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ヘンリー・ジェイムズ『大使たち』文庫化



英米文学最強の作家ヘンリー・ジェイムズ(まさか異議はないだろうな)の傑作『大使たち』(The Ambassadors、別題『使者たち』)が岩波文庫より出た。翻訳は青木次生氏だ。

大使たち〈上〉 (岩波文庫)

大使たち〈上〉 (岩波文庫)


↑ 画像がないぞ……まあ、地味な表紙なんだけど……。
これで『鳩の翼』*1『金色の盃』*2と揃ってジェイムズ後期の三大長編が文庫で読めようになった。今年の翻訳文学の「事件」はドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』の新訳だけじゃないぞ、と声を大にして言っておきたい。

『大使たち』は作者自身も「最も優れた完璧なもの」と評価していたようだ。

1900年の夏、本格的な執筆に取りかかった彼は、ハウェルズに宛てた手紙の中で、これは「人間的、劇的、国際的、絶妙に『純粋』、絶妙にすべてを具備した作品で……私の才能を思いのままに生かすことができる」と述べている。こうした生き生きとした自信は、作品の隅々にまで織り込まれている。不自然なほど技巧的な『年ごろ』や『聖なる泉』を書いた後で、ジェイムズははなやかでしかも重厚な主題を得、のびのびと筆を走らせている。
彼は、ロングフェローの義理の弟、トム・アプルトンの「善良なアメリカ人はみんな、死ぬ前にパリを訪れる」という警句が表している気分を表現した。アプルトンの警句は、南北戦争直後の、ジェイムズが『アメリカ人』の中に記録した時代の気分を表している。


(中略)


しかし、ジェイムズが『使者たち』(『大使たち』)を最も優れた作品を考えた理由は、その主題ではなく、完璧な構成にある。同じ「『建築的』構成」から判断して彼が『使者たち』に次ぐと考えたのは『ある貴婦人の肖像』であった。『使者たち』は、経験豊かな小説家が形式的な制約を利用し、その制約を不利な条件として作用させず、独特の素晴らしい利点に変えてしまった見事な例である。




F.O.マシーセン『ヘンリー・ジェイムズ 円熟期の研究』(青木次生 訳、研究社出版) p.22-23

これを機に手に入り難くなっている『ロデリック・ハドソン』『アメリカ人』『ボストンの人々』『カサマシマ公爵夫人』あたりも文庫化されないかな、と思う。とくに『カサマシマ公爵夫人』(The Princess Casamassima)は、テロリストなんかが出てきたりしてジェイムズにしては賑々しい作品なんだが。


YouTube には、そんなプリンセス・カサマシマを始めとするジェイムズ(とイーディス・ウォートン)の小説に登場する女性をイメージした絵画作品を集めた映像があった。やはりジョン・シンガー・サージェントの作品が多い。そして音楽はバッハだ。


James' & Wharton's Women




それと、↑ のエレガントな映像とは対照的だが、『ねじの回転』で遊んだコメディもあった──まあ、誰でも思いつくアレであるが。
Turn of the Screw English Project




今後もヘンリー・ジェイムズ普及に努めていきたい。




[関連エントリー]

*1:

鳩の翼(上) (講談社文芸文庫)

鳩の翼(上) (講談社文芸文庫)

*2:

金色の盃〈上〉 (講談社文芸文庫)

金色の盃〈上〉 (講談社文芸文庫)