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アメリカを売った男 Ex opere operato



『Stop Loss』の日本公開を待ち遠しく思っていたところ、グットタイミングでライアン・フィリップが出ている『アメリカを売った男』(Breach、ビリー・レイ/Billy Ray 監督)が劇場公開されていた。早速、観に行ってきた。日比谷シャンテ シネにて。


[アメリカを売った男]

スパイ・スリラーと言っても、『ミッション:インポッシブル』のような派手なアクションはないし、実際の事件を忠実に再現しているのでジョン・ル・カレブライアン・フリーマントルの小説のように「誰が二重スパイなのか?」というミステリーは味わえない(誰が「裏切り者」かはわかりきっている)。そういうことに主眼がないのは、いくつかのレビューを読めば、わかる。実際のスパイはかくも平凡な(であるような)人物であるし、スパイを追う捜査官も組織の官僚主義と待遇の悪さに不満を持つ一市民だ。

ま、そういう地味な映画であるのだけれども、個人的にグッときた。それは男(ライアン・フィリップ)、エスピオナージュ、キリスト教カトリック)の描き方(顕れ)が緊密であり濃密であるからだ。
以下はそういった「グッときた感じ」を整理すべく個人的にメモしたものである。

この映画では、FBI捜査官でありながら20年以上にもわたって KGB に情報を売っていた、クリス・クーパー演じるロバート・ハンセン/Robert Hanssen と、彼を追い詰めるFBI訓練捜査官ライアン・フィリップ演じるエリック・オニール/Eric O'Neill との心理戦を中心に描いている。当局は、ロバート・ハンセンをソ連/ロシアのスパイだと認識していた。しかし決定的な証拠がつかめない。そこでエリック・オニールという新米を送り込む。
なぜ、オニールなのか? それはハンセンが敬虔なカトリック信者で(結婚の際、ルーテル教会から改宗した)、しかもオプス・デイ/Opus Dei のメンバーでもあり、オニールはその名前(O'Neill)からアイルランド系であり宗教はしたがってカトリックであることは、ハンセンも当然、それを認識するはずだ──それを官僚組織が利用しても不思議ではない。

Eric O'Neill [Wikipedia]

Eric M. O'Neill (born 1973) is a former American FBI operative. He worked as an Investigative Specialist, of the Special Surveillance Group (SSG), and played a role in the arrest and life imprisonment conviction of FBI agent Robert Hanssen for spying on behalf of the Soviet Union and Russia.

O'Neill graduated from Gonzaga College High School in Washington, D.C. in 1991, and earned dual degrees in political science and psychology from Auburn University in 1995.

オニールは実際、イエズス会の男子校 Gonzaga College High School の出身である*1。叔父は助祭でもあった。これは映画でも言及される。要するに、FBI は、スパイとされる人物の一つのアイデンティティを突破口にする計画を立てた。追い詰める側のオニールも、官僚組織により、彼のアイデンティティが利用される──それをオニール自身も十分に認識している、なぜならば、彼の本来の仕事であったコンピューターに関する報告書は認められず反故にされていたからだ。正確なセリフではないが「僕がこの任務に選ばれたのは、仕事の有能さからではなくて、僕がカトリックだからですか?」というようなことをローラ・リニー演ずる「本当の上司」ケイト・バロウズ──彼女のポケベルのナンバーは<7>だ──に詰問する場面もあった。

官僚組織の目論見は見事、成功するだろう。何重にも嘘をつき、嘘をつかれる、スパイとカウンター・スパイは、ただ一点、神の名に措いて「真実を話す」ことを拒否する。しかしそれが二人を急速に接近させる──あの廊下での、二人が接近しすぎてオニールが壁にぶつかるシーンは「物理的な接近」だけを意味するものではないだろう。「高校の告解以来、教会を遠ざけてきた」というオニールが、自分の発した「告解」(confession)という言葉で、何かを思い出したのかもしれない。オニールと妻との関係が悪化するのも、彼女は一応プロテスタントであるがかつての「共産主義国家」東ドイツ出身で、ハンセン夫妻と教会のミサに参列するも彼女が居心地の悪さを示す描写とも関係しているだろう。彼らは会食で血と肉(映画ではタンパク質云々のセリフになっていた)を「食す」だろう。ハンセンは、「ゴンガーザ校出身の」オニールとともに*2パーキンソン病のオニールの母親のために「祈る」だろう。ハンセンのPDAからデータをダウンロードしたとき、それが間一髪でバレなかったのは、オニールがハンセンの十字架で跪拝していたからであろう。

そしてバロウズ捜査官らが仕組んだ、オニールを使ってハンセンを外部に誘きだし、その間、徹底的な証拠を捜し出す計画が、ちょっとしたミスで頓挫しそうになった時。オニールは「自分は嘘をついた」とハンセンに「告白」し時間を稼ぐ。本当はあなたに教会に関する本を選んで欲しかったのだ、とオニールは告げる。この説得が功を奏し(時間を稼ぐことができ)、当局は、ハンセン逮捕に関する重要な証拠を掴む。二人を尾行し、その「告白」のシーンを見ていた捜査員は「求婚(marriage)は成功したようです」と冗談を飛ばしながら報告する。ただし「marriage」という七つの秘蹟の一つを表す重要な言葉は、これ以前のシーンにもすでに登場していた──オニールとハンセンの二人が、プライベートで、キリスト教関連の図書館でやはり本を探しているとき、同性婚(gay marriage)について言及していたのだった。

こうしたオニールの活躍によって、ハンセンは、逮捕される。ただし二点ほどわからないエピソードがあった。なぜ、情報戦/諜報戦を勝ち抜いてきたベテラン・スパイが、オフィスでインターネットのポルノサイトにアクセスするのか(画面では女性の裸が映っていた)。なぜ妻との性行為をビデオに撮影し、それを(相手が誰だか聞き逃したが)郵送したのか。どちらも証拠に残るものではないか──道徳的罪を糾弾する恰好のスキャンダルとして。

そして何よりわからないのは、動機だ。それは結局、明かされることはなかった。もちろんハンセンの「行為」は十分な「効力」を発揮したのは言うまでもない。彼のせいで、アメリカのスパイ(KGB内に侵入していた二重スパイ)が多く殺された。経済的被害も甚大だ。ただし、それだけなのか?
ハンセンは言う「なぜソビエトが崩壊したのか」「それは信仰を排除したからだ」と。では、なぜ、彼はアメリカを裏切っていたのか。

ところでカトリックでは、「どのような人物」が何を成したかではなく、「成された行為」自体の効力を重要視する──したがってその人物/パフォーマーの「ステイタス」はさほど重要ではない──考えがある、というのを読んだことがあり、そのことを映画を観終わった後、ふと思い出した(このあたりの議論は僕も生半可なので、もし僕が勘違いでもしていたら指摘してもらいたいのだけれども)。Wikipedia にもその説明があった。

Ex opere operato [Wikipedia]

Ex opere operato is a Latin theological expression meaning literally "from the work having been worked" and with the specific meaning "by the very fact of the action's being performed." It refers to the idea that the sacraments work from the mere fact of having been administered, rather than from the status of the performer—that is, they actually confer grace when the sacramental sign is validly effected, not as the result of the good standing of the celebrant, or activity on the part of the recipient, but by the power and promise of God.


映画の最後、エリック・オニールが FBI を辞め──昇進という「叙階」を断り──オフィスを出て行く時、偶然、手錠をかけられ捜査官たちに取り囲まれたやつれ果てた「罪人」ロバート・ハンセンに出くわす。ハンセンは、オニールに「祈ってくれ」と一言発する。その姿がどこかの画家の描いた「ある種の」キリストの絵になんとなく似ていた。







[関連エントリー]

*1:アロイシウス・ゴンザーガ(St. Aloysius Gonzaga)は青少年の守護聖人。そして「アロイシウス」と言えば、イーヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』でセバスチャンの熊のぬいぐるみ/テディ・ベアの名前が「アロイシアス」だった。

*2:聖人アロイシウス・ゴンザーガは病気・疫病に冒された人たちの──最近ではとりわけ HIVエイズ患者にとっての──守護聖人でもある。