HODGE'S PARROT

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英訳版『ドン・ジュアン』のカヴァーがセクシーすぎる件について



カヴァー優先で本のコレクションをしているのだがモリエールの喜劇『ドン・ジュアン』(Don Juan、1665年作)の英語版のデザインがあまりにセクシーなのには目を瞠った。

Don Juan


これはどういうことか。いや、モリエールのこの『ドン・ジュアン』は読んでないけれど、リヒャルト・シュトラウス交響詩ドン・ファン』は知っているので、これが「色男」の物語だっていうのはわかる。だけれども腹筋が割れているというのはあまりにポイント高すぎるんじゃないか。

ドン・ジュアンの埋葬―モリエール『ドン・ジュアン』における歴史と社会 歴史のフロンティア 家と子供をもとうとしないドン・ジュアンの生活態度が、いかに常軌を逸したものであるかは、<家>の永続性に心を抱く伝統社会の家父にとって、男子をもうけることがまさにオブセッション以外の何物でもなかったことを裏づける当時の医者たちの証言に耳を向けることによっても納得されるだろう。


生殖のメカニズムがまだ解明されていない時代の話である。古代ギリシャのピポクラテスは男女の種子の混合によって生殖が営まれると考えていたようだが、一般には、十七世紀後半に女性の卵巣が発見されるまでは、生殖における男性の圧倒的優位が信じられていたという。卵巣の発見によって揺らいだかにみえた男性優位は、しかし、精子の存在が卵巣発見の数年後に確認されたことで維持された。
優れた数学者・科学者であったモーペルチュイは、「生殖は完全に女の肩にかかっていると考えられてきたが、これで〔精子の発見〕男に返還された」と書いているほどである。生殖は卵子のなかに精子が進入することによってなされることが知られるには、1875年を待たねばならなかったから、その後も、生殖における男性の役割を女性のそれよりも上位におく「思想」は、容易には勢いを失わなかった。医者たちが父となる者に多くの助言を与えたのも、そのような文脈においてだったのである。




水林章 『ドン・ジュアンの埋葬 モリエールドン・ジュアン』における歴史と社会』(山川出版社) p.249

このモリエールドン・ジュアン』の英訳者はニール・バーネット(Neil Bartlett、1958年生まれ)。彼は英国の著名な小説家であり、劇作家、翻訳家、シアター・デレクター、さらには俳優でもある。そして、言うまでもなく、彼はゲイである。


[Neil Bartlett]

ニール・バーネットは他にもジャン・ジュネやハインリヒ・フォン・クライストの『プリンス・オブ・ホンブルク/Prince of Homburg』*1、ピエール・ド・マリボーなどを翻訳、上演している。

The Prince of Homburg (Absolute Classics)

The Prince of Homburg (Absolute Classics)



最近ではチャールズ・ディケンズの『オリバー・ツイスト』を脚色し、そのアメリカ公演(American Repertory Theatre 、 A.R.T. )におけるインタビュー映像が YouTube にあった。

Adapting "Oliver Twist" for the Stage


[American Repertory Theatre website]


またバーネットの小説もとても高い評価を得ているようだ。

Mr Clive and Mr Page

Mr Clive and Mr Page

His novels include Who Was That Man: A Present for Mr. Oscar Wilde (1988), Ready to Catch Him Should He Fall (1992), and Mr. Clive and Mr. Page (1996). Who Was That Man shows how the gay history of London in the 1890s affects Bartlett's life as a gay man in London in the 1980s.



Neil Bartlett [Wikipedia]


残念ながら翻訳はされていない……と思っていたら、『ミステリマガジン』(1992年11月号 No.439)に短編『汝の右手を上げよ』(Raise Your Right Hand)が柿沼瑛子氏の訳で掲載されていた。


この号の作家特集は僕の好きなマーガレット・ミラーで、これも重要なのだが、なんといっても柿沼氏による「ワイルドの子供たち──英国ゲイ文学の歴史」が必見だ。E.M.フォースター/E.M. Forster はともかく、J.A.シモンズ/John Addington Symonds やデントン・ウェルチDenton Welch 、J.R.アッカリー/J. R. Ackerley──『家畜』*2や『E.M.フォースター評伝』*3が邦訳されているフランシス・キング/Francis King はアッカリーの遺言執行人だったそうだ──といった余程英文学に関心がなければお目にかかることのないであろう人物たち(あったとしても彼らの同性愛事情が等閑視される)が丁寧に、そして「真摯に」紹介されている。
『汝の右手を上げよ』では主人公がマリボーと自分をなぞらえ、対比しながら、ボーイフレンドとの関係について静かに悩ましく語っていく。

今読んでいるのは”社会”の棚にあった三番めの本だった、変装や偽装について書かれた本で、『見ることは信じること(論より証拠)』というのがそのタイトルだった。ピエール・カルレド・シャンブラン・ド・マリヴォーはフランスの作家であり、1763年に亡くなっている。そしてそれらすべての芝居も小説も、テーマは愛だった。




『汝の右手を上げよ』より



[関連エントリー]

*1:ちなみにハンス・ヴェルナー・ヘンツェ/Hans Werner Henze もこのクライストの戯曲をオペラ化している。→ 『公子ホムブルク』(Der Prinz von Homburg、 http://en.wikipedia.org/wiki/Der_Prinz_von_Homburg
さらにちなみに言えば、ヘンツェはジュネの『薔薇の奇蹟』を音楽化している。

*2:

家畜 (lettres)

家畜 (lettres)

*3:

E.M.フォースター評伝 (E.M.フォースター著作集 別巻)

E.M.フォースター評伝 (E.M.フォースター著作集 別巻)