命を救った多くのポーランド人が、戦後、脅迫にされされ、身体的迫害を受け、生命を脅かされた──その衝撃的な事実が浮かび上がった。ある者は撲殺されそうになり、家を焼かれた。

レギナ・アルモワは戦前のポーランド軍士官の妻であったが、ブジェミスル市でユダヤ人狩り(=アクツィオン*2)が行われた直後、行き場を失い、絶望のふちに立たされていた。「知り合いという知り合い、友達という友達が私に背を向けました」と、レギナ・アルモワは戦後になって「ユダヤ人歴史委員会」に提出した宣誓証言書に記している。「やっとのことで夫の元上官であった司令官の家を思い出して、そこに十日間置いてもらうことができました。娘さんはもっと長く私を匿ってくれそうでしたが、夫人はとても怯えていました。そこで、私はその家を出ることにしたのです。匿ってくれた人のことは決して忘れません。でも、その名前は明かせません。今そんなことをすれば、命の恩人を人々の蔑視に曝すことになるからです。ユダヤ人を助けたポーランド人が同じポーランド人にそのことを知られたくないと思っているのです。でも、これは毎度のことなのです」
「オストロウェンカ・ユダヤ人協会記念文集」の中では、ホルツマン姉妹が感謝の念を込めてブジェホジェンという「正義の異邦人」の名を記している。「彼は本当にあらゆる意味で私たちを助けてくれました。そのうち、近隣の村々から農民たちがやってきて彼を迫害し始めました。『ユダヤ人の手下』と罵り、石を投げつけたのです。ついには殺害されたということが解放後になって分りました」






アウシュヴィッツ後の反ユダヤ主義』 p.10


死の危険に曝されたユダヤ人隣人に援助の手を差し伸べたポーランド人が、戦後になって、自分の国で社会的排斥を受けたのはなぜなのか? ある農村地帯で、(今もなお)、ユダヤ戦災孤児を救ったことを長い間隠していた(いる)のはなぜなのか? そもそも「アウシュヴィッツ後」のポーランドにおける反ユダヤ主義は何に起因するのか? 
著者であるヤン T.グロスは「反ユダヤ主義」を解明するためには、慎重な議論を必要とするとし、次のように記す。

偏見というものの本質は、根拠のない主張を全面的に展開するところにある。したがって、偏見を打破するためには個別的な問題を慎重に解明して本質への理解を深めなければならない。この二つは全く相反する精神活動だからである。もし通常の仮説検証手続きによって(すなわち、代替的な説明理論、推論の誤り、経験的証拠による限界、などを指摘することによって)偏見を論破しようとすれば、偏見の前提を受け入れたうえでの議論に引き込まれる。偏見が発生する土壌である不誠実な悪意を指摘できないばかりか、せいぜい、あたかも偏見による主張に経験的な根拠があることを認めるように、半ば弁解がましく、不本意な議論の枠組みを設定する羽目に陥りかねない。また、偏見の裏側にある不誠実な悪意を暴いたとしても、それだけではやはり偏見を説明しつくしたことにはならない。


虚構と事実が重層をなして縺れ合い、絡み合って出来上がった蜘蛛の巣のような混乱から、一撃で一挙に抜け出すのは不可能である。だとすれば、私の疑問を突き止める最善の方法は何なのか、私は思い悩んだ。答えを思いついたのは、執筆の過程であった。執筆とは、本質への接近を限りなく繰り返す迂遠な努力だからである。ばらばらに分離しながらも相互に関連する山のような資料を整理分解しようとすれば、時間軸に基づいて人を納得させる「あれか、これか」という類の話は創り出せない。むしろ、資料の山を多くの方向から異なる角度で繰り返し突かなければならない。




アウシュヴィッツ後の反ユダヤ主義』 p.12

Fear: Anti-Semitism in Poland After Auschwitz

Fear: Anti-Semitism in Poland After Auschwitz

  • 作者:Gross, Jan
  • 発売日: 2007/08/14
  • メディア: ペーパーバック





[関連エントリー]

*1:
ニューヨークタイムズ』のレビュー ●Postwar Pogrom [New York Times]
ワシントンポスト』のレビュー ●The Killing After the Killing [Washington Post]

*2:ナチスが一定街区を指定して一斉探索を実施し、処刑を目的としてユダヤ人狩りを行うことを当時の隠語でアクツィオンといった。ポーランド語ではアクチャン、英語ではアクションである。この用語は現在も主としてホロコースト関連の文献で使用されている。