HODGE'S PARROT

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グレン・グールド 第25変奏



10月4日はカナダのピアニスト、グレン・グールドの命日だ。二曲ほど YouTube より選んで聴いた。バッハの「パルティータ第6番」と《フーガの技法》より。


Glenn Gould - Bach Partita No.6 (1 of 3)

バッハは対位法についてふたつの矛盾した事柄を述べている。孤独が矛盾にみちたものであるのと同じような按配だ。バッハにとって、対位法は友人との会話のようなものであり、日常的で変化に富んだなにかであるが、しかもそれは神への祈りの深い部分において天上的なるものへと手向けられる音楽の捧げ物である。
グールドはメロディを嫌ったわけではない。メロディがひとつしかない状態を嫌ったのだ。みずからの形態について絶えず問いかけをおこなうような形態を愛していたから、たぶん彼には、自分の声を聞かせるために複数の声が存在する必要があった。必然的な結論がない(カデンツァ的要素が支配的なソナタ形式とは反対に)のがよかった。いわば垂直的なものと水平的なものという無限性のふたつの形式だといってもよい。


彼の場合、たぶんひとりでいるのは実に容易だった。複数の彼が存在していたからだ。かぎりないまでの面の明晰さ、それぞれの線のたしかさ、各々まったく異なる響きをもった声部──グールドのバッハ演奏ほどに、書法のあらゆる面にわたる読みのたしかさを感じさせるものはない。




ミシェル・シュネデール『グレン・グールド 孤独のアリア』(千葉文夫 訳、筑摩書房) p.196-197


Bach - Art of fugue - Contrapunctus01 - Glenn Gould

天使が亡霊に変貌する瞬間がやってきた。もう後戻りはなく、グレン・グールドは事物の彼岸に渡るのだ。




グレン・グールド 孤独のアリア』 p.201

グレン・グールド 孤独のアリア

グレン・グールド 孤独のアリア





追記。
id:Geheimagentさんよりトラックバックを頂いた。

Geheimagentさんはとくにミシェル・シュネデールが言う、(バッハに対する)読みの=解釈の「たしかさ」ということに疑問をもってエントリーを書いてくださっている。そして、

そこにある違いは「解釈の変化」や「解釈の完成」ではない。むしろ、その違いによって解釈という虚実をグールドは叩き壊そうとしているように私には思われるのだ(グールドが、他の演奏者とは極端に違った演奏を聴かせたのもそこに狙いがあったのではないだろうか)。おそらく浅田彰がグールドに惹かれる理由もこのような脱構築性にあるのだろう――ゆえにグールドの演奏が「たしかさ」なものと評することは、著しく不協和なものとなる。

僕もGeheimagentさんの意見に同意する。ただ、一方で、これは論者の立ち位置が顕れてしまった結果なのではないかとも思う。つまりシュネデールは精神分析の人であり、とするならば、解釈の「たしかさ」というのは、それこそ「手紙は必ず届く/手紙は宛先に届かないこともありうる」というデリダラカンの議論と相似なのではないか、と。
「手紙」については今はあまり踏み込まないけど、シュネデールが繊細な文章を綴っているにもかかわらず、結構あっさりと断定している部分が気になったりするのは確かだ。僕が引用した最初の文章でも結局は……グールドのバッハ演奏を「欲動」と解釈している。
ただ、脱構築を手放しで称賛する気にもなれない。というのも「他の演奏者とは極端に違った演奏」というのを「知っている」からこそ、「解釈という虚実」を壊せるのであって、しかし実際は(現在では)、グールドこそがバッハ演奏の「正統(キャノン)/威光効果」になっているのではないか、という疑問があるからだ──彼の「戦略」も含めて、つまり脱構築の「戦略」も含めて。ジジェクの言葉ではないが、実際に/本当にヘゲモニーを握っているのは、誰なのか、と*1

ジジェクが『イラク』という極めて政治的な話題の著書で、ふとアルゲリッチに触れた箇所が印象的だった。そこを引用しておきたい。

不死のマルタ・アルゲリッチが彼女のピアノ演奏について言うこと(「私はピアノを弾くのが好き。ただ、演奏者になるのは大嫌い」)もまた、革命的なものに見合っている。彼女は革命を愛する。しかし、革命家であることは大嫌いなのだ。




スラヴォイ・ジジェクイラク』(松本潤一郎, 白井聡, 比嘉徹徳 訳、河出書房新社) p.162

*1:さらにトニー・マイヤーズの『スラヴォイ・ジジェク』によれば、”大学における研究が、それ自体「国家のイデオロギー装置」であることを忘れないようにしよう”と Christopher Hanlon のインタビューで応えている。