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『拷問と医者』 真の愛国者エウイン・キャメロン



ナオミ・クラインが「ショック・ドクトリン」に関するインタビューで語っていた精神科医エウイン・キャメロン/Ewen Cameron に関する日本語の本を見つけた。ゴードン・トーマス著『拷問と医者―人間の心をもてあそぶ人々』*1だ。
Gordon Thomas はイギリスのジャーナリストで、イスラエルモサドに関する著作をはじめ多くの本を出している。訳者によれは中東事情に精通した記者として著名だという。
かなり大部の著書なのでキャメロン博士の部分をざっと目を通してみた。

拷問と医者―人間の心をもてあそぶ人々

拷問と医者―人間の心をもてあそぶ人々


CIA 長官アレン・ダレスは「完全な実験」を行うために、アメリカ本土ではなくカナダを選んだ。それがモントリオールにあるマックギル精神医学研究ネットワーク──キャメロンの「帝国」だった。

キャメロン博士は「精神の誘導」、すなわち洗脳に取りつかれていた。彼は「自家精神誘導」(autopsychic driving)、「他思性精神誘導」(hetero-psychic driving)、「力動的移植」(dynamic implants)、「刺激反復」(cue repetition)という新語を作り出した。

(『ウイークエンド・マガジン』のインタビューでキャメロンは)精神誘導の普及促進に努めていた。この言葉を利己的な目的に利用してきて、博士はこの技法を「有益な効果をもたらす洗脳」と呼んでいた。


このインタビュー記事には、ヘッドホンをつけた若い女性の写真が一枚つけられ、何回も行った「告白」に、みずから耳を傾けているところ、という説明がつけられていた。さらに、この記事では、キャメロン博士が「改良された洗脳方法を利用することによって、神経症に悩む患者の救済を意図した大胆な考え」を提起したものとして称賛されていた。このインタビューで、博士は「洗脳を実施するプロが抱えるのと同じ問題」に直面していたが、その理由は自分が担当している患者が、「まるで共産側に捕らえられた者のように、抵抗を示す傾向があり、したがって意気阻喪させなくてはならないからである」と付け加えている。




ゴードン・トーマス『拷問と医者 人間の心をもてあそぶ人々』(吉本晋一郎 訳、朝日新聞社) p.255


キャメロンは「非パターン化」という、自ら考案した理論に則って、高頻度でしかも大量の電気ショックを患者に与えていた──いや、患者というよりはモルモット、あるいは「消耗品」であったのだが。

患者がまず三日間眠りつづけさせられ、そのあとまだ人事不省にあるにもかかわらず、短時間に三十回から六十回の電気ショックを与えられ、不安感を抑制するために、強力な鎮静剤である塩酸クロルプロマジン注射液「ラーガスティル」1000ミリグラムが、各電気ショック間に注射される療法を見て、長期にわたる効果はない、とクレッグホーン博士は思っていた。




p.255-256


まず患者からその個性を剥奪する。そのあと「博士が信じさせたいこと」を患者の心に植え付ける。
精神誘導法によって「態度、個人と個人との関係、そして自己概念」を変化させる。そして「性格の再構築」が「暗示と超感覚的知覚作用」によって達成させる。

博士を元気づけていたのは、旧友のウィリアム・サーガント博士であった。それまで、サーガント博士の所見の多くは、英国の警察で尋問を行う者、それに英国の対敵諜報機関MI5の要員によって応用されていた。
サーガント博士は、出版予定の自著『精神のための闘い』(Battle for the Mind)のゲラをキャメロン博士に送り、洗脳方法について各章を読むよう強く勧めていた。キャメロン博士は、ひとつの方法は「急所」を見つけしだい、そこを追求しつづけることだと心にとどめていた。サーガント博士は、対象となる個人に長文のアンケートを回答させることも重要だと記し、その著書の中で次のように述べている。

……その目的とすることこは、価値あるなんらかの情報を新たに抽出するということにより、むしろ対象を疲労させることにある。対象者が物事を思い出すことができなくなりはじめると、ひとつの話題に集中することがむずかしくなって、その結果、これまでになく強い不安感に襲われだす。最終的には、なんらかの偶発的な出来事によって、実験を中止せざるをえなくならない限り、対象者の脳は精神的にあまりにも混乱してしまって通常の対応ができなくなる。限界を超えて抑制されることもあり、他人の考えに惑わされやすくなる。その結果、逆説的なあるいは超逆説的な言葉を併発するに至り、対象者のこもる牙城は終局的に無条件に陥落することになる。


p.266-267


言うまでもないが、キャメロン博士の「知への意志」を誰よりも称賛したのは、ダレス CIA 長官だ。このアメリカ、カナダ両精神医学学会の会長は、アメリカの市民権を放棄していない。四年ごとにカナダからアメリカへやってきては必ず共和党に投票する。

ダレスはキャメロン博士を「真の愛国者」と呼んでいた。長官が授け得る最高の敬意の表明であった。より現実的な問題としては、博士の秘密の研究がアメリカの国内法の及ばない外国で実施されていること、それにニューヨークの人間生態学財団による CIA との関係を遮断する工作が順調に進んでいるので、CIA本部としては安心していられることをダレスとその側近は忘れなかった。仮にカナダ当局のだれかが、博士の研究所で行われたことについて疑問を持ちはじめたとしても、その震源地が CIA であることを突き止める可能性はほとんどなかったからであった。




p.304


キャメロンの実験は「実践」された。ベトコンの兵士の収容所にて。ページ=ラッセル電気ショック療法装置によって。

収容者では、CIAの精神科医は実験を継続していった。彼らが立証しようとしていたのは、「非パターン化」によって、人のイデオロギー的見解を劇的に変えることが可能であるとした、キャメロン博士が主張した見解が、果たして正しいかどうかを確かめることであった。ベトコンの捕虜が選ばれたのは、CIAの医師が「共産主義者による政治教化の典型的な例」と位置づけられていたからであった。


それから一週間後、最初に電気ショックを受けた捕虜が、さらに六十回も受けたとき、彼は死亡した。
一方、コッター博士は、「計画に従って、週に監房をひとつずつの割合で始めると、数千回の電気ショック療法」を実施することになり、忙しい夏になりそうだ、といいながら働いていた。それから三週間後、最後のベトコンの捕虜が死亡した。




p.400-401

*1:原題”Journey Into Madness : The True Story of Secret CIA Mind Control and Medical Abuse”