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若桑みどりさん死去



ぜんぜん知らなくて、ついさっき nogamin さんのところで知った。すごいショックだ。


美術史家の若桑みどりさん死去 [朝日新聞]

ジェンダーの視点からの美術史研究で知られる、千葉大名誉教授の若桑みどり(わかくわ・みどり)さんが、3日午前3時ごろ、虚血性心不全のため、東京都世田谷区の自宅で死去した。71歳だった。



東京生まれ。東京芸大卒業後、イタリア留学を経て東京芸大教授、千葉大教授、川村学園女子大教授を歴任。イタリア美術史が専門で、美術における女性の位置についてのジェンダー研究や発言も多く、ジェンダー文化研究所を主宰している。80年に「寓意(ぐうい)と象徴の女性像」でサントリー学芸賞、「薔薇(ばら)のイコノロジー」で84年度芸術選奨文部大臣賞、03年に紫綬褒章。04年には「クアトロ・ラガッツィ――天正少年使節と世界帝国」で大佛次郎賞を受賞している。


まだお元気で、精力的にお仕事をされていると思っていた。たしか……もう一年ぐらい前になるのかな、美術関係のテレビ番組で見かけて、その溌剌した姿に「若いな」と感じていたのだが……。

女性の研究フェロモンにときめく傾向は生来のものらしく、キャスリーン*1の後は、フランセス・A・イエイツ*2 The Rosicrucian Enlightenment*3 によって、イギリス・ルネサンスの秘教的伝統(ジョン・ディー、ロバート・フラッド)に踏み込んだ。これにはわくわくした。そのころはソフト・マシーンを聴き返していたころだが、『ソフト・マシーン3』の演奏のドライヴ感と妙に呼応した楽しい読書だった。



(中略)


思えばどこでもよかった大学を急遽決定したのも、ルネサンス研究家、若桑みどり氏の予備校でのアジテーション(ガイダンス)によるのである。学問はフェロモンだ。




滝本誠『きれいな猟奇』(平凡社) p93-94

もっと何か書きたいことがあるんだけど……『マニエリスム芸術論』──僕にとってとても重要な本だ──について以前書いたことを転載しておきたい。


マニエリスム芸術論 (ちくま学芸文庫)

マニエリスム芸術論 (ちくま学芸文庫)


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マニエリスム芸術論  若桑みどり 著/ちくま学芸文庫




若桑みどりの文章を初めて読んだのは、『夜想』13号(ペヨトル工房)のシュルレアリスム特集であった。それは強烈な文章であった。ガツンとくる文章であった。生半可な知識と興味本位からくる(意味上の)「誤用/誤法」、つまり「知ったかぶり」を見事粉砕してくれた。彼女はこんな風に書くのだ。


「そうではなく、こうである」



これ以上ない明晰な文、これ以上ない簡潔さ。その潔い文章に、僕は、まるで身体に電流が走ったかのようにめろめろになり、その潔い文章がために、彼女にシビレてしまった。すごいぞ、若桑みどり

この『マニエリスム芸術論』でも同様のショックを受けた。
マニエリスム芸術。澁澤龍彦の著書でおなじみの、奇矯で病的で異端的で退廃的なマンネリズム作品群──そんな思い込みに囚われていた。いや、そんな思い込みがあったからこそ、暗い内面を表層した幻想芸術を愛でるように、それらマニエリスム作品群に惹かれたのかもしれない(実際の美術史でもマニエリスム芸術は不当に扱われていたようだ)。
しかしここでも、ひ弱で、なよなよと肥大する自意識に喝を入れる。


「そうではなく、こうである」


それは、こうである。マニエリスム芸術は、19世紀にはびこる自意識過剰なロマン主義フロイト以後、20世紀にブームになるエロティックでスキャンダラスなシュルレアリスムとは、根本的に違う、というあたりまえのことを、まず、確認する。たしかにマニエリスムロマン主義シュルレアリスムの先駆的な扱いとしての復権があったにしろ、それは「こじつけ」の範囲を出ない。それどころか、

マニエリストは、史上最初のアカデミーを設立した人々である。彼らは、先人の気ままな傑作を、知的に解釈し、教条化し、公式化して、教えたり修得したりできるようにし、それによってだれしもがそういう傑作を描けるようにしたいと考えた。「あちこちから美しいものを集め、これを統一し、まずこの上なく優美な手法(マニエラ)をつくる。ひとたびこの手法ができあがったのちは、これを用いて、いつでも、どこでも、傑作をつくることができるようになる」と最初のアカデミー院長になったジョルジュ・ヴァザーリは書いている。

つまり独創性や個性よりも、何より技法、手法が、16世紀の芸術家にとって最優先課題だったのだ。しかも、独り善がりな個人の夢想に浸るなんてことは問題外で、マニエリスム期の芸術家こそ「公共性」を重んじた人たちであった。

「彼らは「規則(レーゴラ)のなかで」うごめいている。」
「彼らは、神のつくったものを模倣するのではなく、神の創造を模倣しているのである。」

そういった宣言、高らかなマニフェストを発布して、著者は、いよいよ本題に入る。
本題。それは、思いっきり乱暴に言えば、一種の「謎解き」である。
この時代(16世紀)の、寓意(アレゴリー)という錯綜したプロットとトリックを持つ、到底「本質直感」だけでは「推理」できない芸術作品を、もし自分が16世紀の人間だったら・・・・・・と膨大な資料を元にプロファイリングしていく。その作業は実にスリリングである。あの、(僕の大好きな)ミケランジェロの「勝利」から、禍々しくも魅力的な新プラトン主義を導き(逆でもある)、複雑極まりないブロンズィーノの「愛の寓意」から、様々な仕掛けを暴いていき、大どんでん返しに突入する。 (芸術家がこのときほど大衆から「自由」であったことはない)

その間、「探偵」は複数登場する。作家として、あるいは当時の派閥の「党首」としても有名なヴァザーリを始め、「イコンノロジー」という新しい「捜査法」を提唱した大御所パノフスキー、『マニエリスム』という著書を書いた若桑の師でもあるハウザーら多士多彩な面々。
そういった、それぞれ鋭い眼光と鑑識力を持つ「美の探偵たち」の証言に耳を傾け、集まった証拠に目を通しながら、若桑は──この本のヒロインは、


「こうである」


と冷静に結論づける。実に、かっこいい!


しかし、もっとかっこいいのは、本題を離れた「文庫版のあとがき」だ。この『マニエリスム芸術論』はこの「文庫版のあとがき」をもって終わる。ここまでが若桑みどりの『マニエリスム芸術論』を読む醍醐味に含まれるのだ。

一九六三年に、最初の成熟した解説書をペーパーバックで書いたシャーマン教授に、一九九二年のヴァチカンの国際会議で会ったとき、わたしは面識がないのにもかかわらず、思わず旧知の人に会ったかのように、あるいはファンがアイドルに会ったかのように、彼にむかって、あなたのマニエリスムを読みました!といった。すると彼は当惑して、「あれは若い時に書いた本です!」と恥じたようにイタリア語で言った。いまならば、もっと別なふうに書いたであろうということかも知れない。シャーマン教授の本とは比肩もできないのだが、わたしもまた本書については同じ感情をもっている。だが若さはまたかけがえのないものであって、老年が手を加えることがとうていできない。



L'ho scritto da giovane!


まるでP・D・ジェイムズのヒロイン、コーデリア・グレイ*4の活躍を思わせるではないか! 素晴らしいエンディングだ。

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ご冥福をお祈りいたします。

*1:キャスリーン・レイン/ Kathleen Raine
→ http://en.wikipedia.org/wiki/Kathleen_Raine 

Autobiographies

Autobiographies

William Blake (World of Art)

William Blake (World of Art)

*2:Frances Yates
 → http://en.wikipedia.org/wiki/Frances_A._Yates

*3:フランセス・イエイツ『薔薇十字の覚醒』(工作舎

薔薇十字の覚醒―隠されたヨーロッパ精神史

薔薇十字の覚醒―隠されたヨーロッパ精神史

*4:『女には向かない職業』『皮膚の下の頭蓋骨』